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科学技術振興機構の広報誌「JSTnews」 第45回

【JSTnews11月号掲載】特集2

観察とシミュレーションで生命の謎に挑む 発生学と力学の異分野融合

2025年11月20日 12時00分更新

文● 肥後紀子 写真●渡会春加

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 植物の細胞の中では、生命維持のために多くの出来事が同時に起こり、そこにはさまざまな遺伝子や物質が関わっている。そのため、1つの出来事にどの遺伝子や物質がどのように関わっているのかを特定するのは難しい。東北大学大学院生命科学研究科の植田美那子教授は、秋田県立大学システム科学技術学部の津川暁助教らと異分野融合のチームを作り、植物細胞の「かたち」の変化に注目した低次元化と、力学モデルやシミュレーションの手法を組み合わせることで、複雑な生命システムの解明に取り組んでいる。

シロイヌナズナが研究対象
最もシンプルな受精卵に着目

 さまざまな生物の遺伝子配列を解析する研究が進んでいる。だが、カタログのように全ての遺伝子がわかったとしても、複雑な生命システムを構築する上で、どの遺伝子がいつ、どんな物質を変化させて働くかについては不明なことも多い。植物を構成する根や茎、葉が形成される際に、それぞれの遺伝子や物質がどのような役割を果たすのか。そうした植物の発生の仕組みを研究しているのが、東北大学の植田美那子教授だ。

 植田さんは生命システムで同時多発的に起こる出来事について、複雑さを減らすためにひとまず植物細胞の「かたち」の変化だけに注目した、つまり「低次元化」した力学モデルを構築。実際の観察データと力学モデルのシミュレーションの結果を照らし合わせることで、生命システムを包括的に理解するという方法論に基づいて、植物の発生の謎を解明しようとしている。

 植田さんが現在研究対象としているのは、シロイヌナズナの受精卵だ。シロイヌナズナは、ゲノム解読が全て終了したモデル植物であり、さまざまな分野で研究に使用されている。「ある程度細胞分裂が進んだ状態では、遺伝子の作用が複雑に絡み合っていて、特定の事象に着目するのは難しいです。そこで、1個から2個への細胞分裂という最もシンプルな段階にある受精卵に着目することにしました」。

高精度の観察と力学モデル
「かたち」の変化を解き明かす

 受精卵の細胞の観察には、細胞を生きたまま観察する「ライブイメージング」と呼ばれる手法を用いる。植田さんは、透過性に優れた2光子励起顕微鏡を使ったライブイメージングにより、受精や胚発生など組織の深部で起こっている変化を高い精度で観察する手法を確立。この手法を駆使している研究室は、海外を含めても植田さんの研究室だけだという。研究室には2光子励起顕微鏡が2台あり、長時間の観察も可能だ(図1)

図1 2光子励起顕微鏡は近赤外レーザーを使うため、透過性に優れており、生きている細胞の深部の高精細な観察が可能になる。

 しかし、ライブイメージングによって細胞が変化していく様子を観察するだけでは、遺伝子や物質の働きは解明できない。そこで、植物の仕組みを力学モデルとして表現して、シミュレーションする「植物力学」を専門とし、画像解析にも詳しい秋田県立大学の津川暁助教と協働。ライブイメージングによって得られた高精度の画像データを解析し、力学モデルのシミュレーションを構築することで研究を進めている。

 現在研究を進めているJSTのCRESTでは、植田さんをリーダーとし、津川さんや、生物の画像解析が専門の熊本大学大学院先端科学研究部の檜垣匠教授、理論生物が専門の広島大学大学院統合生命科学研究科の藤本仰一教授らとチームを組む。「それぞれのバックグラウンドが異なるので、お互いの専門用語を教えたり、教わったりするところからのスタートでした。今でも毎月のミーティングで議論を重ねています」と津川さんは話す。

「内と外」を作る仕組み解明
レーザー強度などで試行錯誤

 プロジェクトのスタートから約3年経った現在、植田さんたちのチームは、すでに多くの研究成果を発表している。2023年には、植物の受精卵の細胞が伸長して第一分裂に至る過程について、形状や速度の変化を精緻に捉えることに成功。一般的な植物細胞とは異なり、受精卵は「先端成長」という特殊な様式で細長く伸びることを発見した。翌年には、成長の様子を再現する力学モデルを導出し、細胞の内側からの圧力と、表面の柔軟性という2つの力学的な要素で、受精卵の伸長を説明できることを突き止めた(図2)

