玄界島は「猫の島」としても知られる
船を降りればそこは猫の島。地べたに寝そべったり、のんびりと歩いている猫の姿が目に入る。
福岡市内中心部から北西約20キロメートル沖にある玄界島だ。猫たちはほおをよせ、鼻をくっつけ、仲睦まじい姿を見せている。海釣りしている人が下を指さすので、のぞきこむとテトラポットに大きなトラがいた。港では、もらったのかくすねたのか、ハチワレがワイルドに雑魚を噛んでいた。
玄界島で7月27日から3日間、福岡青年会議所主催の「ミナギルサイノウ2019」サマーキャンプが開催され、小学4年生から中学2年生まで32人の子どもが集まった。
奉仕の精神を学び、子どもの才能を発掘することを目的に、通常のキャンプに加え、総務省「異能vation」プログラム事務局提供のワークなどをしながら3日間を過ごした。玄界島が選ばれたのは、学校とも家庭とも違う環境を感じるため。同所FUKUOKAサイノウ発掘委員会 竹田亮介委員長は、「変化の激しい時代にたくましくなってほしい」と子どもたちに話していた。
集まった子どもたちは、はじめみなかたい表情を見せていた。6〜7人ずつ1つのチームに分かれたが、お互いのことを知らないこともあってか、チーム名を決めるだけでも共通点をまわりから探りあうように話をしていてかなり時間がかかっていた。36歳子持ちとしては親目線になり、「好きなものは?」などと口をはさみたくなってしまった。子どものことは子どもが決めねばならんのである。
●島中を使って「宝(食材)探し」
キャンプ一日目、子どもたちが取り組んだのは食材探しゲームだ。
地図を頼りに島に隠されたカレーの食材を見つける、食材版の宝探し。食材は肉なら「豚」「鶏」「牛」「ミンチ」「シーチキン」などのカードが用意されていて、どんな食材でカレーができるかは早い者勝ち。簡単なプログラミングゲームで勝負して、優秀な成績をあげたチームが先に出発するというもの。遊びの中でプログラミング的思考にふれられるという「異能的」な趣旨になっている。
プログラミングといっても使うのはパソコンではなく紙とえんぴつだ。
紙には9×9のマスがあり、マスには「肉」や「野菜」などの「食材マス」がある。スタート地点に置いたミニカーに「前に進む」「右を向く」「左を向く」の指示を出して動かし、食材マスをすべて通過して最も少ない指示でゴールをめざすという内容だ。「右を向く」「左を向く」もひとつの指示(一手)と数えるため、曲がる回数を減らしたほうが効率的ということになる。プログラミング的思考を学べるゲームだ。むかしBASICでこんなゲームをやったことを思い出した。
子どもたちの食いつきはすさまじくよかった。「左からはじめたら?」「いやこっちいらん」などみんなで考えるチーム、指示を考える役と「指示カード」をまちがえずに置く役に分かれるチームなど性格がそれぞれわかれたが、ああでもないこうでもないと騒ぐ姿はとても楽しそうだった。
結果もっとも優秀な成績をおさめたのは32手でゴールできたチームだ。
多くが33手で終える中、最後の1手をつめたことが勝敗を分けた。ゲームを提供した異能vationプログラム事務局の福田正氏は、「ITの世界ではたった1つの差が大きく分ける」と説明。1位のチームをたたえてみせた。2番手のチームは「ぐぬぬ」な表情で、それはそれでかわいらしい。
子どもたちは順に地図を手渡されると、どの順番で回るのが効率的か、「プログラミング、プログラミング……」と唱えながら考えていた。ゲームの効果てきめんである。
1位に選ばれたチームは「Aは4人で行けるけん、Cに2人で行って!」と言ったが早いが駆け出していき、わたしと同伴の大人たちはあわてて後を追いかけることになった。
小さな島だが高低差も考えればそれなりに広い。子どもたちは地図をもとに「こっちや!」と公園や校舎などを飛びまわり、カードを見つけては「あったよ!」と目を輝かせていた。
一方の大人たちは汗みずくになり、ゾンビのような顔でついていくことになる。「かき氷食べたいですね」「ビール飲みたい」「暑いときこそもつ鍋ですよ」などと大人たちで盛り上がっていると、女の子が「大人たちがつまらんこと言ってるね」と冷めた声で言っているのが聞こえてきた。
子どもたち(というか大人たち)が疲れきった顔で集会所にやってきたのは夕方だ。食材の組み合わせはチームごとにめちゃくちゃ、それなりで大きくわかれたが、カレーのふところの深さで、煮込んでしまえばどれもそれなりの味になる。食欲も手伝ったのだろう、結局カレーの順位を決めたみんなの投票では、得票数にほとんど差がつかない結果になった。
●旗作りと異能ワークで子どもの個性が爆発
キャンプ二日目、まだ疲れが残っていたのか、子どもたちは目をこすりながら集まってきた。取り組んだのはチームの旗作りワーク。ブルーシートの上に白い布と3色の塗料が用意されるので、チームごとにテーマを決めて旗を作り、完成後にみんなで講評しようという内容だ。
子どもたちははじめこそ戸惑っていたが、「3色しかないんでしょ?」「みんなで描いていったらいいかな」「手型やってみる?」などと言い合い、比較的すぐに描きはじめた。モヤッとした条件のまま描きはじめたり、リーダーの子が指示をして決めたりそれぞれのチームの個性が出るのがおもしろい。初日はチーム名を決めるだけで長い時間がかかっていたのにと思うとちょっと驚きだ。
