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著者に聞く・レンタルなんもしない人:

話題の「レンタルなんもしない人」が生まれた理由

2019年04月19日 09時00分更新

文● 盛田 諒(Ryo Morita)

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●ときには必要とされる価値

──誰かのために仕事をしているという感覚はなかったですか。

 ないです。ただテレビ取材が入って、依頼者に撮影許可を確認する窓口になったことがあって、そのときは仕事している感覚がありました。義務感、責任感が発生するというか。ふだんは依頼者と対等の立場で、お客さんと接している感覚はないんですが、「テレビの撮影が入ってもいいですか」と確認させてもらうことで、こっちが立場として下になる。依頼中も「すいません」とストレスが続く感じで大変でした。ただ、ぼくは基本的にミーハーなので、「テレビに出られるんなら全然アリだな」と受け入れられる範疇でした。

──今年1月からは依頼者やフォロワーからAmazonギフト券などの金品を受け取ることが増えてきて、収入のようになっています。

 「お金ってほんとよくわからない経路で発生するな」と思うところはありますが、さすがに単発です。生活を支えるとなると、漫画化や書籍化など商業的なものに関わらないかぎり、今のところできないです。いまの生活も書籍の印税を早めにもらったりというところで成り立っています。

──やろうとすれば、他人の援助で生活することもできませんか。

 できるとしても、やってもらうストレスがあります。「貯金が尽きました」とツイートしようと思ったこともあるんですが、そうすると一部のめちゃくちゃよくしている人に対して気をつかってしまうことになるんですよね。自分の身を削ってくれているんじゃないかと思ってしまう。それはストレスです。「レンタルなんもしない人」の続行を希望する人たちが負担にならない程度になんとなく援助してくれて、なおかつぼくもそんなに気をつかわなくて済むようないい感じのシステムがどこかからわいてきたらいいのになとつねづね思っているところです。

──現在の職業は「文筆業」としていますね。

 ブログを毎日更新していたときは「自分の頭から出てくるものをたれながすだけでお金になればいいな」と思っていたんですが、それだと続かなかった。「レンタルなんもしない人」をやっていくといろんな人たちの話を吸収できる。もし今の活動では生きていけなくなったとしても、経験をもとにコラムなり連載なりができるかもしれないと思います。ただ、現時点ではそれは「なんかしてる」感が強いので気が乗らず、文筆業としてはツイッターだけで精一杯です。

──書籍の編集者・江坂祐輔さんは、いまの世の中にはなんもしないことによる充足感が必要なのではないかと書いていました。実感はありますか。

 なんもしないことの価値がすごく大きいとは思っていません。活動がなくなっても世の中は変わらないし、ぼくがいなくても世の中は普通に回っていくと思います。ただ、なんもしないことの価値もときには必要というのがわかりました。



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