イベントのクライマックスは
「6輪タイレル」が鈴鹿を疾走!
1976年と1977年のF1世界選手権参戦に用いた6輪のF1カー「ティレルP34」が登場すると、会場からは歓声が沸き起こりました。
ここで「6輪タイレル」について簡単に説明しましょう。ティレルは空気抵抗発生要素の一つであるフロントタイヤを小径にし、スポーツカーノーズの陰に隠すことで、トップスピードを延ばすことを考えました。しかし単純に小さくするとブレーキなどの面で問題が出てきます。そこでフロントを4輪として接地面積を稼ぐことで解消できると考えたのです。
一見珍車に思えますが戦闘力は一級品で、デビュー4戦目のスウェーデンGPで1-2フィニッシュを飾ったほか、この年の日本初のF1公式戦で、ボディーに平仮名で「たいれる」と書き込まれたマシンに乗った「どぱいえ」(ドゥパイエ)が2位に入賞。コンストラクターズの年間ポイントでも、フェラーリやマクラーレンに続く3位につけました。
ですが、翌年タイヤメーカー「ミシュラン」が参戦し、タイヤ戦争が勃発。ティレルに供給していたグッドイヤーはその対応に追われ、P34用の小径タイヤの開発が停滞します。その結果、相対的にパフォーマンスが低下し、わずか2年で6輪F1マシンはサーキットから姿を消しました。
今回登場したのは、元F1ドライバーのピエルルイジ・マルティニ氏が所有する76年後半に製造されたP34/5。ちなみにP34は6台のシャーシが製造されており、そのうちの1台は静岡県に本拠地を置くタミヤが、ラジコンやプラモデル開発用として譲り受けています。本社ロビーの実車展示コーナーでその姿を見ることができ、会社見学(平日のみ/無料/要予約)で、その姿を見ることができますので、ご興味あれば是非。
そんなP34ですが、アルミハニカムモノコックのボディーに480馬力を発するコスワースDFVエンジン(3000cc V型8気筒)を搭載。実物を見ると「かなり小さい」という印象で、それもそのハズ、全長は4318mmですが、トレッド幅は前1234mm/後1473mmしかありません。今時の車に例えるとCセグメントハッチバックを軽自動車の幅まで狭めた、といったものでしょうか。
ステアリングを周りを見ると、フューランドFG400(6速)ミッションのシフトレバーが木材という点がどこか新鮮。ちなみにティレル019のシフトレバーも木材のようでした。そしてフロントに大型のオイルクーラーを配置しているのも目を惹きます。タイヤウォーマーも前2輪をぐるりと包んで温めていました。
走行する姿は、どこか気品に溢れるもの。自然吸気エンジンらしい甲高い音を響かせながら、クイックに曲がる姿は印象的なものでした。ぜひ来年も日本に来て、鈴鹿や富士でその姿が拝めれば、と誰もが思ったことでしょう。
伝説のライダーがバイクに戻ってきた
今回の「SUZUKA Sound of ENGINE」のもう一つのトピックは、オートバイのロードレース世界選手権「WGP」の最高峰を制した偉大なるアメリカンライダーが来日し、デモ走行をするというもの。その3名とは、1978年~80年に3連覇し、コーナーリング時に乗車ポジションをコーナーの内側に移動させる「ハングオフ」スタイルを確立したケニー・ロバーツと、84~89年までのWGPチャンピオンに輝いた「総合能力ナンバーワン」と評価されているエディー・ローソン。そして90~92年の3年間、チャンピオンに輝いたミスター100%ことウェイン・レイニーというレジェンド達です。
オートバイに詳しい方なら、「レイニーって……」と思われるでしょう。ウェイン・レイニーは、93年のイタリアGPでトップを走行中に転倒。その怪我により下半身不随となり、以来車椅子生活を余儀なくされています。そのレイニーが再び、鈴鹿の地でバイクに乗ったのです。
セレモニーの後、懐かしいマルボロカラーのバイクで走り始めたウェイン・レイニーの姿に、会場からは温かい歓声が。レイニーも四半世紀ぶりのオートバイの感触を確かめるかのように、ゆっくりとしたスピードで走行しながら、時折ファンに手を振ります。その後ろを、ケニー・ロバーツとエディー・ローソンが追走。
いつしか追い抜いてしまうのですが、それが2人の先導を受けて走るようにも見え、どこかウイニングランのようにも思えました。そして最後は3名が並んで走行。偉大なるアメリカン・レジェンドが夕日に照らされる姿は神々しいものがありました。
単なる「懐かしい」「あの頃はよかった」という懐古的なものではなく、過去の名車の姿から、改めてモータースポーツのすばらしさを感じることができた「SUZUKA Sound of ENGINE」。ゆったりした環境で、名車たちを近くで見て、そのサウンドを体験できる貴重な機会でした。今から来年の開催が待ち遠しいです!