人と共存するロボット開発から生まれた「次世代全自動歯ブラシ」のビジネス戦略
株式会社Genics代表取締役 栄田 源氏インタビュー
この記事は、特許庁の知財とスタートアップに関するコミュニティサイト「IP BASE」に掲載されている記事の転載です。
株式会社Genicsは、早稲田大学高西・石井研究室のロボット工学の研究成果をもとに設立したロボティクススタートアップ。誰でも全自動で歯みがきができる「次世代全自動歯ブラシ」ロボットを開発し、口腔ケア機器としての介護施設への導入を目指している。同社はプロトタイプが完成したローンチ前段階で特許庁のアクセラレーションプログラムである2020年度のIPASに応募し、採択されている。IPAS参加でビジネスや知財戦略はどのように変わったのか。株式会社Genics代表取締役の栄田 源氏に伺った。
大学の研究成果を口腔ケア×ロボティクスの
「次世代型全自動歯ブラシ」として社会実装
株式会社Genics(ジェニックス)は、人と共存するロボット技術を活用した次世代型全自動歯ブラシの開発に取り組む早稲田大学発スタートアップ。代表の栄田氏は、早稲田大学創造理工学部総合機械工学科で人間とロボットとの共存や触れ合いをテーマに研究開発に取り組んできた。その研究成果を社会実装するために口腔分野に着目し、開発したのが次世代全自動歯ブラシ「g.eN」(ジェン)だ。
「歯みがきは面倒くさい。でもやらないと病気になってしまいます。日本人の9割以上が1日1回以上歯みがきをしていて、世界中のほとんどの人も毎日歯みがきをしている。にもかかわらず、多くの人が治療のために歯医者さんに通っており、毎日歯みがきをしているのに十分にケアできていないことに課題感を感じました。この課題に対して新しいアプローチができると、人々の助けになるのでは、と考えたのが研究のきっかけです」と栄田氏。
先行事例を調査したところ、自動で歯をみがくアイデアの特許は見られたものの、この数十年間、実用化はされていないという。
人体は個人差が大きく、さらに口腔内の限られた空間、歯列の形状もさまざまだ。千差万別の人の歯にどれだけフィットさせられるか。この部分に長年の研究開発で培われたノウハウが活かされているという。
「すべての人の歯の形に対応するのは難しいので、まずはチームメンバー全員の歯型を取って計測し、メンバーの歯を確実にみがくことからスタートしました」(栄田氏)
製品化でこだわったのは、いかにシンプルにするか。ブラシの動きを4、5軸の構造にすれば人間と同じ動きを再現できるが、それでは製品として成り立たない。そこで歯の隙間にもブラシが入り込んで磨けるように、歯の凸凹に沿って動くクルマのダンパーのようなメカニズムを開発した。ブラシが回転しながら左右に移動していくだけ、という非常にシンプルな構造でありながら、歯の湾曲に沿う動きのメカニズムにより、前歯から奥歯までを磨くことができるそうだ。
新潟大学大学院医歯学総合研究科の野杁由一郎教授による試作機を使った実証実験を経て、歯周病予防に有効とする論文が発表されている。現在は、高齢者や上腕障害者など自力での歯みがきが困難な方の自立支援にフォーカスし、介護保険適用となる福祉用具認定の申請に向けて開発を進めている。まずはニーズの強い介護現場から導入し、子どもの歯みがきに苦労している保護者や一般ユーザーへと広げ、いずれは世界進出も目指しているそうだ。
現在の製品は歯周病ケア用として歯と歯茎の間と表面をみがく仕様で、かみ合わせ部分の歯みがきには対応していない。「1個なら作れるのですが、量産となると、当初考えていたメカニズムが一気に破綻してしまう。研究開発とは違う、ものづくりの壁ですね」と栄田氏。
量産は外部に製造を委託しており、一般展開では企業との共同開発も検討するとのこと。
家庭用ロボットとしては、ロボット掃除機やコミュニケーションロボットなどが普及している。それらとの大きな違いは人体への影響の高さだ。栄田氏は、「掃除が下手でも人体に大きな影響はありませんが、歯みがきが下手だと健康を損ねてしまう。電動歯ブラシを使っても人の手でみがくべきところに当てないとうまく除去できません。上手に歯をみがくスキルがなくても健康維持ができるのが全自動歯ブラシの大きな特徴です」と解説する。
誰でも短時間できれいに歯みがきできるのはメリットだが、やはり口の中で勝手にモノが動きまわるのには抵抗がある。まずは口の中に入れて慣れてもらうことが導入の第一歩だ。これまでの検証では、9割の人には問題なく受け入れられ、「マッサージのようで気持ちがいい」とおおむね好評とのこと。
「まずは口腔ケアの重要性を広めていくこと。歯科、口腔分野の方々とも協力しながら口腔ケアのメリットを知ってもらうことで、我々の製品にも興味を持ってもらえるようになると考えています」と栄田氏。
