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松村太郎の「西海岸から見る"it"トレンド」 第99回

15年前の学生が体験していたテクノロジーと考えていたことについて

2016年01月13日 16時00分更新

文● 松村太郎(@taromatsumura) 編集● ASCII.jp

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個人のクオリティが上がっていく時代

 この「続けられること」は、実はとても幸せなことかもしれません。企業やスポンサーがついて好きなことをしている人は、自分の意志だけでは続けられない“仕組み”を抱えてしまっているからです。

 個人だって、趣味に割けるお金や時間という外的要因は同じように存在していると思います。また、いきなり商業レベルのアウトプットが出せるわけではなく、限られたリソースの中での試行錯誤が行われるでしょう。もちろんこれも含めて、楽しい作業ではあるのですが。

 先ほど、圧倒的かつ網羅的な量という、趣味ならではのクオリティの存在を指摘しましたが、個人が実現するクオリティは、もはや量だけではなくなってきた、と感じています。冒頭の15年前に経験した「個人がメディアになる」実験の不自由さ、すなわち機材やソフトの貧弱さは、今手元にあるスマートフォンで、大抵解決されつつあるからです。

 15年前、レンズ付きフィルムの「写ルンです」でカメラに出会った頃に比べれば、スマートフォンのカメラはとんでもなく高い性能で、「現像」とは違いますが、撮影してからの仕上げの作業までできます。プロも使うAdobeのソフトウェアは、機能を切り出してモバイルアプリをたくさん提供しているほどです。

 次はビデオが同じようになり、3DやVRも、作れるようになるでしょう。そう考えてみると、いかに興味を持つか、趣味を拡げるか、という部分の方が、教育では大切なのかもしれません。


筆者紹介――松村太郎

 1980年生まれ。ジャーナリスト・著者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)。またビジネス・ブレークスルー大学で教鞭を執る。米国カリフォルニア州バークレーに拠点を移し、モバイル・ソーシャルのテクノロジーとライフスタイルについて取材活動をする傍ら、キャスタリア株式会社で、「ソーシャルラーニング」のプラットフォーム開発を行なっている。

公式ブログ TAROSITE.NET
Twitterアカウント @taromatsumura

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