図2 受精卵の形状変化を再現した力学モデル。細胞内部からの圧力と、細胞表面の柔軟性の組み合わせのみで、さまざまなタイプの変形を再現できる。

 また、植物の胚が発生する際に最外層で働く遺伝子が壊れていると、内側と外側の組織の性質が混在する胚が作られることも発見(図3-A)。ライブイメージングにより、受精卵の第一分裂から内外軸が作られるまでの胚発生の観察にも成功した(図3-B)。さらに、細胞分裂の方向は、第一分裂後の細胞の形状や核の位置を基に決まるという数学的なルールを、力学モデルによるシミュレーションで特定(図3-C)。植物の「内と外」を最初に作る仕組みを見いだした。

図3 Aは、表皮で働く遺伝子(緑)と胚全体で働く遺伝子(ピンク)の発現を蛍光標識したシロイヌナズナの胚。Bは、野生型胚の発生のライブイメージング像(右上の数値は時間:分)。Cは、胚の細胞形状と核の位置を基にシミュレーションで推定した分裂方向が、実際の分裂面に一致する様子。

 こうした多種多様な成果が得られるまでには、さまざまな苦労と工夫があった。受精卵は種子の奥深くに隠れているので、当初は受精卵を詳しく観察できなかった。試行錯誤の結果、受精卵だけを明るく光らせた植物と、組織の深部まで見ることのできる2光子励起顕微鏡とを組み合わせることで、生きた受精卵の中まで鮮明に観察する方法を開発した(図4)。他にも、顕微鏡の光源として使用する近赤外レーザーの強度が強過ぎると細胞を傷つけてしまうため、照射するレーザー出力の調整にも苦心したと植田さんは当時を振り返る。

図4 皮の薄い若い種子をそのまま液体の培地に沈めることで、種子の外側から受精卵の内部を鮮明に観察できるようにした。右は2光子励起顕微鏡による画像。

 また、ライブイメージングでは、受精卵が動いて画像にわずかなブレが生じ、データの精密な定量化が難しいという問題もあった。受精卵を含む種子は、液体の培地に置かれていることに加えて成長過程にあるため、微妙に動いてしまう。そこで津川さんは、画像から細胞の輪郭を取り出して特徴点を定め、この点に基づいた平行移動と、細胞軸周りを回転させることにより細胞輪郭の固定化に成功(図5)。位置ずれの問題が解消したことで、見た目では判別しづらかったわずかな成長も計測できるようになり、データの精密な定量化が可能になった。

図5 細胞の輪郭と特徴点を抽出して平行移動して位置を合わせた後に、細胞の軸を特定して回転。細胞の輪郭を固定化することで、細胞の成長を精密に定量化したデータを取得できるようにした。

品種改良、環境科学に可能性
さらなる異分野融合も検討中

 直近の成果としては、細胞の形状の変化に関わる物質である微小管の研究がある。シロイヌナズナでは、受精卵が成長する際に細胞の先端付近にリング状の「微小管バンド」が作られ、細胞の成長に伴って、先端へと移動する。ライブイメージングでこの現象自体は確認されていたが、先端側に動いていく仕組みはわかっていなかった。

 そこで植田さんらは、ライブイメージングの画像分析から微小管バンドの幅や速度を定量化。力学モデルのシミュレーション結果と照らし合わせることで、微小管バンドが移動する仕組みを突き止めた。細胞内の現象を観察するには顕微鏡が有効だが、細胞よりさらに小さいナノスケールの微小管の精密な観察には限界がある。この研究により、観察データを取り込んだシミュレーションが、細胞スケールの振る舞いと分子スケールの振る舞いを横断的につなぐことに有効であると示された。

 これまでの研究で得られた知見は、品種改良や環境科学にも有用となる。例えば「病気に強い種」と「味が良い種」を掛け合わせても、胚が死んでしまったり、生育不良となってしまったりすることがある。受精卵の中で何が起こっているのか解明できれば、掛け合わせの成功率を上げられるだろう。力学モデルによる細胞の集団運動のシミュレーションは、微細な繊維を制御することで製造される繊維強化材料や複合材料などに応用できる可能性があると津川さんは目を輝かせる。

 現時点での成果について、植田さんはようやく大枠が見えてきたところだと評価する。「今後は低次元だけでなく高次元での研究も進めていきたいです。また、機械工学分野の専門家と組んで精密なマニピュレーターで細胞に直接触れて変化を見る、あるいは化学領域の研究者と共にこれまでとは異なる蛍光色素を使うなど、さらなる異分野融合も検討していきたいです」と意欲を語った。

津川暁さん(写真左)「形態形成学の研究では、データ科学とモデル科学が両輪として機能することが、とても重要です。専門分野に凝り固まらずに、異分野と当たり前にコミュニケーションできる次世代研究者がたくさん出てくることを期待しています」/植田美那子さん(写真右)「研究者を目指すなら、好きなことを究めてください。自分だけではどうにもならないと思った壁も、周りの人の力を借りれば必ず乗り越えられるので、怖がらずにチャレンジしてほしいです」

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