この記事は、国土交通省による歩行空間データの活用を推進する「バリアフリー・ナビプロジェクト」(外部リンク)に掲載されている記事の転載です。
車いすのライターとしてジョブチェンジ!
皆さんはじめまして、車いすのフリーライター・エディターのアカザーです。以前は「週刊アスキー」で平々凡々とダメ編集者をしていました。
そして、21年前にスノーボード中の事故で脊髄を損傷し(Th12-L1)下肢マヒになりました。障害者手帳は1級です。それ以来、歩けなくなったので日常生活では車いすを使っています。リハビリを経て週刊アスキー編集部にも復帰し、15年ほど平々凡々と車いすで編集者をやっていました。
「カオスだもんね!PULS」あたりで検索すれば、車いすになる前となった後のオレが、漫画家さんと“アホなことだけをしている漫画”を読めたりします。車いすユーザーのオレがフツーにアホなコトをしているシーンは満載ですが、ためになるバリアフリー情報は限りなくゼロに近いので、そこを期待すると後悔します。でも漫画は面白い!と思っていただけると嬉しいなぁ。
そんな感じで、週刊アスキーでの編集者時代にはあまり車いすユーザー目線での記事を書いたりはしなかったオレですが、ダイバーシティやSDGsが叫ばれるようになって久しい昨今では、“車いすユーザー目線”てのにもニーズがあるみたいじゃないですか!?
なので、このコラムでは車いすユーザーになってこの21年。オレが感じてきたコトなんかを車いすのライター視点で書いていこうと思います。
中途障害の車いすユーザーのはじめての外出
21年前に脊髄を損傷し手術後ひと月経ったあたりに、「もう二度と歩けません」と言われたオレ。ベッドから身体を起こしただけで意識を失いました。医師の言葉がショックだったワケではなく、身体的要因です。
人間てひと月ほどずっと横になっていると、頭を少し上げるだけで起立性低血圧てのが起こるんですよ。心臓が頭まで血液を上げるのにパワー不足になるのか、簡単にブラックアウト! 秒で現実逃避! カッコ良く例えるなら、戦闘機でGのかかる急旋回をしたときに失神するアレです。なおトム・クルーズだけは失神しない模様。
消えゆく意識のなかでオレの脳裏に走馬灯のごとく過ったのは、小学校校庭での朝礼のシーン。遅刻しそうになり朝飯を食わずに行った朝礼でブッ倒れ、全校生徒が見守るなか先生のお姫様だっこでディズニープリンセスばりに保健室に運ばれた時の記憶。アレって目の前がTVの砂嵐画面みたいになって、いきなりスイッチ切れる感じなんですよね~。
ブラックアウトから数週間後。リハビリも進み、車いすにも乗れるようになり、看護師にドヤ顔まで披露できるようになったころ。ドヤ顔が真っ青になる出来事が。車いすでの初めての外出です。
車いすユーザー向けには作られていない、病院の外の世界へのデビュー戦。ドキドキもんです!
手術を受けたのが新宿区の病院だったこともあり、一歩外に出ると人通りや車の交通はかなり多い環境。階段や歩道と車道の段差が問題であるコトまでは想像していたんですが、実際に車いすで路上に出てみると、壁で先の見えないフツーの曲がり角や、狭い道に路上駐車している車によってつくられる死角が思った以上に怖い! というかヤバイ!
車いすユーザーの身長や目線は小学生のそれと同等なんです。しかも、曲がり角や路上の駐車車両の死角の先には最初に脚の部分が出て、そのあとにやっと顔や体が出せる感じ。“足を先に出して曲がり角を曲がる”という自分ルールを適用した下校中の小学生並みにヤバイ! 脳裏には、学校帰りにゲーセンで遊んだ「フロッガー」のカエルよろしく、ペシャンコになる自分の未来が!
「これは注意をおこたって急に飛び出すと、マジで車いすの前の部分をひっかけられるぞ」と。小学生が安全講習で習う「車道に急に飛び出さない!」コトの重要性を、大人になって再確認。急に飛び出さないことマジ大事!
「そんな今更かよ!」的なコトを胸に、キコキコと注意深く車いすを漕ぎながら新宿区の裏道を進むオレ。通りがかったガードレールで車道と歩道が区切られた細い道でのコト。
ガードレール内側の歩道を少し進んだ先に、1本の電柱が立っていました。電柱とガードレールの隙間は1メートル弱で、車いすがギリギリ通れそう。
「あの幅なら通れるな」と電柱に近づくと、電柱の向こうに居る対向者に気が付きました。オレが通るのを待っていてくれたみたいです。これは健常者でもよくあるので、「すみません」と頭を下げて通過。
しばらく進むとまたもや電柱が。今度はふたりの方が待っていてくれるのに気が付きました。ふたたび「すみません」と頭を下げ、電柱の横を急いで車いすを漕ぎ通り抜けるオレ。
……怪我して間もないころだったので、気持ちがネガティブになっていたからなのか、待ってくれていた方の優しさに「ありがとうございます」と言うよりも先に、「すみません」という言葉が先に出てしまっていました。しかも2回連続!
