3歳児くんの保護者をしてます盛田諒ですこんにちは。12月12日をもって新たに0歳児ちゃんの保護者にもなりました。長男に対する長女、炭治郎に対する禰豆子です。「100人いれば100通りのお産がある」とよく言いますが、実際1回目とは状況がまったく違いました。前回は予定日の一週間前でしたが、今回は予定日を一週間過ぎても生まれる気配なし。しかも今回は未曾有の新型コロナ感染状況下、3歳児がいることもあって、生まれるまで見事にわちゃわちゃでした。ためになるやらならないやら、新型コロナ時代の出産記録を残しておきます。
※記事内では新型コロナウイルス及び新型コロナウイルス感染症(Covid-19)を「新型コロナ」と総称します。
●健診立ち会いできません
新型コロナで何が変わるって、まず、夫が妻の健診に立ち会えません。3年前は妻とふたりでエコーを見ながら「ここが頭で、こっちが足で」などと話を聞けたので「赤ちゃんの成長をともに見守っている」実感が持てたのですが、今回は健診から帰った妻の報告を聞くだけ。ついでに今回エコーの撮り方がイマイチで、妻に「ここが横顔だって」と説明してもらっても何が写ってるのかまったくわからない。記念写真と違うんだからとは思っても、毎回ロールシャッハテストの画像を見せられたときのような顔をしてしまっていました。
新型コロナのおかげで両親学級もZoom開催。病院側も始めたばかりで参加者は私たちだけでした。他の参加者と話したり仲良くなることもなく、ネットごしに淡々と助産師さんの話を聞くことに。「妊婦は入院前に念のためPCR検査を受け、陽性だったらその時点で受け入れ可能な近隣の病院に移る」という説明も初めて受けました。「検査が受けられるのはいいけどまったく知らない病院で生むことになっちゃうのかー」などと言いながら思い出したのは3年前のこと。もし初産でこれだったらむちゃくちゃに心細かっただろうなと思います。
そんなこんなで今回は3年前とまったく違う妊娠生活になり、自分では関心をもっているつもりでも、妻に「一人で出産してるみたい」と言わせてしまうようになりました。やがてお互いの気持ちに澱がたまっていき、3歳児のいる前でデカい声を出してしまったことも。3歳児を大泣きさせてしまったことをムチャクチャに後悔し、さらに口数を減らすというダメな時期もありました。ダメの沼に沈む私をよそにお腹の赤ちゃんがすくすく育ってくれたのは幸いでしたが、他の皆さんがどうやってこの時期を乗り越えたのか聞いてみたいところです。
●(長男は)出産立ち会いできません
次にコロナで変わったのが出産立ち会い。病院が配偶者の立ち会いを許可してくれたのはありがたいのですが、3歳児が入ることはできません。そこで私が立ち会っている間、誰かに3歳児を見てもらわなければと、お義母さんに来てもらうことになりました。とはいえ当日いきなり来てもらうわけにもいかないので、出産予定日の2週間前ごろからお義母さんに泊まりに来てもらいました。
当初は「前回も早かったし今回も早い気がする」と言って早めに準備を進めていたのですが、予想はまったく当たらず。「今夜のような気がする」というお義母さんに翌朝「まだでしたねえ」と返すやりとりをくりかえす日々が続きます。やがて「いつ生まれるかわからん」という緊張と疲れから、家の中はなにやらピンと張りつめた雰囲気に。3歳児も慣れない環境と空気を察してか、毎晩のようにおねしょをするようになりました。結果お義母さんとほぼ1ヵ月にわたって暮らすことになり、意図せず二世帯同居のシミュレーションになってしまいました。
さらに予想外だったのは予定日を過ぎても出産に至る本陣痛がなかったこと。「羊水の湯加減がいいのかね」などと言っていたのですが、さすがに42週を過ぎると母子ともに胎盤の機能が落ちてリスクが出てくるという理由から、41週3日を過ぎたところで管理入院することに。その上で診断を経て、今回は陣痛誘発剤を飲むことになりました。陣痛が強くなりすぎてしまうという過強陣痛のリスクがあることを聞いてビビりましたが、出産の目処がついたことで家の空気がやや緩んだところもありました。私は「こればっかりは神様しかわからないですから」などと言い続けていたのですが、妻が今年で44歳、前回以上の高齢出産ということもあり、言葉の後ろには(頼むぜ神様)というカッコがついた状態でした。
●夕陽に意味づけしてしまったりして
そんなこんなでようやく迎えた出産当日、12月12日はごく普通の土曜日でした。妻は前日から検査のため病院に入り、うちには私と義母と3歳児が残っています。妻は家族の中で初のPCR経験者となり、めでたく陰性だったと報告を受けました。3歳児は普段どおりに児童館で遊んだ後、昼食後に珍しくぐうぐう寝はじめます。「おおっ、これでラクができる」とソファにもたれたちょうどそのとき、「そろそろ来てもらったほうがいいかも」と妻からLINEが。何かを見透かされたような気持ちになり、お義母さんと昼寝中の3歳児に頭を下げて車を出しました。
時刻は夕方16時半ごろ。病院のある町に向け、海沿いの道にブィーンとスズキの軽を走らせます。冬の海はサーファーも少なく、風も穏やかで、空はうっすらピンク色。ふと海にスマホを向けている人たちの姿が目に入り、見ると雲と雲のあわいに赤い光の柱が立っていました。いわゆる太陽柱、サンピラーという現象だそうですが、そのときは「あれに乗って来たってことかな」と自然と思えました。3歳児が生まれたときも、当時住んでいたマンションの窓からとてもあざやかな夕暮れが見えて、「これは来るってことかな」と感じたことを思い出します。
