銀座のソニーが大きく変わる。ソニーは、数寄屋橋のソニービルの建て替え計画を発表するとともに、銀座4丁目交差点にオープンするGINZA PLACEに、新たなソニーショールーム/ソニーストア銀座を開設することを発表した。
ソニービルをリニューアルする「銀座ソニーパークプロジェクト」によると、ソニービルは2017年3月31日に営業を一旦終了。その後、ビルを解体して平地に整備し、訪日観光客の増加が見込まれる2018年から2020年の間は「銀座ソニーパーク」としてスペースを開放する。2020年秋以降にはビルの建設を開始して、2022年秋には新ソニービルとして営業を再開する予定だ。
またソニービルの営業終了に先立ち、ソニーショールームおよびソニーストア銀座は2016年8月28日に、ソニーイメージングギャラリー銀座は2016年9月8日に営業を終了。いずれも9月24日にGINZA PLACEに移転し、4~6階の3フロアで営業を行なう。
銀座におけるソニーの存在感を大きく変えることになる今回の取り組みはどんな狙いがあるのか。ソニーショールームおよびソニーストアを統括する、ソニーマーケティングの浅山隆嗣執行役員に話を聞いた。
新たなソニーを発信するのに相応しいビルが必要
―― 東京・銀座のソニービルの建て替えが決定しました。なぜ、いまソニービルを建て替えるのでしょうか
浅山 ソニービルの建て替え計画は3年ほど前からスタートとしています。ソニーの事業範囲が拡大するなかでグループ全体のコラボレーションを図ることができ、それを発信できる新たな姿が求められていたことが、建て替えの検討をはじめた理由のひとつです。新たなソニーを発信していくためには、それに相応しいビルが必要であるという判断がありました。
また竣工当時のソニービルの写真を見てもわかるように、1966年の銀座・数寄屋橋にはソニービル以外に大きな建物がないという状況でした。長年に渡り、ソニーを象徴するビルとしての役割を果たしてきたわけですが、50年を経過し、周りにも数多くのビルが立ち並び、ソニービルそのものも老朽化してきました。
銀座の街は常に変化し、新たなものを取り入れていますから、そのなかで50年を経過したソニービルは相対的にみると、銀座のなかではどうしても古さを感じてしまうことになります。見方を変えれば、銀座を訪れた国内外の人たちがソニービルを見て最新の情報を発信している拠点として感じてもらえるか、ひいてはソニーの先進性をこのビルから発信できているのかということを考えると、課題があったともいえます。
さらにソニービルの構造は「はなびら構造」と言われており、階段状のスペースを活用して、そこにショールームを配置しています。しかしシニア世代が増えるなかで、バリアフリーを考慮したビルになっていないという課題もあります。これまでにも手すりを持ちやすいものに変更したり、階段幅を改良して歩きやすくしたり、エレベーターのボタンを大きくしたりといった工夫はしてきたのですが、基本構造までは変えられません。もっと多くの方々に来ていただくためには、こうした点からの改善も必要だったわけです。
―― ソニーグループの社員は、この決定をどう感じましたか。
浅山 50年を経過していますから、建て替えの時期が訪れているとする声がある一方で、ソニーを象徴するビルですから寂しさを覚える社員も数多くいました。とくになんらかの形でソニーショールームに関わったことがある社員は、感傷的になってしまうのは当然のことでしょうね。
世界初の携帯用VTRである電池式ビデオデンスケを1966年7月に一般公開したのはソニービルでしたし、1968年にはソニービルで世界初のトリニトロン方式カラーテレビの記者会見を行ない、ソニー創業者である井深大自らが出席して発表したこともありました。
そのほかにも、ベータマックスの発表(1975年4月)やウォークマンの展示(1979年7月)、CDプレーヤー(1982年10月)、コンパクト8ミリビデオ(1985年1月)などのエポックメイキングの製品は、すべてここで展示されています。また、1994年12月に発売したPlayStationも、発売に先駆けてソニービルでお披露目イベントを実施しました。一方で、レイ・チャールズ氏やジョン・レノン氏、カラヤン氏のほか、常陸宮ご夫妻、英エジンバラ公、フィリップ殿下など、国内外から多くの方々に来場をしていただいています。いまでも年間200万人の方々に訪れていていただいています。