さらには、「もしかして、この先の車いす人生は、すれ違う人すべてに頭を下げる人生なのでは⁉」とまで思ったんですヨ。いや、どんだけ悪いほうに考えんだよ>オレ。そんなわけないやろ。
今なら、「下をうつむきながらの『すみません』を、笑顔での『ありがとうございます』に変えるだけでオレもみんなもWin-Winですよ!」みたいな三流コンサル的なアドバイスもスラスラ出てくるんですけどね~。
偶然にも、今ベッドの上でコレを読んでいる新人車いすユーザーのアナタ! 「え~マジか~」とガックリしたそこのアナタ! ちょいまち。コレは今から21年前のバリアフリーという言葉がなんとなーく、空耳アワー的に聞こえてきたような平成の昔話なので、令和な今は大丈夫マイフレンド!
今はオレが車いすデビューした20年前に比べて、格段にバリアフリー化が進んでいます。特に東京2020 オリンピック・パラリンピック開催の機運が高まったあたりから、政府もかなりバリアフリーのインフラを整備してくれてるなーと。なので、これから車いすで社会に出ていくそこのアナタは超ラッキー! 当時のオレみたいに、必要以上に悲劇の主人公ぶったりする必要はぜんぜんナッシングです! 自分自身の気持ちの持ち方次第ですが、車いすユーザーでも健常者とそれほど変わらないインフラサービスが受けられると思いますヨ。
リハビリ病院で出会った時速80km/hで走る“大きな車いす”
とはいえ、はじめての車いすでの外出に心をボッキリ真っ二つにされた20年前のオレ。自宅警備隊へのジョブチェンジもかなり真剣に考えました。そんなオレに晴天の霹靂が訪れたのは、所沢にあるリハビリ病院へ転院してからのこと。
その病院での目的は、車いすユーザーとして自立し、社会復帰を目指すためのリハビリをすること。歩ける見込みのある人たちはキラキラ(に見えた)な歩行リハビリをしていました。が、当時の医学では可能性が低いというか、歩ける望みがないと診断されたオレは、日々車いすへのトランス(乗り移り)という地味なリハビリ。「安西先生!オレも歩行リハビリがしたいです」とアピールするも、「左手は添えるだけ」的な地味なリハビリの毎日。
そんなある日、リハビリルームの片隅で、車いすから実物大自動車模型に乗り移ろうとしている人を発見! みるからにハリボテ感満載のソレ。しかしこのリハビリルームにあるからは何か明確な利用方法があるはず。熱視線を送っているオレに、担当の理学療法士さんが、「アカザーさんも車いすに乗り移れるようになれば、あのトレーニングを受けて、自分で車を運転できるようになりますよ」と。
え? どういうコト??
それまでのオレは、“車は両手両足がちゃんと動いてこそ運転が可能ッ!ライセンス取得ッ!”と思っており、足が動かない車いすユーザーのオレは運転免許は失効扱い。車の運転は無理だと思い込んでいたんです。でも、どうやらそうじゃないらしい。無知は罪! あの頃にGoogle先生やYouTubeがあれば!
さらに理学療法士さんいわく、「この病院の裏には手動運転装置の車を運転する教習コースもあるんですよ。車いすを使いこなすリハビリがはやく終われば、入院中にその教習コースも受けられますよ」とのこと。
その言葉を聞いてから約2ヵ月後。教習コースで手動運転装置を使って車を運転しているオレは・・・めっちゃ笑顔でした。
国際福祉機器展で手動運転装置付きのMX-30 を見て、21年前にリハビリセンターで免許を手動運転装置用に書き換える訓練をした時のことを思い出したわ~。”歩けなくても車を運転して行きたい場所に行ける!”ってコトがどれだけ生きる励みになったか。ていうか運転してるワイめっちゃ笑顔なんよ。( ^ω^ ) pic.twitter.com/6VOmDFYlwI
— アカザー (@AKZ161) November 12, 2021
そして入院から10ヵ月後。リハビリ病院からの退院時には、手動運転装置つきの愛車1号こと「三菱 レグナム」を、ディーラーさんにお願いして病院まで持ってきていただき、自分の足ならぬ手で運転し社会復帰の一歩を踏み出しました。
自分ひとりの力でどこにでも行けるって素晴らしい!
車いすでの外出やリハビリを兼ねての電車移動を経験し、車いす用には作られていない20年前の交通インフラに心が折れまくっていたオレには、手動運転装置つきの車がドラえもんの秘密道具みたいに感じられました。
昨年、手動運転装置のドライビングスクールに参加し、車いすのレーシングドライバー青木拓磨さんを取材したとき。青木さんが取材中におっしゃった言葉に、首がもげそうなくらいヘッドバンギング(心のなかで)。
「車を運転しているときって、健常者も障害者もなく、皆さん同じドライバーなんですよね」
さすが手だけでレーシングマシンを300キロオーバーでドライブし、ル・マン24時間レースを初参戦で完走した男は言うコトが違うぜ!
それまで“自動車は大きな車いす”だよな~くらいにしか思っていなかったオレですが、この青木さんの言葉もまた晴天の霹靂でした。そうなんですよ! 車いすユーザーも健常者も車にのればみんな“ドライバー”なんですよね! そう考えたら車って最強のバリアフリーアイテムな気がしてきませんか?
今後は手動運転装置付きの自動車と同じように、車いすユーザーの可能性を広げてくれるアイテムはもっと出てくると思います。車いすユーザーだって、行きたいときに行きたい場所に行ける時代がきましたよ〜。
この連載の記事
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車いすのレーシングドライバー青木拓磨氏が考える車いすでの移動とは?