日本のITを変える「AWS侍」に聞く 第22回
2週間に1度のペースで勉強し続けるモチベーションとは?
運用でカバーの波田野さんが現場で得た経験則とCLI支部への思い
2016年07月21日 07時00分更新
3000台の機器管理で得た「生き残るための運用」
東京めたりっく通信の破綻後は、他のISPへの支援、SIerの協力社員としての常駐、大手ASPのサーバーエンジニアなど、運用の道に本格的に足を踏み入れる。
いくつもの運用現場で経験を積んでいった波田野さんだが、10人のエンジニアで3000台近いサーバーを管理する環境では大きな壁にぶち当たった。そこでは機器一覧はすべて手動で管理されており、ログインしないと構成情報が確実にはわからない、まさに職人芸によってサーバーを管理している世界だった。「入った時点で限界を超えていたので、どうやって生き残っていこうか日々考えていた」(波田野さん)
こうしたサバイバルな職場で波田野さんは、「生き残るための運用」を模索する。当時波田野さんが作ったのは、3000台のサーバーにSSHでリモートログインして、スクリプトを置き、はき出された結果のXMLを収集して、HTMLで各サーバーの構成を一覧表示するといった構成管理システムだ。社内で共有されている手動更新のマスター情報やDNSのゾーン情報、自動収集したサーバー内部情報を構造化し、可能な限り可視化することで、脆弱性情報への対応やサーバー障害への対応が迅速化された。ここでは情報の構造化の重要性と、疎結合に作らないと大変になるという気づきがあったという。
「これらのツールのうちいくつかは、のちに社内公式ツール化されたけど、多くは組織の壁を乗り越えられずにオレオレツールとして消えていった。ですので、運用エンジニアがオレオレツールに走る気持ちはとてもよくわかる(笑)」(波田野さん)
そして、その後につながる「現場が喜ぶ方法は現場しか知らない」という発見もあった。設計と運用をきちんと考慮したつもりで作ったある監視システムは、現場ではまったく歓迎されなかった。
「現場の負荷を減らしたいという思い入れだけで運用施策を考えると、現場は意外と喜んでくれないし、自分でやってみても使いづらいことがある。想像だけでモノを作ってはいけないことに気づいたし、現場でのフィードバックをきちんと受けないとうまく回らないことがわかった」(波田野さん)。
10年以上におよぶシステム運用の現場で波田野さんが得たのは、「人は経験したものでないと、想像が及ばない」という冷徹な事実。そして、「開発経験のない運用屋が作った運用システムは辛いモノにしかならない。運用経験のない開発者が作ったものを運用するのは地獄を見る」(波田野さん)という教訓だったという。
3ヶ月かかって作っていたものが15分でできるAWSに衝撃
その後、波田野さんは独立することになるのだが、そこには3つのきっかけがあった。
1つ目は運用をテーマにした研究会の立ち上げだ。2008年の夏に波田野さんは通信キャリアのエンジニアや大学教授をメンバーとする「運用研究会」を立ち上げ、通信事業者の業界団体であるTelecom-ISACとの共同研究や、情報処理学会や電気情報通信学会など学会での論文発表を行なうようになった。
「『運用でカバー』でこんなに盛り上がっていいのかと思うくらいだったし、日本の運用現場では、規模を問わず似たような悩みをかかえていることや、現場視点での運用改善に関する情報に飢えている人が多いこともわかってきた。自分自身ずいぶん地雷を踏み続けてきたので、現場視点で何か役立つことができるんじゃないかと思い始めた」(波田野さん)
2つ目はドキュメントツールとして「Sphinx」に出会ったことだ。もともとドキュメントは書く方だったという波田野さんの悩みは「一度書いたものを使いまわす方法がない」ことだった。かつてはすべてのドキュメントを手書きのXMLで記述して、XSLTで整形していた時期もあったという。しかし、Sphinxと出会うことで10年来のドキュメント上の悩みの9割は解消したという。
最後の1つはやはりAWSの登場だ。2012年、当時堀内さんが担当していた目黒のハンズオンに参加した波田野さんは、サーバーエンジニアやネットワークエンジニア、データベース管理者の3部署が毎週1時間のミーティングを3ヶ月やって作っていたモノが、Webブラウザから15分足らずでできてしまうことに驚く。波田野さんは「あれを見た瞬間、もうインフラエンジニアは要らないなと思った」と当時の衝撃を語る。
「ドキュメントを書けるSphinxがあって、クラウドというインフラがあって、自分のやりたいことがなんとなく見えてきた。あえて大企業にいる必要はないと感じた」という波田野さん。当時在籍した会社での社内の英語公用化を機に、あえてTOEIC850までとった上で2013年夏に退職。自身で運用設計ラボを立ち上げる。現在は運用改善やドキュメント支援をメインに手がけている。
「自分の運用の話で受け入れてもらえるのは、一通り地雷を踏んできて、浴びた血の量が比較的多いから。だから、共感度が高いんでしょうね。でも、困ったのは痛い話にはみんな興味を持つんだけど、その解決策には思ったほどには興味がないところです(笑)」
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