3カ月で製品! 8080を世界最速で実用化できた理由
1970年代、日本発マイコンベンチャー「ソード」を知っているか──椎名堯慶氏インタビュー(前編)
2025年03月22日 09時00分更新
ソードはほぼ唯一のハードウェアベンチャーであり
ソフトウェアの重要性も見抜いていた
いま我々が日々お世話になっているパソコンは、いつ頃どのようにして製品化されたのだろうか。そのきっかけになったのは8ビットのマイクロプロセッサの登場で、1974年から1977年にかけて米国を中心に起こったとされている。
その誕生物語においては、MITSの「Altair 8800」やApple Computerの「Apple II」などがよく知られている。しかし、それらの初期の製品に遅れることなく、むしろ先行していた日本企業があったのをご存じだろうか?
それが、日本の黎明期のパソコンとコンピューター産業を語る上で最も重要な企業の1つといえるソード(SORD)である。1970年代から1980年代のコンピューター業界を知る人たちなら誰もが知る事柄だが、1990年代以降にこの業界にかかわった人たちには“知られざる企業”となっているのではなかろうか。一般のビジネスマンも彼らと同じ時代に仕事をした人なら経済紙などでその名前は見ているはずである。私も「コンピューターのソニー」と表現されている記事を見た記憶がある。
米国ではIBMなどもやがて参入してくるが、とくに初期のマイコンを作る企業はガレージから生まれたようなベンチャー企業が少なくなかった。それに対して日本は、日本電気(NEC)や富士通、日立といった総合電機メーカー、あるいはシャープなど家電メーカーが目立つ。
そうした中で、ソードは、創業者である椎名堯慶氏がたちあげた、いまでいうスタートアップ企業である。しかも、ソードはその後のビジネスユースを先取りしたマシンコンセプトと同時にソフトウェアの重要性をうたっていた。
世界初の表計算ソフトVisiCalcと同時期に、プログラミング知識が不要なPIPSというソフトウェアも発売していたのである。
イノベーションの推進が喧伝され、起業家の育成が叫ばれるいま、どのようにそれが成し遂げられたのか、いまこそ顧みる価値のある存在といえる。
ソード創業者の椎名堯慶氏に貴重な話を聞く
このインタビューは、そうした貴重な日本のコンピューターメーカーである「ソード」について、創業者である椎名堯慶氏に伺ったものである。今回は、その《前編》として椎名氏がソードを立ち上げるまでの経緯と、1970年代のソードの製品に焦点をあてる。
なお、インタビューは、2025年2月に東銀座のドワンゴ本社において、元ソード社員の今村博宣氏と大久保洋氏の同席のもと、2025年4月開校のZEN大学のコンテンツ産業史アーカイブ研究センターのオーラルヒストリーとして収録したものである。