介護施設におけるニーズについては、口腔ケアに力を入れたことによって従来比で1年後の利用者全体の入院日数が850日近く削減された、というデータもあるそうだ。施設の利用者が入院すると施設から離れることになり、施設に支払われる介護報酬が減ってしまうので、口腔衛生を保つことは施設運営にもメリットがある。現場の介護士向けにわかりやすいマニュアルや説明会を開き、理解を得ていくことが導入への課題だ。
2023年中に介護分野向け製品をリリースし、一般向けには、日常生活の中で使いやすいように、より小型化し、携帯性や歯ブラシ部分の洗浄のしやすさを向上させて、2、3年後の提供を目指している。また、研究で取得した、口腔内の画像やかむ力などのデータを活用したヘルスケアのサービスへの展開も検討しているとのこと。
ビジネスを意識した知財の出願を考えるためにIPASへ参加
全自動歯ブラシのコア技術となる、口腔内でブラシを保持しながら歯に接触したブラシが歯列に沿って動くメカニズムの特許は、大学からの出願だったため、会社設立時に譲渡を受けている。当初は、出資を受けていたVCに弁理士を紹介してもらい、知財に関わる手続きを依頼していたそうだ。製品のプロトタイプが完成し、より長期的なビジネス展開を踏まえた知財戦略を構築するために2020年のIPASに応募した。
「大学の研究室では研究成果として知財を出願する習慣はありましたが、ビジネスの観点で知財を捉えたことがなかったので、事業展開を意識した出願の仕方を勉強したいと考えてIPASに応募しました」と栄田氏。
IPASのメンタリングでは、まずビジネスとしての展開の可能性を整理し、それに対して、すでに持っている知財と、さらに積み上げていく知財を考えていったそうだ。
「ビジネスメンター・知財メンターの先生方と2週間に1度お話しする機会があること自体がよかったです。ビジネス展開を見据えてソフトとハードを融合した幅広い特許の可能性を考えたり、福祉用具として展開をするために関連省庁に何が必要になるのかを問い合わせたりして、それをベースに今やるべき準備や開発の方向性などを深くディスカッションしていきました」(栄田氏)
特に印象に残っているのは、類似特許の調査だ。
「今までは自分たちが出願するだけで、いかに他人の特許に関心がなかったかを思い知らされました。日本だけでなく海外の類似特許も調べていただいたことで、世界中にいろいろな研究があることを知り、参考になりそうな関連特許をたくさん読み込みました」
IPASを経て、2件の特許を出願。新たに出願した特許は、歯の凸凹している形状に対してしっかり磨くための設計方法など、ハードウェアとソフトウェアを組み合わせたもので、海外についてもPCT出願をしているそうだ。
g.eNならではのソフトな磨き心地や気持ちの良さなどはノウハウとして秘匿しているとのこと。また、製品名の「g.eN」は2022年に商標登録している。ただし、これまでにない製品のため、今のところは一般的な名称の『全自動歯ブラシ』を前面に出すことが多いそうだ。
開発者目線からユーザーを意識したサービスへと視野が広がった
IPASを経て、ビジネスの考え方にも変化があった。
「従来はモノの開発に集中していて、ユーザーのことはあまり意識していませんでした。製品としていろいろな人に実際に使ってもらうための機能、現場のオペレーション、口腔の歯列データをどのように取得し、活用していくのか、なども考えなくてはなりません。プロダクトそのものの開発だけでなく、これらをパッケージサービスとして考えるようになりました」(栄田氏)
ビジネスに対する意識の変化から、IPAS後は社内のメンバーみんなでアイデアを議論・共有するようになったそうだ。現在は役員2名、正社員1名、アルバイト6、7名と少人数体制で、社内に知財担当者はいないが、今後、口腔データとの連携や一般展開のフェーズになれば、専任の知財担当者の設置も検討していくこと。
「我々の事業は、ありそうでなかったニッチな分野ですが、特許では、歯をみがくだけでなく、口腔内のマッサージや刺激を含めて広く出願しています。ロボット研究での“人体とモノとの接触がどのような関係性であるべきか”という概念をコア技術として権利化できたので、これをベースにほかの用途にも応用していけるのではないかと考えています」
最後に、IPASへの参加を検討している方、これから学生起業家の方へのメッセージをいただいた。
「創業初期は、自分たちの分野に精通した専門家に出会える機会が少ないので、経験豊富な専門家と議論して戦略を一緒に立ててもらえるのは貴重な体験でした。特に製品のローンチ前やビジネスの方向性が固まりつつある時期のスタートアップにはIPASはおすすめです。
学べる環境に身を置きながらの学生起業は、周りに活用できるリソースがたくさんあります。環境をしっかり活用して、いろいろなビジネスにチャレンジしてほしいと思います」