アカザーの不自由自在
Vol11 車いす旅で考えた“心のバリアフリー”
この記事は、国土交通省による歩行空間データの活用を推進する「バリアフリー・ナビプロジェクト」に掲載されている記事の転載です。
どうもアカザーです! 2000年に脊髄を損傷して以来、車いすユーザーを22年ほどやっています。この22年間、車いすに乗って仕事やプライベートでいろいろな場所に行ってきました。今回はそんな車いすでの旅のエピソードです。
車いすでのはじめての飛行機
最初の海外旅行は車いすユーザーになって2年後、2002年10月に仕事で訪れた韓国ソウルでした。車いすユーザーとして飛行機に乗るのもこの時がはじめて。“搭乗時にはいちばん最初に乗り、降りる時には最後に降りる”というルールもこの時にはじめて知りました。
オレのように自立歩行が難しい車いすユーザーが飛行機に乗る際には、空港カウンターもしくは搭乗口で専用の車いすに乗り換える必要があります。なぜなら通常の車いすでは、横幅があり過ぎて細い機内の通路は進めないからなんです!
しかし、この機内専用車いすはワンアクションで大きなタイヤが取り外せ、中央のシート部のみで細い機内通路を移動することが可能なつくり。飛行機の前までは通常の車いす形状で進み、機体に乗り込む際にタイヤを外し、客室乗務員の方が座席までエスコートしてくれる感じで搭乗します。
目的地に到着した後はその逆の手順で、他の乗客が降りてから添乗員さんが専用車いすを運んできて対応してくれます。
コロナ前にマレーシアのホビーショーに行った際に、首都クアラルンプールからペナン島までの移動で利用したマレーシア航空の国内便。日本の国内便に比べると設備などは見劣りする感じでしたがサポートはバッチリ!やっぱバリアフリーは設備よりも人によるところが大きいすね~( ^ω^ ) pic.twitter.com/bD54Xj4ouT
— アカザー (@AKZ161) January 28, 2023
また、機外に出た時にすぐに自分の車いすに乗り移れるようにしてくれている場合もあったり、手荷物受取所まで地上スタッフさんが専用車いすを押して誘導してくれて、そこで自分の車いすを受け取るというケースもありました。(※私は自走式の折り畳み車いすユーザーなので、電動車いすや固定式車いすの場合は少し違うかも)
国が変わればバリアフリー事情も変わる⁉
車いすでのソウル市内の移動はタクシーと徒歩でした。タクシーは以前このコラム【ハードルが下がった車いすでのタクシー乗車】で紹介したように、車のトランクに積めない場合は膝の上に載せたりすることで対応できたのですが、車いすでのはじめての海外旅行で唯一心が折れそうになったのが“ソウル市内の道路の横断”でした。
その場所は南大門あたりだったと記憶しています。目の前に見えている道路の向こう側のデパートに行きたかったんですが、なんとその移動に30分以上もかかってしまったんです!
今ならすぐに忘れてしまうようなエピソードなんですが、この時は同行者も居て彼らだけだと1~2分で移動できるのに、オレが居るせいで30分も大回りに付き合わせてしまったことがいちばん心苦しく……それで今でも記憶に残っているんだと思います。
実は、韓国の幹線道路は有事の際に備えて、飛行機の滑走路や戦車が走れるようにと片側4車線の8車線とかある場所がけっこうあるようです。そして、そういった場所は通りの向こう側への移動は地下道を使うといったつくりになっているので、基本横断歩道はナシ。
仕方ないので地上にある横断歩道を探し、通りに沿ってブロックごとにぐるりと回り込むように移動しました。目的地から遠ざかるようにL字に移動し横断歩道のある場所へ。さらに渡った先のブロックでもL字に移動しての繰り返し。
結果かなりの遠回りをして通りの向こう側に30分かけて到着! みたいな2002年秋のソウルでの体験でした。またその際に街では車いすユーザーはほとんど見かけず、車いすユーザーが珍しかったのか? 街の人たちから好奇の目もかなり感じました。
そこから数年後、2006年10月に行った台湾では商店が並ぶ軒下の段差に苦戦しました。段差にスロープがある場所で、上にあがっても降りる場所にはスロープがない! あってもめちゃめちゃ急な斜度のスロープだったり(笑)。そういうことがざらにありました。
なので、移動はもっぱらタクシー。でもいいこともありました。泊まったホテルでは高い場所に置いてあったバスタオルなどが、2日目からは手の届く場所に置いてあって、台湾では“心のバリアフリー”の有難さを感じるひと幕も。
そんな感じで2000年代前半は、どこに行っても車いすでは交通インフラに悩まされるエピソードが多かったです。しかし、2015年に台湾に行った時にそのあまりの変貌ぶりに驚愕!
あれほど悩まされた軒下の段差には、ことごとく適切な斜度のスロープがつけられていたんです! この10年で台北で何があったんだという感じでした(笑)
そして何よりいちばん驚いたのが、台北駅で見た“車いす専用レーン”です。
最初は、朝夕のラッシュ時に人の流れをわけるためのラインが引いてあるのかな~? と床を眺めていたのですが、その中央に車いすマークと時間帯が記されているのを発見! 朝夕のラッシュ時にこのレーンが車いす優先レーンとなることに気が付きました。
そしてMRT(Mass Rapid Transit)などの地下鉄の路線もかなり増えており、そのほぼすべてが大江戸線並みか、それ以上のバリアフリーになっていました。日本でも大江戸線以上のバリアフリー化がされた路線は見たことがなかったのでこれには本当に驚きました!
