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日本のITを変える「AWS侍」に聞く 第14回

地元青森県三沢市からクラウドの描く未来を模索する

JAWS-UG青森の立花さんが語る地方、震災、そしてクラウド

2015年07月15日 11時00分更新

文● 大谷イビサ/TECH.ASCII.jp 写真●曽根田元

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JAWS-UG青森を引っ張る立花拓也さん。倒産寸前の企業で働き、震災で家族と地元の大切さを知り、そして地元である青森県三沢市で東北初のクラウド専業インテグレーターのヘプタゴンを立ち上げる。県と共に青森県をITで盛り上げる立花さんの半生を追う。

朝、会社に行ったら倒産寸前だった

 東北大学の経済学部でバリバリの文系だったという立花さん。就職活動のときに普通に企業に就職するのではなく、ベンチャーに行きたいと考え、インターンで入ったのがスピーディアという仙台のホスティング・ISP会社だった。「経済学部だったし、そもそもサーバーなんて触ったこともなかったので、1ヶ月間営業みたいなことをやらせてもらった。すごく楽しくて、最終日に社長に内定くださいって言ったら、内定くれた(笑)」とのことで、学生のままスピーディアに就職したという。

ヘプタゴン 代表取締役 立花拓也さん

 スピーディアにおいて、学生の立花さんは日本発の無料ブロードバンドサービスの企画のプロジェクトマネージャを任される。仙台と東京を行ったり来たりし、いろんなイベントを手がけたものの、プロジェクトは“大こけ”し、半年で終了。エンジニアとしてサーバー運用などを覚え始めていた卒業前の冬には、なんとその会社が倒産寸前になっていた。立花さんは「朝、会社行ったら、なんだか社内がザワザワしていて、なんだか会社がつぶれるらしいよって。結局、つぶれはしなかったんだけど、30人いた社員が社長、役員含めて5人になった。お前は残ってもいいけど、こんな状態だぞと社長に言われた」と振り返る。

 こうして他の同期が内定取り消しになる中、立花さんはスピーディアに残る決意をする。会社は倒産寸前で、300~400台のサーバーに対して、サーバーエンジニアは自分しかいないという絶望的な状態にも関わらず、「先輩がいなくなるなら、好き勝手できるかなと思った」とやたらポジティブな立花さん。「毎日なにかしらトラブルがあった。データセンターに行って、お客様に謝ってみたいなことを1人でやっていた。半分死ぬくらいだった」(立花さん)。ここから立花さんの本当のエンジニア人生がスタートする。

家族や地元の大切さを感じたあの出来事

 こうした立花さんの必死の努力もあり、2年後スピーディアは奇跡的に業績を回復する。ランニングの収入を得られるホスティングサービスの場合、かさんでいた人件費を抑え、顧客の流出を防げれば、おのずと売上は確保できるわけだ。ようやく新たに人をとれるようになり、現場でたたき上げられたサーバー運用スキルを身につけた立花さんは25歳にしてマネジメントに携わる。「サーバー数十台使うようなメディアや大手企業、自治体などの案件にも関わるようになり、自信もついてきた」(立花さん)とのことで、2年くらいはさまざまな案件を手がけることになる。

 一方で、仕事が落ち着いてきたこともあり、次のキャリアに迷い始めたのもこの頃だったという。「ホスティングって結局、お客様の先にお客様がいるので、誰に対してサービスを提供しているのか見えにくい。このままでいいのかという不安はあった」(立花さん)

 そんな迷いの最中に起こったのが東日本大震災だ。「その日も会社さぼって家にいたら、どーんと来た。家族も仙台の別の場所にいたけど、本当に生きているか、わからない状態だった」(立花さん)。幸い、本人も家族も無事だったが、今までの生き方や仕事の在り方、あるいは東北という場所に対する考え方を大きく覆されたという。「地震をきっかけに家族や地元が大事な存在なんだなと感じるようになった。自分の目に見える近くの人たちに対して、なにかサービスを提供したいなと思うようになった」(立花さん)。

「自分の目に見える近くの人たちに対して、なにかサービスを提供したいと思った」

 一方で、地元である青森県の状況に憂うきっかけにもなったという。「大きな被害のあった岩手、宮城、福島は震災以前より、いい形で復興していきそうだった。地元の青森県三沢市は被害は少なかったが、果たして10~20年先大丈夫だろうか?という不安を持った。能力を活かす場がない。そして、それに気づいた人が東京に出て行ってしまう。残った人は自分たちはもういいんだと捨て鉢になってしまう。それが残念というのは、昔から感じていた」(立花さん)。

ヘプタゴンの設立、そしてAWSとの出会い

 こうして立花さんは2012年に地元である青森の三沢市に戻って、ヘプタゴンを立ち上げる。ヘプタゴンとは七角形という意味。「小学校ではコンパスと定規で図形を作るというのを習うと思うんですけど、正七角形ってコンパスと定規だけでは作れない最小の正多角形なんです。今の時代は、コンピューターを使えば、簡単に正七角形を作れてしまう。今まで地方でできなかったことをITを使えばできてしまうという思いを込めて、この社名にしました」と立花さんは社名について語る。

ヘプタゴンのWebサイト(http://heptagon.co.jp/)

 立花さんはこれまで培ってきた知識と経験を活かし、サーバーの構築・運用・保守サービスを手がけることにする。データセンターは持てない、最初に使った国産クラウドもうまく動かなかった。ここで出会ったのが東京リージョンを開設したあとのAWS。実際に触ってクラウドのすごさを体感した立花さんは、東北初のクラウド専業インテグレーターへの道を進むことになる。

 当初は仙台時代のつてで仕事を得ていたが、地元の三沢市では人脈もなく、ただひたすら人に会うことを繰り返していたという。「地元の案件もあるんですけど、AWSを使うまでもない規模。地方ではトラフィックも少ないので、レンタルサーバー、いってもVPS1つあれば十分という場合がほとんど」と立花さんは語る。そのため、AWSのインスタンスにレンタルサーバーと同じ環境を作るなど、地方ならではを意識して作ったという。

 現在は、青森と仙台で半々くらいの顧客を抱え、ほとんどはWeb系。ユーザーはシステム開発会社やWeb制作会社がメインで、複数のドメインをAWS上に集約する案件が多いという。「トータルで安くなればいいよというのがメインで、AWSを使いたいというお客様はほとんどいない。単純にレンタルサーバーをAWSに持っていっても高くなってしまうので、集約するような工夫が必要」と立花さんは語る。

(次ページ、コミュニティは活きた情報を得られる貴重な場)


 

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