新成人の皆様、おめでとうございます。成人式の朝、東京で原稿を書いております。節目の日、節目の月、節目の週というのは、なんとなく覚えているもので、確か筆者が成人式を迎えた15年前、2001年の1月15日は首都圏も大雪に見舞われた1日でした。
気象が好きな筆者は、こうした番狂わせの日には写真を撮っているだろうと探したのですが、これがどうにも出てこなくて……。おそらく米国の自宅のHDDにはあるはずですが、自宅を離れた東京で必要ということになると、これがどうにもなりません。あらためて貯めておくことではなく、使えるようにしておくことが目的なんだなと、写真の保管方法について考えさせられます。
ちなみに、2015年末の結論としては、基本的にはFlickrとGoogleフォトに自動的にバックアップされるようにしつつ、半年から1年分の写真やビデオは、どのデバイスからでもアクセスできるよう、iCloudフォトライブラリに入れておくという方策がベストだろうとなりました。
さて15年前の2001年に持っていたデバイスは?
さて、2001年頃の写真が非常に少ない理由は、デジタルカメラをさほど気軽に持ち運んでいなかったうえ、当時持っていたケータイにカメラがついていなかったからでしょう。
ケータイにカメラが入って「写メール」「写メ」という言葉が定着したきっかけは、J-PHONE(現ソフトバンク)からリリースされたシャープ製ケータイのJ-SH04で、2000年秋に登場した端末でした。
しかし筆者はドコモを使っていました。番号をそのままキャリアを移れるナンバーポータビリティ(MNP)なんてありません。そんなこともあり、モノクロ液晶の折りたたみ端末、N501iを使っていました。もちろんカメラはなし。結局筆者がカメラ付きケータイを買ったのは、2003年に発売されたFOMAに対応した端末、P2102Vでした。
2001年ともなると、通信方式も違います。ドコモのサービス名「mova」は、日本独自方式の第2世代通信方式でした。moveは2012年に完全に停波されています。米国や欧州を含む世界では、依然として第2世代(GSM方式)の通信方式が残されていることを考えると、やはり日本の通信世代の進行は早いのですね。
通信速度を比べておくと、2001年に筆者が使っていた端末は、9.6kbpsでした。現在は最大で300Mbpsですから、当時の3万倍以上になります。そりゃ動画を投稿して楽しむような世界になるというものです。
ちなみに当時の我が家はやっとケーブルテレビのインターネットが開通し、最高速度14.3Mbpsの“常時接続”を体験できるようになりました。
それまでは、必要なときにプロバイダに電話をかけて、パソコンをインターネットに接続していたのです。23時以降定額になるテレホーダイの時間帯しかつながせてもらえなかったことを考えると、時間帯に関係なくパソコンの電源を入れればつながる常時接続の当時における価値が伝わるのではないでしょうか。
15年前に考えていたこととは
15年前の大学生だった頃、ゼミの中では個人がメディアを持つ時代になる、という予測をしていました。身の回りにあったテクノロジーを使って、当時の段階で何ができるのか、どんな障害があるのか、何がネックになりそうか、ということを試していました。
たとえば、手元にあるパソコンとエンコーダーソフト(Real Encoder)を使って、音声の生配信を試したり、メールマガジンや、ウェブ日記、160×120ピクセルという極小サイズのビデオが見られるようにしてみたり。とにかく、そのとき普及していたデバイスで、個人が発信するにはどうするか、試していた経験があります。
とにかく、映像や音声をインターネット越しに送信することは、手元のパソコンの性能と容量、転送スピード、受け手のパソコンの性能と容量、という元も子もない問題を、当時の一般的なPCユーザーが持っている機材やネット環境、ソフトウェアでは突破できない状態でした。
その過程でMovable Typeというブログソフトに出会い、テキストと写真、非常に小さな動画を、GPSとカメラがついた携帯電話から更新するところまで手軽になりました。そうした個人メディアの文脈からブログの研究を経て、今の仕事をしています。ついでの話ではありますが。
その比較対象は、今も続く、新聞や雑誌、テレビといったメディアでした。手元のパソコン程度の道具では、できあがりの質には大きな開きがありました。ただ、作って身の回りで楽しむ感覚は、確かに興奮に値するモノでした。そんなことから、個人がメディアのまねごとをしながら、新しい楽しみ方や価値観が生まれていくのだろうと考えていました。
当時考えていたことは、結論から言うと、ほとんどがウェブとスマートフォンで実現されたな、と感じています。日本のサービスで言えば、ニコニコ生放送は、公式コンテンツを含むすでに大きな生放送のコミュニティーを形成していますし、YouTubeは世界的な「メディア」になりました。Instagramの写真は、拡大されたスマホの画面でも十分に美しい表情を見せてくれます。
しかし、メディアのプロもこれらの新しいメディアを活用することができます。しかも、テレビや雑誌と同じ、非常に高いクオリティで。それでも個人が活躍する余地が残されているのは、一つの勝利かもしれません。
メディアや広告は、「予算」という個人にはない膨大なアドバンテージを持っています。機材も違えば、出演者も違う。コンテンツができあがった後のプロモーションだって、マスメディアを含む膨大なリーチを起こすことができます。一方で、個人は、そうした予算や広告主の意向にとらわれず、自分の好きなものを、途方もない量、集め続けることができます。
(次ページでは、「個人のクオリティが上がっていく時代」)
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