バズるレシピのキャッチコピー
アスキーグルメのモーダル小嶋です。Twitterが「X」になりました。おかげさまで、仕事の打ち合わせでも「ツイート……って、もう言わないんですかね?」「Twitterの公式アカウントで……『Xの公式アカウント』と書いたほうがいいんでしょうか?」などと、時間のかかるやり取りが発生しております。
まあ、とにかくTwitterでは……いや、今はXですか……料理のレシピを紹介するツイートがあります。あ、ツイートじゃなかった、x's……じゃなくて、ポストがあります。料理に携わる人はもちろん、調味料メーカーなども積極的に投稿していますね。自分も参考にすることもしばしばです。
ただ、140文字という制限の中で、レシピを展開するのはなかなか難しいもの。連投したり、画像にしたり(1つの投稿に4つ添付できる)という手もありますが。
逆に言えば、その短さに収まるレシピになるわけですから、必然的に作り方もシンプルになりやすい。「これなら、自分もやってみようかな」と思わせる手軽さから、人気を博したもの、要するに“バズった”ものも多いですね。
この手のレシピを紹介する投稿では、SNSで拡散されるために……というよりも、そのレシピで作った料理のおいしさを伝えるために、ちょっと扇情的な文句が使われることもあります。
たとえば、「家庭で作ったとは思えない」とか、「ラーメン店より美味い」とか、「他の〇〇は食べられなくなる」とか。その中に、「米が秒で消える」というものもあります。ごはんがとてもすすむ味だよ、という意味でしょう。Googleで検索しても、かなりの数のレシピがヒットします。
マジレスといえば、マジレスなんですけど
さて、本題です。マジレスといえばそうなんですけど、「米が秒で消える」料理って、本当にあるのかなあと思うんですよ。
まあ、「実際問題、米は秒では消えません! はい論破!」などと強く言いたいわけではない。この表現を使うことによって、そのレシピで作った料理が「いや……そこまでじゃなくない?」と思われる可能性がある点についてです。
ネットミームの1つに「5000兆円欲しい!」というものがあります。これは、「5000兆円」という金額が、きっかり欲しいわけではない。「考えられないほどの大金」がほしいということでしょう。
ネットでは、そういう「異常な大きさの数字を持ち出すことで、強い感情を伝える」文化があります。「65535倍速い」とか、「100点満点で2000万点」とか。Twitter……じゃなかった、Xで見ませんか、そういうやつ。
仮に、100点満点で3つのものを評価して、それぞれ「80点」「90点」「100点」という点数になったとします。このケースでは、3つの評価を横並びにしたとき「100点>90点>80点」と考えて差し支えないでしょう。
しかし、「100点満点で65535点」「100点満点で2000万点」などと言われている場合(もちろん、発言している側はある種の「ネタ」で言っているわけですが)、後者が前者の305倍ほどすぐれているとは言いがたいのではないでしょうか。どちらも「超よかった!」という表現なわけで、100点を基準にしたスコアではない。具体的な比較のための数字ではないのです。
たとえば日本では、「八」は「多い」ということを示す数でした。「八百万(やおよろず)の神」の“八百万”というのは実際に800万種類いるわけではなく、「たくさんいる」ということを示すものです。江戸時代に、江戸は町が多いということで「八百八町」と言われましたが、これらも「5000兆円欲しい!」と同じ感覚かもしれません。
ちょっと話が脱線しましたが、結局のところ、「米が秒で消える!」というのは、「めちゃくちゃおいしいです!」と伝えたいのだろうと思うのですよ。それを「秒で消える」という表現にしている、と。
「そこまでじゃないのでは?」と思われるリスク
「おかずに向いている」ということを言いたいのは伝わるのですが、人によってはマジレスしてしまうほど、過大な表現というか。どこかで「言いすぎじゃないか?」とも思ってしまう。
表現が強すぎて、「おいしいけど、そこまでじゃないのでは?」「秒で消えるというほど、ごはんがすすむ感じではないのでは?」など、いらないツッコミをもらってしまう可能性もあるのではないでしょうか。
140字前後で注目を浴びないといけないので、インパクトのある表現を使うのは、当然といえば当然なのですが……。「そんな料理、存在するのか?」という考えを持つ人も、ある程度はいると思うんですよ。
また、「米が秒で消える」的な表現が増えることで、オーバーな表現がインフレしてしまい、どういう味の料理なのかわかりにくくなってしまうのでは……という危惧もあります。「デカいこと言ったもん勝ち」というか。そのせいで、ますます味の魅力が伝わりにくくなるリスクも生まれるような。
やや異なりますが、個人的には、「犯罪級の美味さ」みたいな表現もちょっと気になっています。これもインパクトを与えたいのでしょうが、比喩表現として、ちょっとネガティブな形容じゃないかなあと。ただ、これは、メディア側の人間として敏感になっているだけかもしれません。
「〇〇より美味い」ってどうなんでしょう
もう一つ、筆者が気になっているものがあります。自作のレシピを称揚するために、「正直、(特定の地名)の〇〇より美味い」とか、「ラーメン店の△△より美味い」とか、比較を使った表現を用いるものです。「これを食べると他の□□は食べられない/戻れない」あたりもそうですね。
もちろん、こういう書き方を選ぶ理由はわかります。たとえば、「中華料理店のチャーハンより美味い!」などと書いてあったとしましょう。それがSNSの投稿にまとまるくらいのシンプルさで作れるとあれば、自分でもやってみよう、となるのでしょう。
一般の方がそういう表現を用いるのは、わからなくもない。ただ、料理研究家や、料理を作る側の人などが使うのは、いささか軽薄ではないかという気もします。
飲食の世界で仕事をしているなら、専門店であれ、チェーン店であれ、それぞれの苦労があるのは多少なりともわかるはず。仕入れのむずかしさ、原価との戦い、コストの問題、新メニュー開発の努力。そういった事情を抱えている側に対し、「〇〇より美味い」とあっさり書いてしまうのは、ちょっとデリカシーに欠けるのでは……と感じているのです。
ただ、いろいろ言ってきましたが、「それでは、X(元Twitter)でレシピを投稿するとき、どういう書き方にすればよいのか」ということに関しては、筆者としても答えが出ていません。「お前の言う通りにすると、目立たないじゃん」と言われると、それはそうだろうな、とも思います。では、どうするか……。
煽り文句を使うな、と言いたいわけではない。表現がインフレしていくあまり、ちょっと過激になる傾向があるとすれば、時には行き過ぎる可能性もある点に気をつけたいものだなと。それは、メディアの人間である筆者などは、より一層意識しなくてはいけないことですが。
モーダル小嶋
1986年生まれ。「アスキーグルメ」担当だが、それ以外も担当することがそれなりにある。編集部では若手ともベテランともいえない微妙な位置。よろしくお願いします。