新型コロナウイルスにより、私たちの生活が一変した2020年は、各企業も取り組んできた働き方改革が、一気に進んだ年でもありました。当初「働き方改革」は残業時間を減らして……の話でしたが、在宅勤務を始めとする新しい勤務方式は、従来の労働とは抜本的に異なる点で、改革だったのではないでしょうか。
自動車メーカー大手の本田技研工業(ホンダ)もその一つ。ですが、彼らの「働き方改革」は少し違います。会議をはじめとしてコミュニケーションツールとして独自のAI音声認識システムを開発、活用しているというのです。そのシステムと共に、作った背景についてご紹介しましょう。
音声をテキストに変換しチャットする
「ホンダ・コミュニケーション・アシスタンス・システム」と名付けられたこのシステムは、マイク入力された音声をテキストに変換、さらにチャット形式で複数人表示するというもの。他社からすでに似たようなシステムが出ているように思いますが、「ホンダ・コミュニケーション・アシスタンス・システム」最大の特徴は、リアルタイムで正確な音声認識を可能としたこと。Hondaによると、発言後2秒以内に文章が表示されるほか、単語誤り率も他社に比べてグンと低い9%だというから驚きです。
「ホンダ・コミュニケーション・アシスタンス・システム」は、マイク、音声認識サーバー、テキスト配信PC、テキスト表示用タブレット(スマートフォン)で構成されています。発言者がマイクに向かって喋ると、AI音声認識システムが発話内容をテキストに変換、テキスト配信PCを通じて、タブレットにテキスト表示します。またタブレットでテキスト・手書き入力すると、チャットのように表示できるほか、図形の表示なども可能としています。もちろん、テキストをそのままプリントアウトなどもできますから、担当者が速記し議事録を作る必要もありません。もちろんオンライン会議にも対応しています。
実際に、システムを稼働させた状態の会議を見学したのですが、音声だけでなくテキストも表示されると確かに便利そう。オンライン会議やマスクを着用した状態など、発言が聞き取りにくい時には、確実に意図が伝わるように感じました。
本田宗一郎イズムを継承したシステム
では、なぜ発言をテキストに起こす必要があったのでしょうか。人事部多様性推進室の町 室長によると、システムの導入はHondaの企業理念に関係するとのこと。
「Hondaは『三つの喜び』『人間尊重』から成る基本理念があります。三つの喜びとは、買う喜び、売る喜び、創る喜び。人間尊重は、自立、平等、信頼を基本として、自立した個性が尊重しあい、平等な関係に立ち、信頼し、持てる力を尽くすことで、ともに喜びを分かち合いたいというものです」。この人間尊重の理念は、創業者でエンジニアの本田宗一郎氏が、財務と販売を一手に取り仕切った藤沢武夫氏との関係について、技術と経営というお互いの強みを認め、信頼しきる関係であることを現した「オレと藤澤は二人で一人前」という名言にも表れています。
このように個人を尊重する本田宗一郎は、大分県にある障害者の自立支援施設「太陽の家」を訪問した際、「この世に同じ人は一人もいない」「独りひとりに、素晴らしい持ち味がある」「障害を持つ人の本当の幸せは守られることではない、社会人として普通に生きることだ」と涙を流して感動。1981年にホンダ太陽を設立し、部品取引先およびHonda内部からの仕事を受注する会社となりました。今では3D造形による試作部品の製造も行なっているそうです。
ここで問題になったのが、聴覚に障がいを持つ従業員とのコミュニケーション。時間がかかるほか、正しい内容で伝わらない、筆談では情報量に限りがあるほか、障害者の方が発言するのを遠慮してしまうことも。そこで音声認識技術を持ち、先端科学技術の研究を担うホンダ・リサーチ・インスティチュート・ジャパンが、ホンダ太陽、ホンダR&D太陽との共同開発で、聴覚障害者と職場メンバーのコミュニケーションをサポートするシステムを作ることとなりました。
開発がスタートしたのは2017年のこと。ホンダR&D太陽が仕様書を作り、それを元に、ホンダ・リサーチ・インスティチュート・ジャパンが作成。AIのベースはオープンソースが用いられ、技術用語や社内用語が識別できるよう独自のチューニングを施したほか、認識率の向上をはたしたとのこと。
開発を担当したホンダ・リサーチ・インスティチュート・ジャパンの住田プリンシパルエンジニアによると「基本的な開発は半年ほどででき上がりました。その後、一部変更などがありまして、約1年で形になりました。その後は調整であったり、オンライン会議対応などを行ないました」とのこと。現在は日本語のみであるが「英語への対応も考えています。また、手話にも対応させていきたい」とのこと。
システム的なところを紹介すると、利用者が使うタブレットは、ブラウザーが入っているものなら何でもよい様子。ただAndroid端末は種類が多く、すべてに対応するのが難しいため、基本的にはiOSのSafariを推奨。テキスト配信PCはWindows機のみで、それほどハイスペックでなくても良いのだが、音声認識サーバーは相応なスペックが必要とのこと。ちなみに1台のサーバーで、マイク利用者が4名の会議が5つ分まで同時処理が可能なのだとか。
この「ホンダ・コミュニケーション・アシスタンス・システム」ですが、現在外販の予定はないばかりか、自動車への実装なども考えていないとのこと。「もちろん車両側の開発陣とも技術共有はしています。ですが会議室と車内では技術レベルが大幅に異なります」なのだとか。あくまでもHondaによるHondaのためのシステムというわけです。ちょっと勿体ないような気もします。
こうして生まれたHondaの働き方改革ツール。町 室長によるとHondaは他にも人材多様性を尊重し、ベテラン層の活躍機会の拡大や、キャリア支援制度の導入、女性活躍拡大に向けた仕事と育児・介護の両立支援、さらにLGBTを理解・受容する風土醸成とユニバーサルトイレなどの環境整備に取り組んでいるとのこと。これもまた働き方改革といえるでしょう。
個性的なクルマやバイクが多いHonda。その根本にあるのは、人を大切にする社内風土であることを、「ホンダ・コミュニケーション・アシスタンス・システム」の話を伺いながら、改めて感じました。