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豊かなオフィスでとがった事業を生み出し続ける青年ベンチャー

仙台からグローバルを見据える多面体企業グレープシティ見学記

2018年05月23日 09時00分更新

文● 大谷イビサ/Team Leaders

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自然の中でいきいきと業務に向き合える豊潤なオフィス

 他の3事業のオフィスも広大なスペースを有効活用しており、とにかく開放的。こだわりの木目の内装が充足感を感じさせてくれる。さらに外には広大な庭や池まである。初夏や秋は実に気持ちよさそう。もちろん、冬はとても寒いだろうが、ある意味、それが自然な姿でもある。

キャンパスは大きく3つの建物で構成されている

広々としたエントランスは上も吹き抜け

開発ツール事業部のスペースも木目基調

オフィス内に池がある会社ってそんなにない

仕事が煮詰まっても外に出ればこの景色

 オフィスの感想を一言で言い表せば「豊潤」といった感じか。「えっ?なんでこんなスペースがあるの?」とか、「家具がなんでここまで立派なの?」とか、「なぜ仙台の奥地にオフィスがあるの?」とか、都会のオフィスに住まうわれわれとしてはいろいろツッコミたくなるが、たぶんこの発想自体が効率化のみを追求してきた今の日本企業の行き着いた先だ。「心豊かに仕事に向き合える。自然の中で楽しくコミュニケーションできる。ほかになにが必要なんだ?」とオフィスが饒舌に語ってくる。満員電車に揺られ、働き方改革のかけ声で1分1秒の生産性を求められ、蛍光灯の狭いオフィスでPCに向き合う都内で働くわれわれとまったく違う時間と空間がここにはある。

外国人伝道者が仙台に創設したグレープシティ誕生秘話

 こんなグレープシティなだけに創業の経緯もユニークだ。今から38年前の1980年。創設者であるポール・ヘラルド・ブローマン氏は、 太平洋戦争終了後に進駐軍の衛生兵として来日し、日本の惨状にショックを受け、兵役後に伝道師として再来日。北海道や東北を中心にテント生活で伝道活動を続けた後、日本人と結婚し、幼稚園と小学校を創設する。

 その後、ブローマン氏は42歳で日本に帰化し、妻の旧姓と出身地の岩手県の頭文字から苗字をとり「岩佐 勝」と改名。現会長のダニエル・ファンガー氏と当時高価だったパーソナルコンピューターを購入し、プログラミングを独学で学習し、学校のためのオリジナル会計ソフトを作る。この会計ソフトを事業の軸として創設されたのが、グレープシティの前身にあたる文化オリエントだ。

 1983年、私立学校法人向け経理ソフト「LeySerシリーズ」の販売からスタートした文化オリエントだが、自らのソフトウェア開発のためにMS-DOS版BASICの「開発ツール・ライブラリシリーズ」を手がけることになる。このとき生まれた開発支援ツールが現在のグレープシティの主力事業になっており、その後ActiveX、.NET Framework、そしてJavaScriptなど時代のトレンドとともに進化を続けている。そして、今年は開発支援ツールが発売されて、いよいよ30年になり、7月10日は都内で「Toolsの杜」という記念イベントも行なわれる。

 前述の通り、私学向け経理ソフト、開発ツールだけではなく、グレープシティには映像制作と英語教材という事業もある。映像制作は1980年代、家庭用のビデオカメラで幼稚園の研修旅行を撮影したことがきっかけとなり、幼稚園の一部を改修し、ビデオ編集室を作ったことから始められた事業。また、英語教材に関しては幼稚園の設立当初から力を入れていた英語教育がベースとなっており、教材のみならず、トレーニングやマニュアル、サポートなどが統合されたカリキュラム「GrapeSEED」として事業化されている。チャレンジ精神から生まれた多角的な事業が、今もグレープシティのグローバル展開を支えているのだ。

 一見すると、統一感に欠けたグレープシティの事業ポートフォリオだが、「やるならとことん」「必要なモノは自分たちで作る」、そして「日本人のために役立つこと」という精神が共通して根底には眠っている。異国の地で事業を立ち上げた創業者のマインドを今も引き継ぎ、新規事業の立ち上げやグローバル化を着々と進めてきた、いわば青年ベンチャー。それがグレープシティだ。

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