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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第476回

業界に多大な影響を与えた現存メーカー 軍事技術開発で転機を迎えたIBM

2018年09月17日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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独占禁止法違反で敗訴するも
現代社会の維持には必須の企業に

 このやり方にクレームをつけたのが連邦政府である。1932年に連邦政府は独占禁止法違反でIBMを提訴する。要するにパンチカードの方式の書き込みをやめろ、という話であって、最高裁までもつれ込んだものの最終的に1936年にIBMは敗訴。IBMはパンチカードの仕様を定めることはできるが、その仕様に基づいた他社の製品(パンチカードそのものやパンチカードリーダーなど)を拒めない、ということになった。

 ただこの訴訟の影響は、実はそれほど大きくなかった。というのは訴訟が進行している最中もIBMの顧客は引き続き大量のカードをパンチして使っており、そのためにIBMからさらなるパンチカードリーダーなどをリースしていたから、この判決が出たからといって急にリースバックして互換機メーカーのリーダーを購入するなんて動きはなかったし、時期的には大恐慌の最中ではあったが、むしろ大恐慌の最中だったからこそというべきか、Tabulating Machineへの需要は増えこそすれ減らなかった。

 この傾向に拍車をかけたのが、ルーズベルト大統領によるニューディール政策である。皮肉な話ではあるが、ニューディール政策を遂行するために1935年に新たに設立された社会保障庁(The Social Security Administration)では、まだIBMへの訴訟が続いてる最中に400台のTabulating Machineと1200台のキーパンチャーをIBMに発注している。要するにもうIBMは、現代社会を維持するためには欠かせないシステムを提供するようになっていたというわけだ。

 そして1939年に第二次世界大戦が始まったことで、さらに加速されることになった。大規模な戦争を遂行するためには大規模な後方支援設備が必要であり、そこには膨大な量の会計作業が付いて回る。これを遂行するためにはTabulating Machineは必須であった。

 1935年には2100万ドルだった売上は1940年には4500万ドルに、1945年には1億3800万ドル、翌1946年には1億4200万ドルにまで膨れ上がっている。ちなみにインフレ率から換算すると、2018年では17億7100万ドルほどの売上に相当する。社員数は1945年の時点で18000人あまりになっていたが、この規模でこの売上はかなり大規模ではある。

第二次世界大戦勃発で
軍事技術開発が進む

 第二次世界大戦(と太平洋戦争)は、IBMに新たなビジネスチャンスをもたらすことになった。それは軍事向けの技術開発である。

 まず最初に要求されたのが弾道計算の用途である。例えば戦艦の主砲の場合、温度湿度や砲の迎角、風、砲齢や装薬の起爆力(ここには製造してからの経過年数も関わる)、さらには地球の自転まで加味して弾道計算を行なう必要があった。

 もちろん戦闘が始まってから弾道を計算などしていられないので、あらかじめ計算を行なって分厚い弾道表と呼ばれるハンドブックを作っておく。戦闘に入ったらハンドブックを引っ張り出して装薬やら迎角やらを決めて撃つことになるわけだ。

 問題はこの弾道表の作成に、1門あたり1ヵ月以上かかっていたことで、これを短縮するために高機能な計算機が必要とされた。IBMがこの目的に応じて1944年に開発したのが、Harvard Mark Iである。

世界初の電気機械式計算機「Harvard Mark I」。幅16m、高さ2.4mながら奥行きはたったの60cm。この中に15.5mの軸が通っており、これがモーターで駆動されていたそうだ

 設計はハーバード大のHoward Aiken教授で、Aiken教授は1937年にコンセプトを複数の企業に提案。IBMは1939年にこれに応じ、以後Aiken教授とIBMのエンジニアによって作り出された世界最初の「電気機械式」コンピューターである。

 電気機械式、というのは要するにタイガー計算機(これを使ったことがある人は、筆者と同年代以上だろう)と同じ歯車式の計算機であるが、動力が電気(出力5馬力のモーターで駆動されていた)という点がタイガー計算機との大きな違いである。

 23桁の十進数を72個搭載し、24chの入力テープを使ってプログラミングが可能だった。演算速度は加減算が毎秒3回可能とされているから3IPSということになる。

 ちなみに乗算や除算、特殊関数はずっと遅かった。プログラムには分岐命令や制御命令が一切なかったそうで、長い計算をするには(物理的に)長い入力テープが必要になる。今の水準からみれば、なんともレベルが低いという気もしなくはないが、当時からすれば画期的な性能だった。

 納入先はハーバード大だったのだが、納入前にアメリカ海軍の船舶局が利用していたというのは、おそらく先に説明した弾道計算に用いていたものと思われる。

 このHarvard Mark Iは、ビジネス的に言えばIBMにとってはおもしろくないものだった。IBMはこれをACSS(Automatic Sequence Controlled Calculator)と呼んでいたが、Mark Iの発表に際してAiken教授は「自身がMark Iを『発明した』」と語り、IBMの功績をほとんど語らなかった。

 またこれに続くMark II以降ではIBMと袂を分かち、Mark IIでは機械を排してリレー式に、Mark IIIでは演算素子に真空管を、Mark IVでは記憶素子にコアメモリーを採用するなど、どんどん進化していった(これらはいずれもアメリカ海軍の資金で開発された)。

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