深夜放送は参加型メディアのスタート
四本 そういえば、戦後のNHKがGHQの命令で「街頭録音」という番組をやっているんですよ。街の人にインタビューして世情を語ってもらうみたいな。中には半レギュラーみたいな人もいたらしくて、そういう意味では参加型のはしりだったのかも。
橘川 ラジオは戦時中から空襲情報を知るために各家にあったんだ。生きるための必需品だったんだ。だからラジオは聴いていたしインフラとして整備されていた。そして戦争がなくなって、飛行機は飛んでこなくなった。それで在日米軍向けにFENが始まったりしてね。ベトナム戦争やってる兵隊に、ピースだフリーだという音楽を流してんだから、変な人たちだな、と思ったね。
四本 1960年代に入ってからは、真空管からトランジスタの時代になり、ラジオも小さく安くなって、一家に一台から一人に一台になった。
橘川 それで、当時の若い人はラジオを聴いていたわけだ。戦後の受験戦争が生んだものは、勉強しながらラジオを聴く「ながら族」だったんだな。テレビは勉強しながら観られないじゃん、尺取られちゃうから。だから、みんなラジオを聴いていたんだ。で、深夜放送が始まるわけだな。この深夜放送というのは、実は日本のメディアのイノベーションなんだ。深夜放送がなぜイノベーションできたかというと、予算がないからなんだよ。
西牧 えっ、というのは?
橘川 テレビのゴールデンだったら、予算を使ってスーパースターを連れてきて、視聴率を稼げる。深夜ラジオは予算ないから、パーソナリティーに払う分くらいしかない。するとコンテンツがないわけだ。するとリスナーからの投稿というのが商品になっちゃったわけだ。番組に投稿すると落合恵子とか野沢那智と白石冬美とか、まあ、そういう人が読んでくれるわけだよ。すると俺の投稿を読んでくれたと、学校で自慢できるわけだ。
西牧 なーるほど。
四本 一応注釈入れておくと、落合恵子は文化放送の「セイ!ヤング」、野沢那智と白石冬美はTBSラジオの「パックインミュージック」という番組のパーソナリティーで、当時絶大な人気がありました。いずれも1960年代末に始まって、全盛期を1970年代前半に迎えています。同じ時期に始まったニッポン放送の「オールナイトニッポン」は今でもやっているんで、まあ説明いらないと思うけど。
橘川 まあ、それが参加型メディアのスタートでもあるわけで、そういう文化が深夜放送から始まったんだ。「深夜放送は若者の解放区」なんていうメッセージをラジオ局が流していた。
西牧 じゃあ、ミニコミやラジオの深夜放送も含めて、1960年代から1970年代にかけて参加型メディアが増えていったということですか。
橘川 同じ時代の底辺に、そういう流れが出てきたということだね。参加型メディアと言っても雑誌の投稿は大正時代からあるんだよ。小学館の「女学生の友」なんかは、女の子の投稿を売りにしていたり。読者投稿コーナーというのはどの雑誌にもあった。でもだいたいオマケなんだ。読者へのサービスとして投稿ページがあった。出版は権威だから、あくまで主役は偉い先生で、偉いことをしゃべる。それを大衆は聞いていればいいと、ずっとそういう流れだったわけだ。それが近代の長い出版の歴史。
それをひっくり返そうとしたのがロックだったわけだ。同じだと。偉い人もアホな人も同じ場を作っているんだという、一種の平等主義的なものが権威主義に対するカウンターとして生まれてきたわけだ。
四本 ぶふふふ。
橘川 なに笑ってんだよ、おまえ。
(なに笑っているかはさておき、ここでRCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」をお聴きください。続きはまた次回)
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ロッキング・オンの時代 |
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渋谷陽一、岩谷宏、松村雄策とともに創刊メンバーだった著者が振り返る、創刊から10年の歩み。荒ぶる1970年代カウンターカルチャーと今をつなぐメディア創世記。装丁はアジール。
著者紹介――四本 淑三(よつもと としみ)
1963年生れ。フリーライター。武蔵野美術大学デザイン情報学科特別講師。新しい音楽は新しい技術が連れてくるという信条のもと、テクノロジーと音楽の関係をフォロー。趣味は自転車とウクレレとエスプレッソ
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