バブル期にプロデューサーの時代が訪れ、
今はふたたびクリエイターの時代に
―― 公野さんは何に影響を受けて、この業界に入ってきたんですか?
公野 それが、私はけっこう普通に育ってまして(笑)。「鉄人28号」がアニメの原体験でした。その後は「ウルトラマン」を見て、「仮面ライダー」を見て、それから「ガンダム」にたどりついて。これだけ感動するものがあるなら、この世界に入らなければと思いました。
ただ、私は真ん中に球を投げるのはあまり好きではないんです。だから鉄人28号の例で言えば、主人公の鉄人ではなく、ライバルのブラックオックスが好きだったりするんですよね。そのおかげで今日も黒い服を着ているんですが(笑)。
―― 直球より変化球が好きだと。
公野 そうですね。遠藤さんのようにムーブメントの中心に立つわけではなく、まず「産業としてのコンテンツ」というのが気になったんですよ。育ったのがお金に厳しい家だったので「人から預かったお金はちゃんと(仕事として)返そう」という律儀な立場からプロデューサー業に入っていきました(笑)。当時はヤマ師のようなプロデューサーが横行していたので、そうはなるまいと思ったんですよね。
遠藤 私より下の世代に、クリエイターではなくそういったプロデューサーが多いのは、バブル景気の影響が大きいですよね。みんながビジネス側に回ってしまっているんですよ。目端が利いたり、新しいものに敏感な層が「作品」に向かわず、学生のうちから会社を興したという例が多いんです。
公野 世代の話をすると、その頃にポータブルなビデオカメラが出てきて、以前みたいに映像を撮るのに苦労しなくなったんですよ。それがクリエイティビティーを下げたというのもあるかもしれません。テレビも録画なんてできなかったから目に焼き付けておくしかなかった。そういうところからクリエイティビティーが生まれてきたところがあると思うんです。
遠藤 ただ、逆に「作りやすいことは良いことだ」という考えはもちろんあると思うんですけどね。20年ほど前だと、ゲームを作るにしてもBASICでプログラムを書いたものを雑誌に投稿してたりしていたんです。それが今やケータイアプリやFlashを自分で作って、自前のサーバーにアップすることで中間搾取がなくなったという点は大きいです。
ところが、それがネットで出回って人気が出たところで、商業ソフトとしてパッケージになった途端にネットから姿を消してしまうという例もありますよね。こうなるとどっちが「元祖」か分かりにくくなってしまう。ちょっと話は違いますが、「ひぐらしのなく頃に」をゲームではなくアニメだと思っている人もいるわけですよ。