30分ほどで完成した旗にはチームの性格が出たが、子どもたちの講評にそれぞれの個性があらわれるのも面白かった。たとえば「ハートが雨を降らせている絵かな」と評された旗はキャンプファイヤーを描いたものだった。ハートに見えたものは逆さまになったキャンプファイヤーで、雨に見えたものは火の粉だったわけだ。同じ世界を見ていても、見える世界は人によってまったく違う。
濃淡のちがう緑色の手型を中心に、筆で塗料を飛ばしたりして複雑に色を重ね、ジャクソン・ポロックのように抽象的な旗を作ったチームもあった。
葉をかきわけ、森の奥にわけいっていくようなエネルギーがあり、個人的にはいちばん好きな作品だったが、当の子どもは「最初は手型で終わらせるはずだったけどめっちゃ描きすぎて変な感じになっちゃった」と残念がっていた。ワークの担当者は「体を動かすことで脳で考えたものとは違うものが出てくる。自分が思ったものと違うゴールにたどりつくことがあるということがわかったということだね」と説いていて、教育者としてそういう言い方があるのかと感心した。
旗作りを終えたあと子どもたちが取り組んだのは、異能vationのプログラムをアレンジしたワークショップだ。異能vation「ジェネレーションアワード」は、未来がよりよくなるようなちょっとした独自アイデアを募集するもの。子どもたちは「玄界島に来て困ったこと」をもとにこれがあったら便利かもというアイデアを考えることになり、わたしたち大人たちにもおなじ課題が与えられた。
子どもと大人たちが20分ほど考えた結果、「玄界島に来て困ったこと」としてあげられたのはほぼ同じ。「店がない」「坂が多い」「宿泊先がない」「人が少ない」「交番がない」「船がないと来られない」などだった。課題が普通な一方、アイデアは子どものほうが圧倒的にぶっとんでいた。
「海に浮かぶホテルを作る」「ガラスばりの海底トンネルを作る」など海を大胆に利用したアイデアのほか、島の人口が減っていることの解決策として「人間作り機を作る」というすさまじいアイデアも出た。実現可能性はさておき、破壊的創造という意味では強烈なものがある。
●変化の中でも生きていく力を
最終日に子どもたちが取り組んだのは、島への感謝をこめたゴミ拾い。ここでも勝敗がつくということで、トングとゴミ袋を手渡された子どもたちはわれさきにとゴミを探しはじめた。
「(ハングルが書かれた漂流物のゴミをさして)韓国けっこうあるね」「テトラめっちゃあるよ(テトラポットのすきまにゴミがたくさん入っていた)」と言いながら子どもたちは次々とゴミを拾いあげていく。
「何が多かった?」と聞いてみると「発泡スチロールかな」。ごみ袋をのぞいてみると、漁師たちが魚を入れておくクーラーボックスやブイ(浮き)などの漁具が多かった。マイクロプラスチックのもとになる海洋ごみで、これこそ異能的な解決のアイデアが必要になりそうだ。
ゴミ拾いを終えて、プログラムはすべて終了。キャンプを主催した竹田亮介委員長は、集会所に集まった子どもたちに向けて「これから世の中は変わっていきます」と言い、ふたたびキャンプのねらいについて話した。
「スマートフォン、タブレット、パソコン、インターネット。時代はすごいスピードで進化していて、今後どんな時代になるかというのはわたしたちも全然わかりません。いろんなことが起き、いろんなものが変化する中、たくましく、強く生きていく力を養ってほしいと、このキャンプを企画しました。相手を思いやる気持ち、感謝する気持ち、自分が一歩踏み出す勇気など、世界にはいろんな大事なことがあります。みんなもそれを少しずつ経験してくれたのかなと思います」
変化の中で生きていく力と言われ、連想したのは震災のことだ。
玄界島は2005年に発生した西方沖地震の被災地としても知られる。玄界島震災復興記念誌によると島の推定震度は6弱〜7程度。家屋のほぼ半数が全壊し、残る家屋も半壊または一部損壊の被害を受けた。幸い死者は出なかったが10人の重傷者、9人の軽傷者が出ている。島民約700人は全島避難を余儀なくされ、福岡市中央区港の仮設住宅などで避難生活を送ってきた。その後3年かけて復興が進み、島民たちは2007年に帰島を始め、それぞれの生活を立てなおしてきた。のんびり暮らしているように見えた島の猫たちの中にも震災をたくましく生きのびたサバイバーがいるのかもしれない。
温暖化や気候変動の影響もあり、日本は自然災害がたえない。わたしが子どものころは気温が40℃近い酷暑の日が続くことなんてなかったはずだ。エネルギー源を含めた資源も確実に減っていく中、子どもたちの世界は生物として生きる力がさらに必要になりそうだ。いま言祝がれている情報通信の力だけでなく、もっと原始的な生きのびる力が。その中では、勝者が他人から奪い、独占するのではなく、その場に居合わせたもの同士で与えあい、助けあいながら生きていくキャンプのような力こそが変わりゆく世界の希望になりそうだ。まあそんなことを言っていると子どもには「大人たちがつまらんこと言ってるね」と言われてしまうかもしれないが。
竹田委員長が話を終え、子どもたちが帰り支度を始めたまさにそのとき、窓の外では突然の豪雨が降りはじめた。帰りの船の時間は近づいている。大人たちが「まじかよ」という顔をしている中、子どもたちは荷物をかかえて飛び出していった。叩きつけるような雨音の中、びしょぬれになりながらきゃあきゃあ言っている子どもたちの声はひときわ明るく聞こえてきた。
書いた人──盛田 諒(Ryo Morita)
1983年生まれ。2歳児くんの保護者です。Facebookでおたより募集中。
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