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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第825回

バッファがあふれると性能が低下する爆弾を抱えるもライセンスが無料で広く普及したAGP 消え去ったI/F史

2025年05月26日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII

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1998年にはVL-Bus/PCIからほぼAGPに移行
ライセンスも無料で爆発的に普及する

 インテルはビデオカード専用バスの開発をわりと手早く実行した。ベースとなったのはPCI Revision 2.1である。ここで32bit幅で信号速度を66MHzにすることで266MB/秒の帯域が利用できるのだが、AGPではDDR転送を行なう2xモードを追加、最大帯域を533MB/秒に引き上げた。

 加えて、PCIの場合と異なり基本Point-to-Pointでの接続になるので、Shared Busで必要とされていたいくつかの機能(例えば複数の転送リクエストを同時に実行するためのDelayed Transaction)はあっさり省かれている。その一方で、オリジナルのPCIにはないSBA(Side Band Addressing)という、データ転送する際に同時にアドレス指定が可能なアドレス線(8bit)や、通常のPCIとは異なるExecuteモードと呼ばれるデータ転送モードなどが追加されている。

 2xモードで533MB/秒は、先のRIVA 128の1.6GB/秒に比べるとまだだいぶ低い数値ではあるが、それでも工夫すればまだ実用になる範囲の帯域と考えられた。要はよく利用するテクスチャーやデータはLFBに置き、頻繁に使わないものはGARTを利用してPCのメインメモリーを利用する、という話である。この技法はPCIの時代にももちろん用いられていたが、AGPを使うことでだいぶPCIよりは性能がマシになると考えられた。

AGPスロット。画像は玄人志向のAGP→PCI変換アダプター「CHANGE-AGP2PCI」から

 なぜインテルは突如としてビデオカードの性能改善に取り組んだか、と言えばもちろん業界的にそうしたものが必要な時期になってきていたという事情もあるが、もっと身近な理由としてこの当時「Intel 740」というグラフィックチップを水面下で開発していたからでもある。

 Intel 740は以前GPU黒歴史として紹介しているが、メモリーは32bit幅のものが2個(つまり64bit幅)で、100MHz駆動だったから800MB/秒程度でしかなかった。

 しかもスペック的には4MBのSGRAMを2つ搭載可能だったが、最小構成のものでは1MBのSGRAM×2でわずか2MBしかなかった。さすがに2MBで3Dは苦しいと思うのだが、AGPを使えばPCのメインメモリーを使えるため、それなりの性能で動く! という目算だったとしか思えない。

 そうした思惑はともかく、AGP 1.0の仕様書は先にも述べたように1996年7月に公表され、これをサポートしたチップセットとしてIntel 440LXが1997年8月にリリースされる。

 ただインテルはこれをPentium Pro/Pentium II向けの差別化要因にしたいと思ったのか、ついにSocket 7向けチップセットではAGPのサポートはなく、Socket 7の市場はVIAがApollo VP3を1997年11月にリリース、ALiやSiSもこれに追従することで、あっという間にAGPはPC市場に普及することになった。

 ビデオカードの方も、1996年9月という極めて早い時期にCirrus LogicがLaguna3D CL-GD5465を発表、1997年からの出荷を発表した(が、連載147回で解説したようにCL-GD5465には3Dアクセラレーターが搭載されておらず、ほとんど売れなかった)し、ATIの3D Rageも1997年中には発表されていた。

 1998年に入るとNVIDIAのRIVA 128ZX(RIVA 128のAGP対応版)やS3のViRGE/GX2など、続々とAGP対応のグラフィックチップが投入され、1998年に入るとビデオカード市場はVL-Bus/PCIからほぼAGPに移行しつつある感が強かった。そんな中にIntel 740が投入され、敗退した理由は黒歴史の方で説明している。

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