【JSTnews12月号掲載】特集2
深海の極限環境をヒントに、食品製造に欠かせない高機能乳化剤を開発
2025年12月09日 12時00分更新
水と油を混ぜて口当たりを良くする乳化剤は食品製造に欠かせない原材料だが、主に使われているアラビアガムは、安定供給に不安がある。代替品開発を進めていた食品添加物メーカーである三栄源エフ・エフ・アイ(大阪府豊中市)と海洋研究開発機構の出口茂センター長らは、深海の極限環境を応用した新たな乳化剤「高機能化ガティガム」の実用化に成功。産学連携で食品業界の課題を克服し、第50回井上春成賞の受賞に至った。乳化剤と深海という意外なコラボレーションの舞台裏に迫る。
多用されているアラビアガム
生育地のスーダンは政情不安
マヨネーズは油と酢、卵黄を混ぜて作る。通常、油と酢は均一に混ざらないが、原料である卵黄には乳化作用のある成分が含まれているため、均一に混ざったものを作ることができる。「乳化」とは、水と油のように本来は混ざらずに分離してしまうはずの物質同士が混ざる現象であり、乳化作用のある物質を「乳化剤」と呼ぶ。
乳化剤は、アイスクリームや清涼飲料水にも含まれている。着色料や香料の多くは油に溶けるが水には溶けない脂溶性という性質を持つ。そのため、着色料や香料をそのまま水に入れた場合、時間がたつと分離してしまう。だが、乳化剤を入れることで着色料や香料が水と混ざり、時間がたっても均一に混ざった状態を維持できるようになる。また、口当たりを良くする効果もあることから、乳化剤は食品メーカーにとって欠かせないものだ。
食品用の乳化剤として現在多く利用されているのがアラビアガムだ(図1)。アラビアガムはマメ科アカシア属の植物の樹液から得られる高分子多糖類で、高い乳化性能と食品の風味に影響が少ないという特徴がある。しかし、アラビアガムにだけ依存しているわけにはいかないという。三栄源エフ・エフ・アイの木下圭剛課長代理は「アラビアガムの主な産地であるスーダンは紛争が続き、政治情勢が不安定です。食品には安定供給が求められるため、アラビアガムの代わりになる乳化剤が望まれています」とその理由を話す。
図1:左のアラビアガムと中央のガティガムはいずれも、木の幹に切り込みを入れて流れてくる樹液が固まったもの。右は、ガティガムを今回の発明技術である高温・高圧で処理したものをさらに使いやすく粉末化したもの。
ガティガムの粘度が低くなる
加熱処理ミスから偶然の発見
そこで同社が注目したのが、インドやスリランカなどに広く自生するガティノキの樹液から得られる、アラビアガムと似た乳化作用を持つ「ガティガム」だ。これらの国の政情は比較的安定しているため供給リスクは低い。だが、ガティガムの乳化剤としての使用は海外で研究事例があるだけであまり産業応用はされていなかった。
当時の担当者だった同社の三内剛担当次長を中心とする研究開発は難航した。通常、アラビアガムは樹液の塊を水に溶かして90度以上の加熱処理をして製造する。しかし、ガティガムは収穫年や産地によって粘度が高いものがあり、アラビアガムと同じように加熱処理しても粘度が高くなってしまい、食品の原材料として適さないのだ。
そんなある日、転機が訪れた。ガティガムを1時間ほど加熱処理するべきところ、三内さんは他の仕事に気を取られて1日放置してしまったという。翌日、どんな性能に変化したか調べてみると、意外なことに粘度が低くなっており、さらに乳化作用が高まっていることに気づいた。偶然の発見により新たな価値を見いだすことができたが、三内さんは「とはいえ、焦げ付きのために臭くなっていて食品添加物としては使い物になりませんでした」と苦笑いする。
熱水噴出孔をヒントに加熱・急冷
展示会をきっかけに共同研究へ
この問題を解決する突破口となったのが、海洋研究開発機構の出口茂生命理工学センター長との出会いだった。出口さんは、水深200メートルより深い深海で起こっている物理化学現象から着想を得る「深海インスパイアード化学」の研究を進めてきた。出口さんは「自然は科学技術を生み出す発想の源泉です。深海も例外ではありません。深海に特有の環境や現象を実社会に応用することを目的に研究を続けています」と研究のモチベーションを語る。
深海には、地熱で熱せられた水が噴出する「熱水噴出孔」があり、そこから噴出される水の温度は400度を超えることがある。一方で、周囲の深海水の水温は約5度だ。そのため、熱水噴出孔付近では、急激に超高温に加熱されて瞬時に急冷される現象が繰り返し起こっている(図2)。しかも、深海では水圧が非常に高く、例えば水深1000メートルでは約100気圧にもなる。いわば一種の極限環境である。
