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「Zoom疲れ」の正体は通信品質じゃなかった。ソニー発カーブアウトの『窓』がつなぐ“心”の距離感

「会う」を再定義する。テレプレゼンススタートアップ・MUSVIの挑戦

連載
このスタートアップに聞きたい

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“気配”を伝えるための設計

  同社ではこのズレを「認知的不協和」と呼んでいる。例えば、ビデオ会議中に自分の近くで大きな物音がしたとしても、通常の会議システムではその音はノイズとしてカット処理される。すると、相手には何が起きたか伝わらず、「唐突に反応する人」に見えてしまう。こうした小さなズレが積み重なることで、相手の雰囲気や人柄がうまく伝わらず、「なんとなく噛み合わない」という感覚が残る。これが、オンライン会議の限界の正体だ。

 この“違和感”をなくすため、『窓』には以下のような設計思想と技術が込められている。

 筐体は、姿見のような縦長ディスプレーを採用。これは、顔だけでなく“丹田”(おへそあたり)も含めて全身を映すことで、安心感やリアリティが増す、という認知心理学的な知見に基づいている。ディスプレーには、マットな液晶パネルを採用。映り込みが少なく、目にも優しいため、“窓ごしに誰かがいる”という自然な見え方に近づけている。

 視線のズレも、違和感の原因になる。一般的なビデオ会議端末では、カメラがディスプレーの上やフチに取り付けられることが多いが、それでは目線がずれてしまう。MUSVIでは、あえてカメラを画面の中、ちょうど相手と目が合う位置に配置している。「デザイン的にはカッコ悪くなるんですが(笑)、それでも“ちゃんと会えている感覚”を優先したかった」と阪井氏。

 筐体の左右にはステレオマイクを搭載。半径20メートルほどの範囲の生活音や環境音を拾い、ノイズキャンセリングはあえて使わず、そのまま届ける。遠くの足音やドアの開閉音も含めて「空間の気配」ごと伝えることで、リアルな臨場感を生み出す。

 その一方で、相手の声が二重に響くような違和感を避けるため、ソニーで培ったステレオエコーキャンセル技術を採用。複数人の発話でも、自然な会話のキャッチボールが可能だ。

 『窓』を通すと、同じ通信回線を使っているはずなのに、いつものオンライン会議とはまったく違う。あたかもそこに相手がいるかのように、自然な会話ができる。人は無意識に相手の様子やタイミングを感じ取りながら会話している。ところが、オンラインではその微妙な「気配」が伝わりづらくなるため、自然なテンポが崩れ、心理的なズレとして違和感が残るのだという。

 『窓』では、そうした心理的な“間のズレ”が起きにくいよう設計されており、対面さながらのテンポで会話が進む。

社内提案からカーブアウトへ──「窓」の出発点

 『窓』の出発点は、ソニーの企業内大学である「ソニーユニバーシティ」だ。入社2年目で選抜された阪井氏は『窓』の原型を提案し、その後ソニーで約20年にわたり、通信・映像機器の開発に従事。遠隔コミュニケーションにおける「存在感の再現」というテーマに強い課題意識を抱いていた。

 このテーマをもとに、『窓』はソニーグループ内の研究開発部門で社会実装に向けた実証実験を経て、事業化の道を歩み出す。

 次のステップとして、阪井氏はソニーグループのSREホールディングス傘下の事業会社で、法人向けのプロトタイプ開発と実証導入に取り組んだ。商業施設や医療・教育現場、自治体との実証を通じて、「リアルに会うような感覚」が評価され、実用性への確信を深めていった。

 そうした手応えを受け、ソニーからのカーブアウトとして2022年1月にMUSVI株式会社を設立。現在もソニーは出資・協業パートナーとして関与しており、「大企業のリソースで実証を繰り返し、確信を持ってから独立」というステップは、技術系スタートアップにとって1つのモデルケースともいえる。

建築、金融、医療──現場から見えてきた手応え

 『窓』は現在、建設、小売、金融、医療といった幅広い分野で導入が進んでいる。例えば、建設現場では、従来は毎回現場に出向いて確認していたような工程において、『窓』を使うことで遠隔からでも現場の空気や進捗状況が把握できるようになったという。危険な箇所や作業の雰囲気といった言葉にしづらい情報も、“気配”として伝わる。

建設業での導入事例

 また、MUSVIの主要株主でもあるセーフィー株式会社が提供するAI監視カメラとの連携も進んでいる。セーフィーのカメラが高精度なデータ処理を担い、『窓』は人の感覚を補う存在として、現場の臨場感を遠隔地にも伝える。それぞれの特性を活かしながら、補完的に機能している。

千葉銀行の導入事例

 金融機関では、『窓』によって新たな顧客体験が生まれている。千葉銀行では、窓口レス店舗などに設置することで、遠隔地にいる担当者がリアルタイムで接客を行うしくみを構築。まるでそばにいるかのような臨場感があり、チャットボットにはない安心感が生まれている。また、ある証券会社では、資格を持つ人材が複数の店舗と同時につながり、即座に指示や対応ができる体制を構築。人材を効率的に配置しながらも、クオリティの高い対応を維持しているという。

診療カーでの利用事例(仙台市)

 医療・介護の領域でも、『窓』は身体的・心理的負担を軽減する手段として活用が広がっている。離島の診療所では、本土の医師が移動せずに診察を行ったり、介護施設と家族の自宅をつないで面会を可能にしたりと、時間や距離の壁を越える「もうひとつの窓」としての役割を果たしている。

 「将来的には、あらゆる場所に“窓”があるのが当たり前、という世界を目指しています。病院にも学校にも『窓』があって、どこにいても誰かと“ちゃんと会える”。そんな日常をつくっていきたいです」

 実際、導入台数は100台、500台と増え続けており、「やっぱりこういうもの、必要だよね」と共感の声も増えてきており、社会の空気が変わってきたという手応えも感じているそうだ。

 MUSVIの挑戦は、技術と感性のあいだにある“もうひとつの可能性”を社会に問いかける。『窓』は、リアルとバーチャルのスキマを埋める“第三のコミュニケーション”として、今後ますますその価値を広げていきそうだ。そして、大企業のリソースを活かしながらも、あくまで独立した立場で勝負をかけるそのスタイルも、既存の組織でもスタートアップでもない、“第三の道”としての選択肢を提示している。

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