米国とは異なり、Facebookに警戒心が薄い日本の雰囲気
日本に帰ってきて明確に空気が違うと感じたのが、Facebookに対する警戒感の薄さでしょうか。
多くの人々がFacebookでプライベートや子どもの写真を投稿し、今まで通りコミュニケーションを楽しんでいます。なんとなく、Facebookに取っての理想郷が、まだ日本には広がっているような、そんな印象を受けました。それだけ、Cambridge Analyticaのスキャンダルの報道がきちんと伝わっていなかったか、他人事として捉えられていたのかもしれません。
もちろん、それ自体は良し悪しの問題ではありません。そうした個人情報の流量に警戒した上で楽しんでいる、というよりレベルの高いユーザーが揃っていると見ることもできます。あるいは英語ではないという点で、海外のユーザーから言語的な部分で守られているという可能性もあります。
もっとストレートに言えば、日本語の投稿、日本人の写真はハッカーにとっては利用価値がないと考えているのかもしれません。このことはあながち、冗談ではないかもしれません。
グローバル化によって身の危険もローカルからグローバルへと拡大しており、その最もわかりやすい例がインターネット空間です。その点で特にセキュリティとプライバシーの問題は、身近なものとして取られていく必要があります。
一つ欠けている視点
GoogleやFacebookは、明らかに我々の生活を便利にしてくれています。街中でランチに迷ったとき、Googleで周辺のお店を見つけることができるでしょうし、Facebookで【急募】とおすすめのお店を友人に聞いたら、知っているお店を教えてくれるかもしれません。
我々にとって、情報とコミュニケーションに対するコストを格段に下げてくれているのがこれらのサービスです。インターネットがある生活の大きなメリットと言えるかもしれません。
そして、我々はGoogleとFacebookにコストを支払っていません。にもかかわらず、これらの企業は最高益を更新し続けています。ここで考えることは、一般の利用者は「ユーザー」ではあるけれど「顧客」ではないという点です。
ウェブ広告のビジネスモデルなので、顧客は広告を出稿する広告主ということになります。もちろんユーザーが集まっての広告価値ではありますが、我々がコストを支払って検索をしたり、友人とつながったりしているわけではありません。この点をどう評価するか、ということです。
もし無理矢理コスト計算をするなら、個人の行動データと時間を支払っていると言えるかもしれません。もちろんこの議論には結論はなく、皆さんがどう思うかが重要だと思います。筆者がGoogleやFacebookの使用をやめることはありません。
筆者紹介――松村太郎
1980年生まれ。ジャーナリスト・著者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)。またビジネス・ブレークスルー大学で教鞭を執る。モバイル・ソーシャルのテクノロジーとライフスタイルについて取材活動をする傍ら、キャスタリア株式会社で、「ソーシャルラーニング」のプラットフォーム開発を行なっている。
公式ブログ TAROSITE.NET
Twitterアカウント @taromatsumura
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