冷静になれば「出産前ってどんな偶然にも意味づけをしてしまうもんだよな」と思えますが、考えてみれば、自分たち自身がこの世界に生まれ、死ぬことなく生きていること自体、天文学的な偶然の上に成り立っているわけです。「私が生まれてきたのはこれをするためだったのか」「神様なんて信じないぞ、道を拓くのは自分だけなんだ」などと、自分が巻き込まれた偶然を勝手に解釈して生きるのが人間です。それにより不幸になったり、幸せになったりするのもやはり人間です。こうして人の生死に際しささいな偶然に大きな意味を求めることは、人が生きることの根っこのようなものなのではないか。むしろ生死を含めたあらゆる出来事が科学や統計で評価され、すべてが必然であるかのように説明されがちな今のような時代こそ、大切なことなんじゃないかと思えました。
思わず主語がデカくなり、抽象的な話が続いてしまいましたが、病院に着いてからはあわただしく具体的な話に巻き込まれていきます。
●本陣痛からわずか2時間のスピード出産
病院に着いたときには17時を回っていたので、いわゆる時間外診療の窓口へ。妻に頼まれたセブン-イレブンのルイボスティーを持ったまま受け付けを済ませ、妻が入っている分娩室に向かいます。「今回はテニスボールで腰を押すぞ」とか「前回はできなかった声かけをしよう」とか考えていたのですが、着いたときはなんとすでに出産寸前。妻は完全に生む体勢になっており、助産師さんの一人が「いい陣痛来てるよ、次で来るかも」と話しかけていました。妻によればテニスボールは助産師さんが使って上手に押してくれたそうです。「そこじゃない!」と言われながら拳で腰をぎゅうぎゅう押していた3年前が思い出されました。
そうこうしているうち「うああーーっ!」と叫ぶ妻の足元で何やら黒いものが見えてきます。「ほっぺたのところが引っかかって、悩んでらっしゃる」という助産師さんの言葉で、それが頭であることがわかりました。「早ッ! てか予定日過ぎただけあってよく育ってるな」などと言っているうちに「ふぅーっ!」と妻が息を吐き、羊水に包まれた赤ちゃんがズルっと取り出されました。17時56分、私が分娩室に入ってからわずか15分後の出来事でした。「生まれた!」と思うが早いが、赤ちゃんは「うあああー!げべげべ」と羊水を吐きながら産声をあげ、布にくるまれていきます。「びっくりしたねえ、急に陣痛(じんちゅう)来たからねえ」と助産師さんが言い、それが赤ちゃんに向けられていることに一瞬してから気づきました。陣痛は波のようなものといわれるので、赤ちゃんからしたら「いきなりビッグウェーブが!」という状態だったのかもしれないです。
へその緒をちょっきり切られた赤ちゃんの「うああーん!」という泣き声と、パルスオキシメーターらしき計器の「ピコーン、ピコーン」という音が響く中、助産師さんが「しっつれーい」と妻の股に手をつっこみ、ズルズルと胎盤をひっぱり出します。トレイに置いた血まみれの臓物に「美しい!」と太鼓判を捺した助産師さんは、ほかの助産師さんよりも早く妻の産気に気づいたんだと、しゃべれるようになった妻が教えてくれました。「『この部屋(妻が入院していた大部屋)にいてはいけない匂いがするぞ』ってことでね」と、助産師さんにサラッと言われてビビります。プロの嗅覚半端ないですね。時間にすれば16時に始まった陣痛からわずか2時間のスピード出産、あと10分私の到着が遅れていたら間に合わなかったくらいの速さでした。心配していた過強陣痛もなく、すばやく生んだことによる膣のキズも少なくホッとしました。助産師さんが「三時切れてない、九時切れてない」とクロックポジションで確認していたことが記憶に残ります。
助産師さんたちが各種処置をテキパキ済ませ、妻の胸に寝かされた赤ちゃんに顔を近づけたとき、一番に衝撃を受けたのは甘い匂いがすることでした。頭からミルクのような匂いがただよっており、「甘い!ちょっとかいでみて!」「んっ本当だ!これは甘い!」と、二人して珍しい食べ物でも見つけたようにくんくん鼻を近づけました。助産師さんに聞いたところによれば「ホルモンの匂い」だということ。3年前、男子が生まれたときは感じなかったので女子特有の匂いなのでしょう。嗅覚の記憶はとても強いと言うので、私と妻はこれから粉ミルクの匂いをかぐたび赤ちゃんの顔や声を思い出すのかもしれません。くじけそうになったときはスーパーで粉ミルクを買ってこようかと思います。
●この美しい世界にようこそ
その夜は結局、驚異的なスピード出産のおかげで3歳児が寝るまでに帰ることができました。なぜか立ち会ってきた私より興奮していた3歳児を寝かしつけた後、眠りに入るまでの数分で出産までの1ヵ月をぼんやり振り返り、大変だったけど、得難い経験ができたなと思わされました。これが最後の出産だろうと思うとなかなかスリリングなフィナーレだったなあと。もしもこれが初産で、新型コロナのおかげで義父母世代の支援も得られないという状況だったら、スリリングなんて言ってられなかっただろうと思います。孤独を感じ、追いつめられて、耐えられない思いをした人も少なくなかったんじゃないかと思います。この時代に赤ちゃんを迎えたすべての人、何より妻、本当にお疲れさまでした。そしてこの時代に生まれてきたすべての赤ちゃん、この美しい世界にようこそ。
(次回は年明け「1人目と2人目の違い」を中心に育児記録をつけていきます。ベビーグッズの試用レポートなどもお届けしますのでお楽しみに)
書いた人──盛田 諒(Ryo Morita)
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