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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情第477回

業界に多大な影響を与えた現存メーカー コンピュータービジネスに参入したIBM

2018年09月24日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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世界最初の電子式汎用コンピューター
ENIAC(エニアック)が誕生

 前回の最後でENIACに触れた。世界最初の「電子式『汎用』コンピューター」である。つまり機械式リレーや歯車/モーターを使わない、純粋に真空管のみで構成されたシステムである。

ENIACは幅30m×高さ2.4m×奥行き0.9m、総重量27tで、真空管1万7468本を利用して製造された。したがって、この大きさなのもむべなるかな

 以前は「汎用」という文言が入らずに「世界最初の電子式コンピューター」と呼ばれていたのだが、ENIACに先んじてABC(Atanasoff-Berry Computer)と呼ばれる、やはり電子式のコンピューターが1942年に完成していた。

アイオワ州立大に展示されているABCのレプリカ。280本の真空管と、31本のサイラトロン(特殊な真空管の一種)から構成されているので重さは280Kgとすごいが、ENIACに比べると規模としては小さめだ

 開発したのはアイオワ州立大学のJohn Vincent Atanasoff教授と教え子のClifford Berry氏で、彼らの名前を取った形だ。あいにくABCはプログラム内蔵式でないとか、目的は(Atanasoff教授の研究に必要な)最大29元の連立方程式を解くというもので、このあたりもあって「汎用」とは呼びにくい。

 ただこのABCは1942年からさまざまな物理分野の計算や、同様の計算が必要だった同大農学部での計算に用いられた実績があるため、現在では世界最初の電子式コンピューターというとこのABCを指すのが一般的である。

アメリカ陸軍将校の目に留まったことから
ENIACの開発がスタート

 話をENIACに戻す。ENIACはペンシルバニア大のムーアスクール(Moore School of Electrical Engineering:これは既に存在していない)のJohn Mauchly教授が、電子式コンピューターのプロポーザルを作ったところからスタートする。

 Mauchly教授はムーアスクールでさまざまな電子式コンピューターを研究しており、このムーアスクールの卒業生だったJ. Presper Eckert氏が協力してプロポーザル(と、その後の設計)を手伝った。

 Mauchly教授は自身のプロポーザルを備忘録の形でムーアスクール内で回覧している。この備忘録は、アメリカ陸軍からムーアスクールに来ていた連絡将校のHerman Goldstine中尉の目に留まった。

 当時陸軍は、それこそ前回紹介した弾道計算以外にも多くの科学技術計算の必要性があり、これらを高速に処理できるコンピューターのシステムを模索していた。

 かくしてGoldstine中尉はMauchly教授に正式なプロポーザルを出すように依頼し、これを基に1943年4月にアメリカ陸軍とムーアスクールの間で“Project PX”という名前での契約が結ばれ、ENIACの開発がスタートすることになった。

 大学に連絡将校がいるのは、昨今の状況では違和感があるかもしれないが、この当時はそれほど珍しいものでもなかった。実際ムーアスクールでEckert氏はレーダータイミングの研究をしており、また1941年からはムーアスクールで行なわれていたESMWT(Engineering, Science, and Management War Training)という、アメリカの旧陸軍省がスポンサーの夏期講習で先生を手伝ったりしている。

 軍事と大学は、この当時非常に近しい関係にあった時代だからこそ、という話でもある。そんなわけでProject PXがスタートしてMauchly教授は概念設計を、Eckert氏はハードウェアエンジニアリングの指揮をそれぞれとることになった。

 ただ、Mauchly教授やEckert氏に加え、多くのムーアスクールの有能な人間やエンジニアが加わったとはいえ、あくまでも大学であるため製品の製造過程をすべて自身で行なうのは無理がある(これは陸軍も同じことだ)。

 したがって製造にあたっては、多くの企業と契約を結び、共同で開発と製造をすることになる。そうした企業の中にはもちろんIBMも含まれていた。IBMはENIACの開発に際してペンシルバニア大と契約を結び、ハードウェアの製造などを提供している。

 またENIACは入出力にIBMのパンチカードを利用しており、また打ち出されたパンチカードはIBMのTabulating machineを使って印刷できるようになっていた。このあたりの周辺機器に関してもIBMが手掛けたのではないかと思われる。

 このENIACの開発は前回説明したSSECとは別の部隊が並行して行なっていたので、SSECの開発にはあまり関係がなかったのだが、ENIACの製造とその後の運用は、IBMにとって得難い経験を獲得するチャンスだったようだ。

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