「DataRobot」を用いた試行錯誤の過程をデマンドプランナーのリーダーに聞く
AIの需要予測を「当たり外れ」で終わらせない リスク管理ツールとして成果を挙げる資生堂
2021年09月13日 11時00分更新
AIの活用は製造業にも広がっている。化粧品大手の資生堂ジャパンでは、新製品の需要予測にAIを活用し、サプライチェーンを連動させるリスク管理に成果を挙げている。需要予測の司令塔である「デマンドプランナー」のチームを率いる山口雄大氏に、マーケティング重視の企業文化だった同社が、統計分析やAIによる需要予測を浸透させていった過程を聞いた。
マーケティング重視の企業文化に、統計手法を持ち込む
山口氏は2007年資生堂に入社。最初の3年間は営業を担当した。化粧品業界の営業は担当店を回るルートセールスが中心だが、山口氏が担当した店舗チェーンでは、倉庫在庫の確認や納品作業まで行なうことが仕事だった。2010年に自ら希望して化粧品や日用雑貨の需要予測を担当する部門に異動。営業時代に物流の現場を経験したことが、需要予測の仕事にも活かされたという。
2021年1月から、S&OP(セールス&オペレーション・プランニング)部門のマネジャーとして、需要予測、在庫管理、需給調整を担当している。現在の仕事は、中長期の需給リスクを予測して、役員会に報告する資料をまとめることである。それによって、新製品の発売時期を決めたり、工場新設の可否などが左右されるため、重要な経営判断の情報を提供していることになる。
山口氏が需要予測を担当し始めたころの同社は、データ活用はそれほど盛んではなかった。理系人材よりも、マーケティング、宣伝部門の声が強かった。生産計画は、販売と製造部門が協議して、合意した数字をもとに立てていた。山口氏はそこに、統計学や数学の考え方を取り入れる取り組みを始めた。
最初は回帰分析など、基本的な統計学を取り入れて需要予測を行なったが、それでもかなりの精度を出すことができた。「過去データがある場合は、古典的な統計でそこそこの精度が出せる。さまざまな商品の統計予測を公開しているIBF(The Institute of Business Forecasting & Planning)の数値と比べても、資生堂の既存製品の需要予測の精度は遜色ないレベル」と山口氏は語る。
いくら精度が高くても、いきなり現場に持ち込んで使ってもらえるものではない。そこで山口氏は、個別の予測結果をマーケティング、販売部門に見せながら、粘り強く現場を説得していった。「当社では商品ごとにブランドマネジャーがいて、生産数量を決めている。その1人1人と話して、統計による予測がこれだけ精度が高くて、売れ残りも出ないということを、数字を見せながら説明した」
ブランドマネジャーも、統計予測の精度が高いことを知り、自身の手間も減ることから理解を示すようになった。この地道な取り組みによって、既存製品の需要予測は、統計予測を採用する形に変わっていった。
データ分析の常識を変える新製品の需要予測
山口氏が次に取り組んだのが、新製品の需要予測だ。当然、新製品には過去の販売データがない。従来は同種の製品や担当者の経験値から初期ロットの生産数量を決めていたが、ここにAIを使った需要予測を取り入れ、精度を高めたいと考えた。
ちょうど2018年に、同社では経営戦略部が主導して「DataRobot」を全社で導入し、AI利用のユースケースを社内募集していた。機械学習の予測モデル作成を自動化できるDataRobotは、データサイエンティストにしかできなかった仕事を業務部門の担当者でも行なえる。山口氏はそこに手を挙げ、新製品の需要予測に利用する取り組みを開始した。
化粧品の需要予測において特徴的なのは、カラーバリエーションの多さだ。一度に30~70種類もの“色違い”を発売するため、どの色が売れるのか、予測を立てるのは難しい。「一番売れるものは、CMでモデルさんが使っている色など、おおかた予想が立つが、5番目、6番目に売れる色を予測するのはきわめて難しい。予測を間違えると、品切れで機会損失を生んでしまう。逆に売れ残れば過剰在庫を生む」
まず、人口動態や世帯年収など、需要予測との関係が薄い外部のデータや、社内の売り上げ、在庫など、300種類ほどのデータをDataRobotに取り込み、学習させることから始めた。一通り学習を終えたところで需要予測を出してみたが、あまりいい精度は出なかった。自社のマーケターの予測を基本にしたデータよりも、結果は悪かった。
「マーケターやデマンドプランナーが実際に重視しているデータが、学習データに入っていないことがわかった。そこで2018年の年末に、AIの学習データを作る専門部署の設立を、当社のCEOに提案した」
社内に点在するデータを需要予測の視点で掘り起こす
データ作成チームは、従来の需要予測に用いていた商品カテゴリよりも細かな分類を整備した。また、たとえば、商品を買った顧客のSNSへの書き込みを分析して、その内容から商品の特徴をグルーピングするなど、今まで存在しなかったデータも分析に利用した。「分析モデルを模索する際、DataRobotは、プログラミング不要で簡単にモデルを作り替えることができることがよかった。特徴量を少しずつ変えて、何度でも試行錯誤ができた」
