歌謡曲の時代は「隙間だらけ」だった
1990年代初頭までさかのぼると、当時はまだポップスといえば歌謡曲の時代。
「TRFは90年代にモチベーションという言葉を使ってます。昭和歌謡市場で『モチベーション』という言葉を使ったのは初めてだった。いまでは当たり前で、むしろ古いくらいですけど、そういう時代だったんです」
作詞、作曲、トラックメイク、プロモーション……音楽のあらゆる部分が発展途上で新しいことをするだけの隙間はいくらでも残っていた。
「隙間が多かったんです。新しいことを持ちこめば新しいと言われた。穴だらけだったのでカラオケ、レンタル、CD、いろんなところに入りこめた」
日本音楽事業者協会や日本音楽制作者連盟のように、戦後からがんばってきた人びとはいた。しかしその反対側に立つと「広大な土地が広がっていた」と小室さん。昔からすると信じられない音楽が飛ぶように売れた。
大ヒットしたのが渡辺美里さんの『My Revolution』だ。ドラマのタイアップで爆発した。当時、歌手とテレビのイメージはきわめて近かった。そこに裏方の「作曲家」として入ったことで、知的なイメージがついたと振り返る。
今年デビュー30周年のTMNetworkも「全然知的じゃなかったけど」(小室さん)知的なイメージがついた。そこにタイアップが入ったことで「アニメなど、より知的なものが好きな層にファンになってもらえた」(小室さん)という。
1994年以降はプロデュース業を中心として、つねに裏方という立場で姿を見せるようになる。しかしそのあと華原朋美さん、globe、安室奈美恵さんなどがメガヒットを飛ばすまでに「新たなの隙間」への気づきがあったという。
それがエイベックスだった。