出口さんは、深海の熱水噴出孔をヒントに、高圧下で超高温へと瞬間的に加熱・急冷する装置を機器メーカーと共同開発。その装置を用いて、さまざまな素材開発を想定した研究を続けてきた。ある時、出口さんが展示会で発表していた研究内容を三栄源エフ・エフ・アイの社員が偶然耳にした。話を聞いた三内さんは「瞬間的に加熱・冷却する装置を使えば、加熱して粘度を下げると同時に焦げ付きをなくして、臭くないガティガムを作れるのではないか」と考え、さっそく共同研究を始めることにしたという。
研究を進めるにあたって、出口さんが研究責任者となってJSTの研究成果最適展開支援プログラム(A-STEP)に応募し、2016年に採択された。この支援を受けて、研究に関わる人を集め、大型装置の開発を進めていった(図3)。もちろん、開発がスムーズに進んだわけではない。食品製造では、開発段階に少量生産の試作機ではうまくいっても、工場での大量生産へスケールアップするとトラブルが起こることが珍しくない。
具体的には、ガティガムを長時間にわたって大量に装置に流し込んだところ、フィルターが目詰まりを起こして装置が強制停止してしまった。木下さんは「ガティガムの中には金属イオンが含まれており、処理の際に加える酸と反応して目詰まりが起こっていました。酸の種類を変え、フィルターのメッシュの粗さも変えるなどして対処しました」と当時の苦労を語る。
乳化能力2.5倍の高機能を実現
「選択肢」に意義、海外も視野
出口さんらは、さまざまな課題を着実に解決した結果、アラビアガムの2.5倍の乳化能力を持つ高機能化ガティガムの生産に成功した。2019年には、着色料の濃度が従来の2.5倍高く、飲料に使用しても長時間安定した状態を保つ新たな乳化色素を食品メーカー向けに販売開始した(図4)。その後も、乳化香料をはじめ、飲料に濁りを加えることで果汁感や濃厚感を視覚的に演出する「クラウディ」という製品や、菓子類や麺類に色を付けるための粉末タイプの製品なども販売している。
もっとも、ガティガムの実用化には成功したが、依然として乳化剤としてアラビアガムのシェアは非常に大きい。三栄源エフ・エフ・アイの西野雅之取締役執行役員は「ガティガムという新しい乳化剤の供給ルートと選択肢ができたことが大きいと思います」と開発の意義を語り、少しずつ置き換わるだろうと予測する。ガティガムは、介護食や流動食、栄養補助食品に使われる可能性もあるという。西野さんは「栄養不足の高齢者や患者向けの商品では少量で高カロリーとなるよう脂質が多く含まれており、性能の高い乳化剤が求められています」と、高齢化社会での需要の高まりを見通す。
海外への販売も視野に入れている。食品添加物の認可の状況は国によって異なるが、ガティガムを乳化剤として使用できる国はすでに複数ある。同社は、以前から各国の規制当局と食品添加物の認可について協議しており、ガティガムについても認可や用途拡大の申請に向けて動いている。
大きな可能性を秘めた高機能化ガティガムの生産技術は、食品産業の価値向上に貢献する日本発の技術である。この取り組みが評価され、出口さんと三栄源エフ・エフ・アイは第50回井上春成賞を受賞した。受賞を受けて「深海で起こっている現象を科学技術に応用したいと考えて始めた深海インスパイアード化学の研究が、食品製造の課題解決に貢献できたことを誇りに思います。食品の研究は、研究成果を文字どおり味わえるのが醍醐味(だいごみ)です」と出口さんは語る。
そして今は…
常温で圧力だけで成形可能
CO2削減プラスチックを開発
出口さんは現在JSTのCRESTで、バロプラスチックの研究にも取り組んでいる。バロプラスチックは、通常のプラスチックと異なり、ほぼ常温で圧力だけで成形でき、大量の熱を必要としない(図5)。そのため、プラスチック製造における消費エネルギーや二酸化炭素排出量の削減につながると期待されている。圧力でケミカルリサイクルできることもわかりつつあり、資源を循環して利用する循環型社会の実現にも貢献すると考えられている。
出口さんらのこれまでの研究で、既存のプラスチックに添加剤を加えるとバロプラスチックとしての性質が現れることがわかってきた。今後は、プラスチックを構成する分子がどのような構造であれば圧力のみで成形できるか、AIを用いて解析することも試みているという。
乳化剤の開発からバロプラスチックの研究まで、深海という極限環境で起こっている現象にブレークスルーの種を見いだした出口さん。提唱した深海インスパイアード化学は、これからも新たな科学技術を次々と生み出そうとしている。

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