このページの本文へ

前へ 1 2 3 4 次へ

これからのフォントには多様性が求められる

渡すべきバトン。アドビ西塚氏が、フォントを作り続ける理由

2017年08月17日 10時00分更新

文● 貝塚/ASCII

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷

アドビでチーフ タイプデザイナーを務め、 源ノ明朝のデザインを担当した西塚涼子氏

 地下鉄の案内板や、車内表示、電光掲示板、大型ビジョン、家電量販店……すこし考えてみただけでも、多言語で表記されているコンテンツを見かける機会は、ここ10年ほどのあいだに大きく広がった。

 英語表記を併用するコンテンツは、日本の歴史の中でも古くから数多くみられるが、近年の特徴としてあげられるのは、中国語、韓国語表記の比重の高さではないか。国土交通省のレポートによれば、10年前の2007年と比較して、訪日外国人の数は、835万人から、1973万人(2015年時点)へと2倍以上もの成長を見せている。この中で、中国、韓国、台湾、香港からの旅行者は、およそ70%を占めるという。

中国語、韓国語表記を見かける機会も増えた

 多言語表記が求められるシーンが増えるのは、必然的な流れであり、中でも日中韓国語に高い比重が置かれるのも自然なことなのかもしれない。そんな時流の中、アドビがグーグルとの共同名義でリリースしたPan-CJK(中日韓)書体ファミリーの第二弾「源ノ明朝」は、2015年リリースの「源ノ角ゴシック」と同じ「源ノ」ファミリーに含まれるセリフ書体である。

 そんな現代において意義深いこのフォントは、今後、デジタルコンテンツでも広く扱われていく予感を覚えさせられる。アドビでチーフ タイプデザイナーを務め、 源ノ明朝のデザインを担当した西塚涼子氏の、デザイナーとしてのパーソナルに迫るとともに、「源ノ明朝」にまつわる話をうかがった。

迷いの中で飛び込んだタイプデザインの道

――西塚さんは、「源ノ明朝」以前に、「りょう」「かづらき」など、合計で6つのフォント手がけられてきました。タイプフェイスデザイナーとしてキャリアをスタートさせたのは、いつ頃になりますか?

「もともと、大学生の頃からタイプデザイナーを目指していましたが、卒業するときに、タイプフェイスデザイナーという職業を募集しているところがなくて、グラフィックデザイナーとして2年間だけデザイン事務所にいたんです。ロゴを作ったりですとか、パッケージを作ったりですとか。

 卒業から2年間くらい経った頃に、大学の恩師から、『アドビのタイプデザイナーに空きがあるけど、応募してみる?』と言われて。そこからですね。でもその時点では、グラフィックデザイナーになるか、タイプフェイスデザイナーになるか、迷っていたところもあったんです」

グラフィックデザイナーの道も考えていたという西塚涼子氏

――グラフィックデザイナーとしての道も考えていらっしゃったんですね。

「そんなお誘いがあって、はじめはどうしようか迷ったんです。でも、先輩のデザイナーたちに相談しているうちに『ひらがなのデザインができる人って、いなくない?』という話になったんですね。私もまだ若くて、自分の強みというものをわかっていなかったと思いますし。

 考えているうちに『ひらがなのデザインもできるデザイナー、そういうデザインを強みにするデザイナーという道もあるかな』と思って、グラフィックデザイナーになるか、タイプフェイスデザイナーになるかは別として、自分のスキルアップのためにチャレンジしてみようと思って、この道に入ったところはあります」

――決心がついたタイミングがあるのでしょうか?

「20代後半の頃、『りょう』をデザインした頃になると思います。当時は、いまよりフォントデザインの大事さというものが、軽視されているムードがあったと思います。フォントの重要性をみんなそれほどわかっていないというか。なので、私の中でも、『将来的にグラフィックデザイナーになるんだ。これはその修行なんだ』という気持ちが、実はあったんです。

 ところが、ことあるごとに私の作ったフォントをメディアで取り上げてもらえたり、『かづらき』を作った頃に、『面白い』とたくさん言ってもらえたりとか。その時に『実は、フォントの重要性をわかっていなかったのは私の方だったな』と思ったんです。むしろ、デザイナーよりもユーザーさんの方が、それぞれのフォントをよく見ていて、クオリティーの高いフォントを欲していたんですよね。

 そんな中で『日本語が消えない限り、タイプデザインも消えない。この職業は、将来に渡さなきゃいけないものなんだ』って思ったんです。それは、就職とかビジネスということではなくて、『このバトンを渡していかないと』と覚悟したと言いますか。

 いまでも覚えているのが、その頃、セミナーに登壇したときに、『タイプデザイナーになることに決めた』と発言したら、会場がざわめいたことがあって(笑)。『え、この人、いままで迷ってたの?』って(笑)」

――そこからタイプデザイナーに絞られたわけですね。

「うーん、震災の頃にもそういう迷いがありましたね。というか、あの頃はみんな『この仕事してる場合じゃなくない?』と思ったのかもしれませんが、実家が福島なので、親が東京に避難してきたりとか。

 そんな大変な世の中の状況下で、私はやっぱり字を作っているんですよ。『字を作るより、がれきを拾った方がいいんじゃないか?』と思ったりしましたね。でも、考えると、自分ができることを迷いなく続けることが大事なんだと思いました。

 なんだろう、タイプフェイスデザイナーって、リリースするまで、世間の反応もわからないし、作っているものがどういう風に使われるのかもわからない。まさかユーザーさんに『このフォントどう?』ってきくわけにもいかない(笑)。ひとつのプロジェクトに対して、制作期間がすごく長いので、そんな風に悩みすぎる傾向にありますね。ふと、この仕事はどこまで大事なんだろう? と思ってしまったりとか」

前へ 1 2 3 4 次へ

カテゴリートップへ

注目ニュース

ASCII倶楽部

プレミアムPC試用レポート

ピックアップ

ASCII.jp RSS2.0 配信中

ASCII.jpメール デジタルMac/iPodマガジン