電子書籍の夜明けは近い? 遠い!?
米国の本は、冒頭で触れたように米国人から見ても大きいわけだから、それが何十冊も入るというのは確かに魔法の入れ物である。これに加えて、中高年が文字を大きくして読めるKindleは、老眼鏡メーカーの株価を下落させるくらいの価値があるともいえる。
先週、ニューズコーポレーションの総帥ルパード・マードック氏と、英国ヴァージングループを率いるリチャード・ブランソン氏が、そろって「iPadで雑誌」と言い出したという話に持っていこうというのではない(マードック氏は79歳、ブランソン氏は60歳で合計139歳)。デジタルの魅力とは何かということに、Kindleのユーザーもこの2人も気付いているということだ。それは、たいして複雑な話ではない。利用者にとって具体的な利便性があるとか、経済原則に当てはまっているかとか、いままでのあらゆる商品と同じ話だ。
上記のグラフで「(電子書籍・コミックを)今後利用する」と断言した人は思いのほか少なかったが、「今後利用するかもしれない」は34.3%もいた。しかも、この中では10代も目立ってくる。このあたりの数字は、ちょうどイノベータ理論の「アーリーマジョリティ」層に当たるボリューム感だが、たぶん「モノを見てみないとねぇ」ということだろう。となると、「今後も利用しないと思う」の29.5%も、現物を見たら欲しくなる可能性があるとも思える。電子書籍の利用層は、これからまだまだ変化していくだろう。
ただ、問題は「今後も利用しない」と極めて明確に答えた人が17.9%いることだ。あれだけKindleやiPadのニュースが流れている米国でも、「本は絶対紙じゃなきゃ読まない」という人がいるということなのだ(私の知り合いの弟夫婦なのだが)。電子教科書に関する議論でも、教科書は台本であって、先生は演出家として生徒たちがステージの上で活き活きと振る舞えるようにしなければ意味がないという意見も聞いた。
「書店」とか「図書館」とか「本棚」とか「書評」とか「読書会」とか、本を作るために、または本があることによって人が出会ったり、議論したりする。本によって生じている空間的なものの価値のほうが、本そのものの価値よりも高いという見方が本当は正しいのだろう。それを補ってあまりあるものが、電子書籍でできるかどうか、みんながじっと見極めようとしているのがいまなのだろう。
一歩間違えると、今回の電子書籍の盛り上がりはバブル的なものになって、いざ端末が出てきたときに誰も振り向かないなんてこともあり得る。その結果、日本に電子書籍が根付かないなんてことになったら、元も子もない。電子書籍には、検索性や、容易に世界にデリバリーできること、在庫がいらないことなど、紙にはない絶対的な魅力がある。
まずは、ユーザーがどんなイメージを持っていて、どんなことを電子書籍に求めているのか、そこを具体的に見るべきだということで、今回の調査をやらせてもらった。
以下に、電子書籍・コミック サミットのカンファレンスで使用したデータを紹介する。