新横浜ラーメン博物館のウラ話 第14回

ラー博にまつわるエトセトラ Vol.9

「極太麺×濃厚つけダレ×魚粉」のスタイルを確立した川越「頑者」

文●中野正博

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 みなさんこんにちは。2024年の3月に迎える30周年に向けて、これまで実施してきましたさまざまなプロジェクトが、どのように誕生したかというプロセスを、ご紹介していく「ラー博にまつわるエトセトラ」。

 今年の7月より、過去にご出店いただいた約40店舗の銘店を2年間かけて、3週間のリレー形式で出店していただく「あの銘店をもう一度」がスタートしました。おかげさまで大変多くのお客様にお越しいただいております。

前回の記事はこちら:【連載】ラー博にまつわるエトセトラVol.8 2年で味わい尽くす、ラー博30年史

過去の連載はこちら:新横浜ラーメン博物館のウラ話

 第3弾は「極太麺×濃厚つけダレ×魚粉」という、それまでになかったつけめんのスタイルを確立し、その後活躍するお店に大きな影響を与えた、川越「頑者」(がんじゃ)。出店期間は2022年8月12日(金)~9月1日(木)の3週間です。

頑者のつけめん

 それでは簡単ではございますが、頑者の歴史についてお話いたします。

 1985年、創業者 大橋英貴氏の父親である故・大橋英政氏が製麺会社「有限会社ひかり食品」を設立。1993年、川越市月吉町に「ガンジャ」をオープン。このお店はつけめんではなくラーメンを主体とした店でしたが、2000年、川越市新富町に「頑者」をオープン。「極太麺×濃厚つけダレ×魚粉」という新しいつけめんのスタイルを作り上げ、東京ラーメン・オブ・ザイヤーの最優秀新人賞(2001年)、つけめん部門最優秀賞(2002年~2005年)などさまざまな賞を総なめしました。

 その後、頑者のスタイルにインスパイアされた数々の有名店が「極太麺×濃厚つけダレ×魚粉」を取り入れ、このスタイルは特に2010年代に多くのお店で模倣されました。

創業者 大橋英貴氏

 ここでつけめんの歴史について簡単に触れさせていただきます。

 つけめんの歴史は意外にも古く今から半世紀も前の1955年に大勝軒が発売した「特製もりそば」が最初と言われています。その後、1973年に創業し大規模チェーン展開を行った「元祖つけめん大王」が「つけめん」という言葉を生み出しました。しかし、この「つけめん」は一部のファンの間にしか広まらず、一般に定着することはありませんでした。

 「つけめん」が定着するきっかけとなったのは2000年頃からのことです。

頑者本店の行列(2010年撮影)

 川越にある「頑者」が「極太麺×濃厚つけダレ×魚粉」という新しいジャンルのつけめんを生み出したことと、東池袋大勝軒の店主・山岸一雄氏のお弟子さんが独立し始め、大勝軒系列の店が増えたこと、大勝軒の常連客から人気店になった「べんてん(高田)」、「道頓堀(成増)」といった店の影響が大きなエポックとなりました。その後、2002年に初のつけめん専門店として「ぢゃぶ屋」のオープン、「頑者」のスタイルから影響を受けた「六厘舎」や、つけだれに焼き石を投入し冷めにくい「つけめん」を提供する「つけめんTETSU」等、個性あふれる「つけめん」が登場し、ついにはファミリーレストランでもメニュー化されるほどになりました。そして、2009年には「つけめん」だけを集めた大イベント「大つけめん博」まで開催され、予想を遥かに上回る人出となりました。

 さて、頑者のつけめんについて「濃厚つけダレ」、「極太麺」、「魚粉」の3つの切り口でご紹介します。

 極太麺・・・讃岐うどんのようなモッチリ感と生パスタのアルデンテのような食感を独自の手法により両立させた麺は、店主自らが毎朝作り続けています。ほかの追随を許さない極太麺は、「プロが作る自家製極太麺」なのです。

頑者の極太麺

 濃厚つけダレ・・・“濃厚ながらサラッとしていてキレがある”が「頑者」のスープです。この「頑者」のスープは、10時間以上煮込んだ鶏ガラと豚骨ベースの動物系スープと、煮干し・鰹などの魚系スープを混ぜ合わせるWスープになっています。

 魚粉・・・「魚粉」を具材として初めて使用したのが「頑者」です。きっかけは、店主大橋氏がつけめんに合う隠し味を探していたとき、店主の父である英政氏が「面白いものがある。」と見つけてきたものが「魚粉」。店主大橋氏は、この「魚粉」を隠し味として試してみましたが、納得できず悩んでいたところ、「これは隠し味じゃない、1つの具材なのだ!」という発想が生まれました。

頑者が発祥とされる「魚粉(節粉)」

「つけめん」は「ラーメン」か?

 私どもは2010年に頑者が出店する際に「つけめん」は「ラーメン」か?という長年続けられてきた議論に対して、そろそろ結論を出す時期が来たのではないか?と思い、さまざまな角度から検証を行いました。

 私たちが着目したのは「製麺屋さんの出荷割合」と「毎年発売されているラーメン本」を2000年と2005年、2010年で比較しました。

当館のつけ麺調査(2010年)

 2000年の情報誌を見ても、夏に「つけめん」特集が組まれる程度で、夏に食べるものという「冷やし中華」と同じ扱いに過ぎませんでしたが、2010年には1年間通して特集が組まれるようになりました。

 また、多くの有名ラーメン店の麺を作られている株式会社三河屋製麺の宮内厳社長によると「2000年はつけめん用の麺はほとんど需要がありませんでしたが、2005年頃から増え続け、2010年には出荷割合の23%を占めております。この数字には中国料理店用の麺も含んだ割合ですので、ラーメン店だけで考えたら今やつけめん用の麺は40%近くを占めております。つけめんは定着したと感じます。(2010年時のインタビュー)」そもそも「蕎麦」というジャンルから考えて見ると「ざる蕎麦」と「かけ蕎麦」は同じジャンルの食べものとして認識されています。

  総務省が調査する「家計簿調査」の統計の中華そば部門には「つけめん」も「中華そば」に含まれており、「つけめん」は「ラーメン」として扱われています。そのような調査結果から私どもは「つけめん」は「ラーメン」であると2010年の時点で結論を出したのです。

 次回は第4弾 福井・敦賀「中華そば一力」についてお話ししたいと思います。お楽しみに!

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文/中野正博

プロフィール
1974年生まれ。海外留学をきっかけに日本の食文化を海外に発信する仕事に就きたいと思い、1998年に新横浜ラーメン博物館に入社。日本の食文化としてのラーメンを世界に広げるべく、将来の夢は五大陸にラーメン博物館を立ち上げること。