高層ビルや歴史的建造物など、丸の内の建築群を現場のレポートを交えながら紹介する連載「丸の内建築ツアー」。今回は、高度経済成長期に初めて全館冷房を導入し、竣工時は東洋一のマンモスビルと呼ばれた「大手町ビル」を紹介します。
超高層ビルが建てられない時代に計画が浮上した東洋一のマンモスビル計画
戦後の高度経済成長期に突入した1950年代中盤、当時から既に日本国内屈指のビジネス街に成長していた「丸の内」エリアでは、オフィス需要が急増し、丸の内の優位性を高めることやビジネスセンターの分散化を防ぐ目的で、地上9階、地下3階、軒高30.255m(塔屋を含めた最高高さ39.980m)、延床面積11万1,272.72㎡の大規模オフィスビル構想が浮上します。
建築基準法で1961年に特定街区制度、1963年に容積地区制度が制定されるまでは、百尺(高さ31m)規制が存在しており、大手町ビルが計画された1950年代後半はまだ超高層ビルが建てられず、ビルの高さを基本的に31m以下としなくてはなりませんでした。
そのため、需要が旺盛であった丸の内エリアを含め、三菱地所のオフィスビルは全て地上8階建てで統一されていましたが、高度経済成長によってオフィス需要がひっ迫していたことや、経済性の観点から階高を抑え、フロア数を増やした地上9階建てのオフィスビルとして計画されます。
大手町ビルヂングは、1956年5月に着工、1958年4月10日に竣工します。数年後には超高層ビルが建てられるようになりますが、当時はまだ建てられなかったため、法律上かつ執務空間上の限界までボリュームを増やした東西約200mの長さがあり、東洋一の規模を誇るオフィスビルが完成します。
また、現在では当たり前となった複合用途からなるビルとして開業し、地下3階には広域高圧変電所「大手町変電所」や1970年代には地域冷暖房施設のサブプラントも設置、地下2階には東京メトロ丸ノ内線直結の地下商店街、地下1階には地下駐車場「ガレージ」となっており、地上1階に店舗、1階~9階までオフィスが入ります。
さらにアメリカのオフィスビルにならい、エレベーターや階段、水回り、通路などを建物の中央部に集約して配置する「コアシステム」を初めて導入、ダクト式の全館冷房設備も導入しました。
当時の法的な制約から、超高層ビルにはなりませんでしたが、超高層ビルを横に倒したような巨大さ、商業業務の複合用途、変電施設や全館冷房、コアシステムなどの設備面などは現代の超高層ビルと遜色ない最先端のビルでした。
築50年以上が経過し、再開発されるかと思いきや、全面リノベーションにより生まれ変わる
2010年代後半にもなると、大手町ビルは再開発もしくはリノベーションによる機能更新が求められるようになってきます。1950年代の低層で、短い柱間隔や長い廊下形式であるといった特徴から、小割オフィスメインのスタートアップ企業のテナントが入りやすいほか、強度上も問題なく使い続けられることから、リノベーションが行われることになり、2018年7月2日にリノベーション工事に着手します。
リノベーション工事中の大手町ビル。窓部分の取り換えも行われたが、既存の窓の外側に新たな窓を取り付け、その後既存の窓を撤去するなど、施工手順を工夫し、テナントが入居したまま改修工事が進められた。2019年9月撮影
リノベーションにより、外装材の更新も行われ、大手町ビルの東側と西側ではそれぞれ外観が異なり、東京駅や三菱一号館美術館などが立地する大名小路に面した東側は「レンガ」を基調としたデザイン、皇居のお堀や二重橋などの立地する日比谷通りに面した西側は「石垣」をモチーフとしたデザイン、さらに仲通りが貫通する中央部分は通り抜け感を演出する「ガラス張り」となっており、東側から西側にかけて5段階に分けてリズミカルに外観ファサードが変化していきます。
また、リノベーションにより屋上には「SKYLAB」が整備され、ワークスペースや農園が新たに設けられたほか、今までは年に1回の御開帳日以外立ち入ることができなかった「大手町観音」も参拝スペースができ、一般来館者も参拝できるようになりました。
ちなみにこの「SKYLAB」からは大手町・丸の内の超高層オフィスビル群を望める絶好の撮影スポットでおすすめですよ。
リノベーションがなされても生き残り続ける昭和の空間
令和の世に生き残り続け、リノベーションされた「大手町ビル」ですが、すべてリノベーションされたわけではなく、所々、竣工時の姿も残されています。
実は、各階の床に敷かれた人造大理石「テラゾー」は竣工当時からのもので、東西約200mに延びる真鍮目地で張り分けられ、磨かれた仕上げは当時のまま残されています。
ほかにも、メールシュートと呼ばれる上階から1階に郵便を投下できる壁に埋め込まれた郵便ポストも現役であったり、1階のエレベーターホール前の円柱形の柱や、1階中央部のエントランス付近の曲面を描いた壁面などは66年経った今でも当時のままとなっています。
さらに、階段や地下ダンジョン編でも紹介した地下の一部の通路は、ほぼリニューアルされていないため、年季が入ったレトロな姿のまま、昭和な空間を残しています。
この連載の記事
- 第25回
地方活性
丸の内を歩くのはなぜ気持ちいい? 皇居前の特等席「丸の内二重橋ビル」が守り抜いた“100尺の美学” - 第24回
地方活性
東京駅から有楽町駅に架かる美しい煉瓦アーチ造りの「新永間市街線高架橋」は山手線と共に100年をつなぐ - 第23回
地方活性
丸の内の隠れたレジェンド!再開発第一世代、「オフィスの丸の内」 を代表する「三菱ビルヂング」 - 第22回
地方活性
千葉からまるごと移設した人工の森と米同時多発テロの記憶を持つ超高層ビル「大手町タワー」 - 第21回
地方活性
廃墟ビル、空室ビル、移転予定ビルなど退廃が彩る大手町の古参ビルを巡る - 第20回
地方活性
丸の内ダンジョンの南端を担う“夜遊びビル” 「東京ビルディング」 - 第19回
地方活性
立ち退き交渉→覚書→反対→白紙→再交渉→まだ揉める 大揉めの末ようやく完成した「有楽町電気ビルディング」 - 第18回
地方活性
日本を揺るがす大事件の記憶を持ち、今も丸の内を見守る「丸の内二丁目ビル」 - 第17回
地方活性
5棟のビルで作られた高層のダンジョン、異世界転生レベルの吹き抜けが圧巻!「丸の内オアゾ」に見る「歩いて移動」する人向けの仕掛け - 第16回
地方活性
バブル期に誕生し令和に止まった回転レストラン、戦後・闇市横丁の名残を残す地下街、歴史が層を織りなす建物「交通会館」












