iPhone 4を初めて触ったのは、8日から開かれたアップルの開発者向けイベント「WWDC 2010」の会場だった(関連記事)。そのときに受けた衝撃は、今でも忘れられない。
今年4月、次期iPhoneとウワサされる写真がブログにて流出して、インターネットで大きな話題を呼んだ。その写真を散々見ていたはずだったのに、実物を手にしてみると事前の記憶がすべて頭から吹き飛んだ。
側面に触れた手の平からは脳に「こんなにも薄かったのか」という信号が届く。そして底面を覆うガラスの艶やかさや、側面フレームのステンレスメタルに触れて感じるサラサラの心地よさを味わった瞬間、ウェブで見た情報がどうでもよくなった。
その後、日々の生活でiPhone 4を使う機会を得た。メールの読み書きや、ウェブページを見て回るだけでなく、500万画素のカメラで写真を撮ったり、動画編集ソフトの「iMovie for iPhone」でビデオ編集も試した。そうして実機に触ってみると、今度は手元にあるiPhone 3GSが急におもちゃみたいに見えてきた。もう元には戻れない。
ちょっと前まで市場のどのAndroid端末よりも圧倒的に使いやすく、今ある携帯電話の中でも最も先進的で、高級感も漂うと思っていたiPhone 3GS。しかし、iPhone 4を触ったことで、急に陳腐化してしまった。
きれいだと思っていた液晶画面も、より解像度の高い「Retinaディスプレイ」(網膜ディスプレイ)を採用したiPhone 4と比べてみると暗くて見劣りがする。何だか古ぼけたテレビのようだ。
マイクロSIMトレイにとどめをさされた
もちろん、欧米のみで販売した初代iPhoneに代わってiPhone 3Gが登場したときも、iPhone 3Gに続いてiPhone 3GSがリリースされた際にも「前のモデルには戻れない」と感じた。
iPhoneが進化するたびに、前のモデルには戻れないと感じるのはある程度、仕方がないことだが、今回のiPhone 4はインパクトが異なる。アップル自身、「初代iPhone以来、最大の跳躍」とうたうだけあって、iPhone 3GSとiPhone 4の体験は格段に違う。
パソコンで言えば、古いアーキテクチャのシングルコアCPUから最新のデュアルコアCPUに移行したような違い。いや、単にスピードの違いではないので、ガソリン自動車から電気自動車に切り替えたような「質の違い」と例えたほうがいいのかもしれない。
そんな画質も高ければ、スピードも速く、とにかく何から何までも新しいiPhone 4だが、個人的に一番打ちのめされたのはマイクロSIMの入ったトレイだった。
iPhone 4の小型化とバッテリー動作時間の延長にも貢献しているマイクロSIM。そのトレイは本体右側面にある。トレイの横にある小さな穴にピンを刺すと、小さなマイクロSIMカードのスロットが滑り出してくる。
驚いたのは、ひと通りマイクロSIMを眺めたあとに、トレイを本体に押し込むと「シャッ」と品のいい音がしたことだ。不意の出来事にビックリして、もう1度、引き抜いて指してみると、また同じ音がする。
BMWなどの高級モデルでは、ドアを閉めたときの音一つまでこだわって、部材の素材や重さを調整するという。このマイクロSIMトレイの音も狙って作っているに違いない。
そう確信したときに、iPhone 4は、もはや他社が追いつけない域にまで達してしまったことを強く感じて、うれしさの中に悲しさまで混じってきた。
iPhoneのエバンジェリスト、応援団として紹介されることが多い筆者だが、これでも日本のメーカーに頑張って欲しいという思いが強い。日本のメーカーの方々から「どうしたらiPhoneに対抗できるような製品が作れるのか」と講演を頼まれることも増えた。だが、iPhone 4の細部へのこだわりが、アップルを今の日本メーカーでは追いつけない領域に到達させた気がした。
