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情報の取り扱い説明書 2015年版 第5回

「メディアの液状化」「ニュースの製造」「世間メディア」 「セレンディピティー」などのキーワードから読み解く

僕らが感じ始めたSNSへの違和感の理由と対処を一旦マトメ

2015年07月01日 10時00分更新

文● 高橋幸治、編集●ASCII.jp

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インターネット自体も変質している

Image from Amazon.co.jp
2015年6月号の「美術手帖」では「ポスト・インターネット」が特集されている。「ポスト・インターネット」は2000年代後半からアートの世界で使われ始めた言葉だが、「リアルな世界とネットの世界の境界が溶け合っていく」という感覚、さらには「リアルの世界にネット的なものが逆流している」という現象は、いまや芸術の分野に特有の現象ではなくなっているのではないだろうか?

 ではもらったメールにもあった、これまでのキーワードをまとめていこう。

 まずは1回目で「メディアの液状化」が加速しているということに触れた。これは良いことでも悪いことでもなく、あらゆるメディアはほかのメディアと相互に影響し合い、干渉し合いながら時間とともにその性質を変化させるということでもある。だからメディアの液状化が「起きている」のではなく、「進んでいる」というわけだ。

 この連載の文脈で言えば、インターネットというメディア自体も商用利用開始から20数年の時を経て、微妙に変容してきているのではないか……。近頃メディアで取り上げられ始めた「ポスト・インターネット」と呼ばれる状況についても、このメディアの液状化と関連していることなので、いずれ近いうちに取り上げたいと思っている。

「インターネット的」だった黎明期のラジオ

 メディアがいつの間にか別のものなってしまうということで言えば、例えば、ラジオはかつてアマチュア無線だった。

 ラジオの根幹技術は1895年にイタリアのグリエルモ・マルコーニが発明した無線通信だ。しかし、いきなり今日のようなマスメディア的な役割を帯びて登場したわけではなく、最初はテクノロジーおたくたちが駆使する非常にマニアックな装置だった。

 この最初期のラジオはリアルタイム性とインタラクティブ性を併せ持つ、画期的なコミュニケーションツールだったので、おそらく、とても「インターネット的」なメディアだったのだろうと思う。

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987年に公開されたウッディ・アレン監督による映画「ラジオ・デイズ」。「ラジオ」という新しいエンターテインメント・メディアに彩られた1930年代前後の米国を舞台にした作品

 それがやがて、タイタニック号沈没(1912年)の教訓から海上船舶への装備が推奨されたり、軍事利用も活発になったりして、次第に公共放送へと成長していくことになる。

 そして、1920年代から30年代にかけての米国では、まさにウッディ・アレンが「ラジオ・デイズ」(1987年公開)で描いたようなラジオの全盛期に迎える。メディアの変質を示す好例だろう。

 当時もきっと、ラジオを黎明期から支えたアマチュア無線家たちは、「ラジオもつまんないメディアになっちまったもんだよ……」などとボヤいていたのではないだろうか?


(次ページでは、「インターネット登場以降の人々の考え方とは」)

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