「Apple Watchは、腕時計をおびやかすコンペティターの登場ではないか」という危惧が腕時計業界で話題になっている。たしかに人間には手首は2つしかついておらず、利き手を操作に使うとしたら左手首に装着するしかない。
しかもApple Watchはジャガー・ルクルトの置時計「アトモス 561」やIKEPODのデザインを手掛けたマーク・ニューソンの関与が噂され、開発の段階からタグ・ホイヤーの幹部を引き抜くなど、これまでのスマートウォッチとは異なりかなり時計らしい存在だ。ただでさえ腕時計離れがささやかれている昨今、時計業界の彼らの気持ちはよくわかる。
実は時計とコンピューティングの奇妙な共通点は単なる領地問題にとどまらない。
かつて時計は教会や役所の塔の上にあるものであった。時計は権威のある存在が所有し、人々の暮らしを管理するものだった。ヨーロッパの古い都市にはたいてい時計塔があり、今でも大きな時計が街を睥睨している。時計は支配者が社会の生産性を管理するツールとして君臨していた。しかも時計は地球の自転をなぞらえるもの。
時計を所有することはバーチャルに地球を治める感覚があったのではないだろうか。支配者たちはお抱えの時計師たちに金に糸目をつけず贅を極めた時計作りを命じた。やがて富裕な市民が生まれ始め、時計を「個人が」所有するようになる。既に16世紀には時計は携帯できる大きさまで小さく進化し、さらに懐中時計というポケッタブルな大きさとなる。
時計がポケットから手首に進出を開始したのは19世紀後期のこと。時刻を知りたいとき、懐中時計はポケットから出し、ふたを開けるという作業が必要となる。それでは不便という現場主義者たちが時計の居場所をポケットから手首に移動したのは1880年のボーア戦争、イギリス軍兵士に始まるといわれている。人類初のウェアラブルマシンの誕生だ。
コンピューターもかつては専用ルームに鎮座する巨大なものだった。有名なENIACは総重量27トンで倉庫1つ分の接地面積を必要とした。その後もしばらくコンピューターを所有するのはほどんどが国家機関や巨大企業に限られていた。世界初の商用メインフレームとされるUNIVAC1も初の購入者は合衆国国勢調査局だった。
1960年代になるとDECのPDPシリーズに代表されるミニコンピューターが登場する。どのくらいミニかというと、大きめのタンスか冷蔵庫が並んでいるくらい。それでも多くの大企業や研究機関にコンピューターが普及することになった。70年代には一般企業や個人が導入できるものとなり、80年代にはコンピューティングはパーソナルなものとなる。
1985年のラップトップコンピューターの出現でやっとコンピューティングは電源ケーブルから解放され移動の自由を手に入れた。そこからノートブックパソコン、モバイルPCと小型化・軽量化は進み、現在我々がたずさえているスマートフォンやタブレットがその進化の現在形なのはご存じの通り。そしてポケットから取り出す手間すら省こうと登場したのがスマートウォッチだ。
たまたま手首を巡ってにらみ合うふたつの陣営だが、権力者に独占されていた力をパーソナルなものとし、可搬性を進化させた歴史のゴールは、実は同じ場所だったというわけだ。
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