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amadana熊本浩志社長インタビュー

メーカーの危険な「自分が主役」という思い込み

2015年10月13日 13時14分更新

文● 盛田 諒(Ryo Morita)

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スマートフォンから“サービス”が主役になった

──amadanaはもともと単独で開発をしてきました。他業種と組むようになったのはいつごろからなんでしょう?

熊本 スマートフォンがきっかけですね。スマホがいろんな業種を壊してしまったことで、良くも悪くもモデルが“サービス”になった。音楽がフィジカルからサブスクリプションに移ったように、あらゆる業種がそうなった。ユーザーは「体験」にお金を払いますけど、一個一個の「権利」にお金を払わなくなりました。そこから1つの業種だけでは価値をつくれなくなっているように感じています。

──amadanaは会社としてデザインを主力製品とするデザインハウスです。

熊本 バリューチェーンが変わったんですね。今までは垂直統合というか、モノを作る上で、技術があって、デザインがあって、それが1つで完結していた。しかしスマホのアプリのごとく「体験」をつくる上では、横のつながり、縦のつながりといった時空を超えていかなければならない。音楽業界、住宅業界、自動車業界、ときには飲料業界など、垣根を超えたビジネスが実現します。

──スマートフォン以外、すべてのモノが主役でなくなった。

熊本 ハードが手段になったとも言えますよね。顧客を囲いこんでるのはオープンプラットホームであって、このレコードプレーヤーにしてもハードは手段でしかない。プレーヤーがあれば、押入れにしまわれていた無数のレコードが動き始めたり、新譜がレコードでリリースされたりする。いくらコンテンツがあっても、動かなければ意味がない。だからモノは手段としての割り切りが必要なんです。メーカーは「モノを企画・製造して、世の中に送り出す」という立場上、どうしても“川上”発想になりがちなんですよね。でも、それだと限界が出てくるぞと。

──ハード、ソフト、文化は三位一体という話がありました。本来メーカーは主役ではなく、あくまでその中の1つなのだと。

熊本 今のメーカーはユーザーに最も近い“川下”をよく理解して、「モノ=製品は手段であるべき」という考え方を持つべきなんですよ。でもメーカーは製品を「手段」と言いたくない。でも、“川上”も“川下”も本来はあるべきものではないんです。

──すべておなじ場所にあるはずだろうと。

熊本 時代で変わるものだろうと。ただし、ハードは顧客につながる接点であることは変わらないので、ハードがなくなることはないんです。でも、バリューチェーンが変化しているので、メーカーはモノづくりにこだわりすぎるとビジネスが成立しない。なのに、今でもメーカーは基本的に川上発想。いつも違和感があるんです。従来のメーカーは工場を作って、製品をたくさん作って成り立つ。稼働率を上げないといけないとなるとシェア争いになる、というのはわかりきっていることです。でも、虚しさがあります。だって財布を開くときってそういうお金の使い方はしないじゃないですか。ぼくら、もっと楽しいことにお金を使ってるはずですよね。

──amadanaではプラットホーム『amidus』を作り、デザイナーとプランナーを直接やりとりさせています。これも“川下”発想の延長線上にあるものですか。

熊本 もっともっとモノづくりはオープンにしちゃったほうがいいと思うんですよね。でも、amidusの場合はamadanaという看板がない方がよくて、逆に、今回のレコードプレーヤーのようにamadanaが演じきっちゃったほうがいいところもあります。

──演じきる?

熊本 音楽のアーティストと一緒です。たとえばヒップホップのアーティストがバラードを歌ってカテゴリーイノベーションを起こしたりします。でもふだんはヒップホップをやっている、だからこの人は、あくまでもヒップホップのジャンルのアーティストだと誰もが認識します。それと同じです。

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