社内のデータについても、見方を変えた。これまで需要予測に用いるデータの出所は、販売や在庫のデータなど、サプライチェーン関連に限られていた。しかし新製品の需要予測では、研究所のデータなど、従来使っていなかったものも用いている。「先ほど話したカラーの分類など、研究所が色を測定して分類しているデータがあることがわかり、取り寄せた」
山口氏は、社内にあるさまざまなデータを、需要予測の視点から活用していきたいと語る。「それができるのは、私たちデマンドプランナーだけだと思う。逆に、私たちの手元にあるサプライチェーンのデータも、他の部署が別の分析に役立てることができるかもしれない。社内に点在するデータを一元管理すると、新しい可能性が生まれる」
新製品の需要予測のような未知の領域に踏み込む場合、データの絶対量は望めない。総当たり的なアプローチではだめで、少量で複雑な因果関係があるデータから価値を見つけ出さなければいけない。
データの探索には、山口氏が参加している社内有志の音楽バンドのメンバーによるつながりも生かされたという。「いろいろなつてを辿ると、欲しい情報にたどり着く。これは私が師事した早稲田大学大学院の入山章栄教授から学んだ『トランザクティブメモリー』の考え方だ。AIの学習データを探すようなときは、誰が何を知っているかを辿っていくことが重要だとわかった」
AIの予測を事業リスクのヘッジに用いる
こうした取り組みによって、新製品需要予測の制度は改善していった。
既存製品の需要予測の誤差率は、グローバル平均で30%以内である。それに対して、新製品の誤差率は50~70%と大きかった。AIを使うことで、従来の新製品の誤差率と、既存製品の誤差率の中間程度に抑えることができている。個々の製品によって精度は違うものの、新製品の数は年間数百SKUに達するため、全体では非常に大きな効果を生んでいる。
「個別に予測が当たった、当たらないは重要ではない。全社の売り上げの中で新製品は2~3割を占めるため、新製品全体の生産計画、容器を含めた原材料の調達の予測精度が高まることによる業績へのインパクトは、非常に大きなものになる」
ただし、AIの予測を直接生産計画に組み入れるのは、まだリスクが大きい。どのように事業に生かしていくかが知恵の絞りどころである。そこで重視しているのが「供給のアジリティ」向上だ。山口氏は次のように説明する。
「たとえばマーケットの予測よりも、AIの予測が強気だった場合、当初計画の生産数量はそのままにして、その裏で、急な需要の増加に備えて調達に時間がかかる原材料の手配を進める。もしAIの予測が当たれば、ただちに増産に取りかかることができる」
AIの数値をそのまま使うのでなく、リスクをヘッジするためのサプライチェーン調整として使うのが、資生堂のやり方だ。
山口氏は、新製品の需要予測は「二次のカオス系」だと話す。「たとえば天気予報は、予測してもその反応によって結果は変わらない。しかし渋滞の予測は、それによって車に乗るのを控える人が出てきて、結果が影響を受ける。これが二次のカオス系だ。ビジネスの需要予測も予測を出すことで営業やマーケティングが変わるため、二次のカオス系だ。デマンドプランナーは、予測を出すことで結果が変わることを念頭に置いて、サプライチェーンのリスクヘッジをしなければいけない」と話す。
デマンドプランナーには説明責任が求められる
AIを用いて新製品の予測精度は上がったが、当初問題となったのは、その数値を用いてどう営業やマーケティングが動くかということだ。AIに従って動いて、誰が責任を取るのかという声も出た。
そこで、山口氏らデマンドプランナーが、AIの結果について評価し、説明することにした。「AIの出した結果はこういうデータに基づいていると答えられるのは、デマンドプランナーだけ。どんなデータが入っていて、何が不足しているのかを説明しながら、在庫の数や原材料の調達などを決めていく。この過程が非常に重要だと思っている」
単に予測を立てるだけでなく、データを用意し、分析結果についての他部署に説明する責任を負う。この一連の流れをデマンドプランナーの新しい仕事と位置づけている。
「AIを導入すると仕事が減るという話があるが、需要予測についてはそうはならない。データを作っていくという仕事と、予測値からサプライチェーンを動かし、社内をファシリテーションするという2つの大きな仕事が生まれている。デマンドプランナーは、これらのスキルを磨いていかなければいけない」
コロナによって市場が激変し、2020年以降は従来の分析モデルが通用しなくなった。しかしすでにそこから2年近くが経ち、新しいデータが蓄積されている。「コロナ禍のマーケットデータは、すでにDataRobotに取り込まれている。それを使って、たとえば『緊急事態宣言』や『営業時間短縮』といったフラグを立てて、コロナ後の市場を悲観シナリオ、楽観シナリオの両面から分析する試みを始めた」。分析者の視点は、コロナ禍のデータを用いたアフターコロナの市場予測に向かっている。
山口氏の目下の課題は、デマンドプランナーの育成だ。山口氏のチームには5名のメンバーが属しているが、彼らのスキル向上に取り組んでいる。「AIによるデータ分析を理解しているだけでなく、商品に精通し、かつ部門間の調整もできる人材を育て、組織として力を付けていかなければいけないと思っている」
資生堂にとってAIによる需要予測は、ビジネスの中に深く入り込み、意思決定に欠かせない要素となっている。