それ以前は台北での移動はタクシーが多かったのですが、2015年以降は台湾のSuika/PASMO的な悠遊卡(ヨウヨウカー)を作るほど電車移動にハマって、ほぼ電車で移動しています。台北の電車移動、めっちゃ楽しいのでおススメです!
東京の電車交通のバリアフリー化も、東京オリンピック・パラリンピックが決まってからは、かなりのスピードで進みました。結果、設備の面では世界トップクラスになった気がします。
しかし、JR・都営・営団などの運営会社またぎのバリアフリーに少し難があったり、何よりもそれらを利用する人(障害者・健常者ともに)の意識を含めると、台北に負けているような気がします。台北では駅のエレベーターも車いすやベビーカー来たら降りて順番を譲ったりと、優先がキッチリ守られている気がしました。日本だと気まずそうにしつつも、先に乗って行っちゃう人が多い感じなんですよね~。“あると便利”と“ないと困る”の意味をちゃんと理解し、皆でエレベーターをシェアしている感じでした。
“心のバリアフリー”こそ最強のバリアフリー!
その後も、グアム、香港、マレーシアなどにも行きました。それぞれの国ごとにいろいろなバリアフリー事情がありましたが、どの国でもいちばん心に残ったのは“心のバリアフリー”と称される、その国の人達から笑顔と共に受けたサポートでした。
ある時は二人がかりで階段を運んでくれたり、ある時は笑顔でエレベーターを開けて待っていてくれたり、レストランでは車いすでも入れるように椅子を移動してくれたりと、うれしい体験を数多くしてきました。
車いすで旅するとこういう”心のバリアフリー”全開なホッコリする出会いがあるのがいいんすよ~そしてそれだけでは終わらないのが旅なんよw( ^ω^ ) pic.twitter.com/Rf9kCYHLM3
— アカザー (@AKZ161) January 29, 2023
日常のささいなバリアを前に立ち往生した際に、そこに居合わせた人達からこういった“心のバリアフリー”を受けるたびに、その方たちへの感謝の気持ちと「車いすでもどこにでも行ける!」という自信、さらには「車いすで良かったな~」という気持ちまでもが沸いてきました。
日本人は真面目でシャイな気質とよく言われます。その気質故かインフラ面でのバリアフリーは不備なくキッチリ作ろうとします。個人的にはバリアフリートイレなどは世界一と言ってもいいくらい素晴らしい出来だと思っています。
しかし、“心のバリアフリー”という点では少し遅れているような気がします。見て見ぬふり、という訳ではないとは思うんですが、もし目の前に困ったそぶりを見せている障害者が居たなら、少しだけ勇気を出して「何かお手伝いしましょうか?」と声をかけてみてください。
オレも健常者の頃、電車で高齢者に席を譲ろうとした際に「いえ大丈夫です!」との塩対応に心を折られたコトがあります(笑)。でもいま考えるとそれってぜんぜん心が折れるようなエピソードじゃないんですよね。親切心から出た言葉に恥じることなんてないんです。
でもそんな苦い経験があるが故に「何かお手伝いしましょうか?」と声をかけられた際には、さほど必要がなくても笑顔でお願いするようにしています。そうすることで声をかけて下さった方は、また声をかけようと思えるだろうし、いつかそれを必要としてくれている方にその気持ちが届くと思うのです。
また車いすを押してもらう際などに、段差では少し前輪を上げるなどのちょっとした車いす操作のコツなどを伝えることで、車いすユーザーへの理解が深まり、ひいては健常者・障害者の互いの理解も深まると思うのです。周りにいる多くの人に助けてもらうことで、オレは車いすユーザーになってもいろんな場所に行っていろんな人に出会い笑顔になるような体験ができました。
これはあくまでもオレ自身の経験からの言葉ですが、「心のバリアフリーさえあればだいたい何とかなる!」気がします。
そして心のバリアフリーの先にこそ、健常者・障害者の区別がなくなるような、バリアフリーという言葉さえ過去になる、真の共生社会がある気がしています。もちろんそのためには“心のバリアフリー”を受けた我々障害者も、何らかの形で社会に貢献する必要があると思います。
20年前には街で車いすユーザーを見かけることはほとんどありませんでした。しかし最近ではちょくちょく見かけることがあります。たぶんこの先の20年では、車いすユーザーがいるのがフツーな社会になっている気がします!
【ペナン島】車椅子で旅する世界遺産ジョージタウン【Vlog】
アカザー(赤澤賢一郎)
週刊アスキーの編集者を経て、現在は車いすのフリー編集者・ライターをやっています。2000年にスノーボード中の事故で脊髄を損傷(Th12-L1)。車椅子ユーザーになって21年です。2018年に札医大で再生医療の治験を受け、2020年に20年ぶりに歩行!!!