メーカーならではの強みを活かして出発
遠藤 とはいえ、98互換機もガンガン売っていた時期に、別会社を立ち上げてDOS/Vを売るのって、考えてみればなかなか過激ですよね。社内競合など、対立もあったのではないですか?
河合氏 対立はなかったと思いますよ。やっぱりデジタルの世界ってどんどん動いていくものだし、私たちは海外の状況も知っていたので、遠からずPC-98に代わってPT/AT互換機が国内でもスタンダードになっていくだろうということを、一番肌で感じていた会社でしたから。
遠藤 海外のビジネスモデルを日本に持ってくる際に、苦労されたことはなんでしょう。御社にはコンシューマーに直接売るノウハウもなかったので、窓口づくりから始められわけですよね。
河合氏 当時は“直販のモデルを日本に持ち込みたい”という以上のことは、あまり深く考えていなかったんですよ。もちろん、デルさんのことは強く意識していましたが、何よりも“お客様が欲しいものを安く買える”ということが魅力的で、それを実現したかった。直販といっても今みたいに大きな市場じゃなかったし、受注のシステムも当初はウェブではなく電話でした。インターネットの普及で状況がどんどん変わっていったので、自分たちで考えて作っていくことが多かった。
遠藤 “手さぐりでも前に行くしかない!”みたいな。
河合氏 そうですね。最初の数ヶ月は、本当に手さぐりでした。ただ、製品には自信があったので、そこはブレませんでした。マシンそのものを作るノウハウと実績はありましたからね。もともと私たちはショップではなくメーカー。ただパーツを組み合わせるだけじゃなくて、自分たちで図面を引きますし、必要ならBIOSまで作ったりしていた。それは現在でも大きな強みです。