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小室哲哉「吉野家おごってくれた、あの人にお礼したい」

2015年09月18日 13時04分更新

文● 盛田 諒(RyoMorita)

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クラブという「隙間」が見つかった

「隙間とぼくが思っていたように、90年代を生きてきた人たちが隙間を考えていた。それがエイベックスだったんです」と小室さん。

 90年代中盤、ホテルのラウンジで初めてエイベックス代表の松浦勝人さんと会ったとき、小室さんは隙間探しをあきらめかけていた。やれることはやりつくした。そう感じていた。

「『1993年くらいからもう隙間はない。ぼくがエイベックスさんに協力をしても隙間はないですよ』と話したんです。『インカムは上乗せできるかもしれないけど、業界をつきぬけるような隙間はないです』と。しかし、その返答が『隙間だらけですよ』だった。『ぼくら、隙間しか狙ってないですから』と」

 松浦さんが話したのはジュリアナ東京やマハラジャといったクラブ。バブルがはじけても、テレビCMを打ち、売上をあげている。クラブでかかっている音楽、テクノを音楽シーンに結びつける発想が当時はまだマイナーだった。

「長ったらしくてなくていい。ドカンと来てワーワーとなる。ほんの1小節か2小節、CMみたいなものでいいと言われたんです」

 テクノポップではなく『テクノ』が流行っていると松浦さんに聞かされ、CDを大量に渡された小室さん。聴いてみると、自分が最先端だったと思っていたTMNetworkも「すごい歌謡曲だな」と思わされたそうだ。

「歌があるからどうこうという話ではなく、たとえばサンプリングで『ジェームズ・ブラウン・イズ・デッド』なんて言葉が出てくる曲(L.A.スタイル)があったり。そんな曲がてっぺんまでかかり、女の子たちがガンガン盛り上がっている。女の子たちを囲んで男たちがシャンパンをどんどん頼んだりとか。どんどん波紋が広がり、盛り上がりを見せていって……そうした時代があった。それを下品にせず、知的に持っていけないかと考えた時期が、TRFやglobeだったんです」

 つねに時代に合わせ、自身を変化させてきた小室さん。プロデューサーとしての自分も90年代で終わりにして、現在はまたちがう世界に挑戦しているという。

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