次男が生まれたとき、夫の実家に入って二世帯で暮らす計画が重なり、かなり慌ただしい出産となりました。それでも優しい義父母に子育てを手伝ってもらえるだろう、という私の甘えた腹積もりをしていました。
しかしそれは大誤算でした。義母が統合失調症になってしまったのです。それからの私の生活はガラリと変わってしまいました。
●義母の介護をしながら二人の息子をワンオペ育児
今までは、長男一人と二人で日中を過ごす穏やかな日々でした。しかし次男が生まれてから、新生児をみながら、走り回る長男と誰かがそばにいないと不安でどうしようもなくなる義母の三人同時に面倒をみなくてはならなくなりました。
この時期が一番つらかったです。思い出しただけで自然に涙が出ます。その当時夫は仕事でほとんど家におらず、まさに俗にいう『ワンオペ』育児&介護でした。私も産後の体調がすぐれない中、朝から晩まで義母と同じ部屋で過ごし(トイレもついてきました)、長男次男のオムツを替え、母乳を与え、炊事洗濯掃除の一通りの家事をする。夜中も数時間に一度の授乳と、義母が不安がって寝室に来るたび寝かしつける。…ひたすらこの日々の繰り返しでした。とにかく私以外のしっかりとした大人がいない、誰にも相談できない状態に、気が遠くなる思いでした。
●長男には可哀そうなことをした
また、長男には可哀そうなことをしたと申し訳なく思っています。義母が外出を嫌がるためすぐ近くの公園にも行けず、外遊びをほとんどしていません。おむつを買いに行くこともできず、仕事中の夫に泣きながら電話したこともありました。
そして私は常にイライラしていて、一番弱い立場の長男につらく当たってしまったこともありました。まだ、2歳になったばかりの子に大きな声で叱ったりして、その夜寝顔に何回謝ったか。今思うとダメな親だったと思います。
●「家事をしなくても死なない」という気づき
さらに追い打ちをかけるように、息子たちが発達障害だと診断されました。「障害」という言葉はかなりショックでした。しかし、それが私の子育ての大きな転機でした。
一時的に義母を預け、発達障害の子供をケアする地域の療育センターに通い始めた私は、そこで様々な子育てに関する悩みを相談することができたのです。また、そこで知り合った同じ障害を抱える子供のお母さんとも仲良くなり、悩みを共有することができました。それによって大変なのは私だけじゃないと感じ、気持ちが救われました。
そこで知り合った方々から「家事をしなくても死なない」とアドバイスされたのは、私にとって目から鱗でした。今までの私は、完ぺきにしないとダメな妻・母認定されると感じていたので、育児に追われて家事が滞ると自己嫌悪になっていました。でも、ごはんなんて冷凍チャーハンでいいし、掃除だって毎日しなくていい。そんなふうに考えることで気持ちが楽になりました。
●頑張って育児をしたことが自分の誇りに
こんな私がなんとか子育ての大変な時期を乗り越えられたのは、やはり気持ちを分かってくれる人の存在と、完ぺきを目指すのではなく適当でいいと気持ちを切り替えたことでした。まあいいやと心に余裕を持てば、子供に優しくなれる、お母さんが笑顔なら自然と子供もご機嫌になる。そんな良いスパイラルができ、子育ても楽しくなりました。
現在、息子たちは14歳と12歳。私の介護する姿を見て育った彼らは、とてもやさしい男の子に成長しました。まだまだ迷いながらの子育てですが、あの時頑張って育児をしたことが私の誇りになっています。これからも心に余裕をもって「適当に」頑張っていきたいです。
文● 伊藤りん
仕事中心の生活から一転、妊娠を機に専業主婦へ。子育てと義母の介護をワンオペしているときに、息子たちが発達障害と診断される。同じように困っている子供たちの役に立ちたいとの思いで、現在は大学で学生サポートの仕事をしております。
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※筆者による寄稿記事です