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レンズの味すら表現、驚くべきα900の表現力

2008年10月29日 09時00分更新

文● 小林 伸/カメラマン

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改めて別のフォーマットだと認識する


 自分自身、35mmフィルムが全盛のころ、ボケ味が欲しくてブローニーフィルムに手を出し、その微妙なトーンの表現に次第に目を奪われていった経験がある。α700からα900への進化は、その感覚に近い。まったく違うフォーマットである。現状のAPS-Cサイズセンサーでも表現力は立派だが、常にその上は存在する。それはあるべきだと思うし、仮にそれが高価なものになったとしても、その価値に見合った対価なのではないかと思う。

花に止まり蜜を吸う蝶(蛾?)の表面の質感が見事に出ている。解像感もそうだがそれを受け止めるレンズのよさも分かる(Vario-Sonnar 24-70mmf2.8ZA SSM、焦点距離70mm)

町中を歩いてスナップしたもの。花弁の青紫は偏りがなくきれいに表現されている(24-70mmf2.8ZA SSM、焦点距離30mm)

 2000万画素を超えるセンサーは、つい最近まで限られた一部の人間のものだった。ブローニーカメラに装着する、デジタルバックなどはその最たる例で、200万円オーバーのものもザラだった。そう考えれば、30万円台前半で買える、α900は非常にお買い得な機種に思える。これにはあくまでも中身の充実度を考えれば、というただし書きが付くが……。

D-レンジオプティマイザーのON/OFFを見たもの(右がON)。1分と違わないうちにシャッターを切ったので光の当たり方に違いはない。その効果が分かると思う(プラナー85mm/F1.4)

 なお、同時期にキヤノンのEOS 5D Mark IIをテストする機会があったが、画作りに関しては、ある種対照的な機種だと思った。EOS 5D Mark IIは、ボケがきれいで、色もいいが、レンズの違いまでは感じさせなかった。収差補正やノイズリダクションなど、画像処理を積極的に活用して、統制感のある安定した出力を試みているのだろう。

 一方、α900で撮った画像は、どんなに優秀なレンズでも、よく見ると周辺が落ちている。これはレンズの描写力をできるだけ、ストレートに再現していこうという姿勢の表れだろう。さらに言えば、レンズの癖さえも忠実に再現しようとしているように思える。感じるのは、銀塩時代によく言われていた「レンズの味を生かした作品作り」をデジタルでもようやく語れる時代になったということだ。例えば、レンズ構成枚数が少なく、明るい単焦点レンズなど、さまざまなレンズを試したくなる。

ほぼ日没に近い時間帯、ISO 800まで感度を上げて撮影した。それでも、シャッタースピードは1/40秒まで落ちてしまったが、ボディ内手ブレ機能を搭載しているので手持ちで撮影できた(50mm/F1.4)

 個人的にはα900を、短時間でそつなくまとめたい雑誌の取材や、厳しい条件のライブ撮影で使いたいとは思わない。しかし、作品として作りこめるジャケット写真や広告写真なら、機材の持ち味を生かした撮影に臨みたいと考えている。実用性一辺倒ではなく、違う楽しみを持った道具としてα900を所有したいのだ。

 そうして、「中身を考えれば、高くはないよな」「フォーマットが変われば、レンズも当然必要になるよなぁ……」などと、自分を自分で説得し始めている自分に気付く。これは怖い。そんな気にさせてしまう存在がα900だ。

ISO感度別の作例

 ISO 800アタリからなんとなく、ISO 1600では少し、ISO3200ではハッキリとノイズが出てくるのが分かる。常用感度ではないISO 6400ではかなりのノイズを感じるので、撮影対象を選ぶだろう。長秒時ノイズリダクションは標準とした。

ISO 200

ISO 400

ISO 800

ISO 1600

ISO 3200

ISO 6400(+1段増感)

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