2018年5月に都内で開催された自治体総合フェア2018において、宮崎県綾町におけるブロックチェーン活用の取り組みが語られた。ブロックチェーンといえば仮想通貨の基盤技術として知っている読者が多いと思うが、綾町では「改ざん不可能な情報台帳」というブロックチェーンの特徴に注目し、有機野菜の付加価値向上に活かそうとしている。
子育て世代を含め多くの移住者を受け入れ、
人口微増を保つ宮崎県綾町
宮崎県綾町長 前田穣氏らが登壇したのは、「スマホで見える美味しい野菜!IT品質保証で消費者にアピールせよ」と題されたセッション。この取り組みをバックアップする株式会社電通国際情報サービス オープンイノベーションラボでプロデューサーを務める鈴木 淳一氏、司会進行役の一般社団法人 行政情報システム研究所の増田 睦子氏とともに綾町におけるブロックチェーン活用の実態が語られた。
綾町は宮崎市の北西、中山間地域に位置する町。町の80%が森林を占め、人口は約7500人。日本各地の山間部の自治体と同様、綾町も2010年の国勢調査までは人口減少に悩んでいた。しかし2015年の国勢調査では人口増加に転じ、その後も微増傾向を保っている。人口増加を支えているのは、毎年300人前後にのぼる移住者だ。人口全体から見れば、かなり高い割合でアリ、しかも3分の1は県外からの移住だ。
「ふるさと納税の返礼品にも使われている有機野菜や安全性が高く美味しいお肉などが人気で、自らも有機農業を始めたいと移住してくる方が多いそうですね」(増田氏)
移住者の多くは20代後半から30代とのこと。有機農業に携わりたいという移住者だけではなく、安全な食品を手に入れやすいということから子育ての場として綾町を選ぶ人も多いようだ。
「就農希望者に技術供与を行なったり、住宅の斡旋したりという支援をしています。子育て世代の若い家族が多く移住してきてくれたおかげで、学校の教室が足りなくなり増設しました」(前田氏)
自然生態系を重視し独自の厳しい基準も設け、
綾町が取り組んできた有機農業
綾町が取り組む有機農業について紹介してくれたのは、オープンイノベーションラボの鈴木氏。栽培に薬品を大量に使った野菜や、人口素材で作られたフェイクフードが氾濫する現代だが、綾町は自然生態系を守るという目的で有機農業に取り組んできた。1988年に制定された綾町憲章には、自然生態系を生かして育てる町を目指すことが明記された。町独自の基準を設け、清算された野菜に厳しい格付けも行なっている。こうした努力が実り、町内では高品質な野菜を選んで購入する人が増えてきた。
「綾町では良い野菜が作られているのに、その価値を消費者にうまく伝えられていないと感じていました。有機農業参入促進協議会の調べによれば、有機農業従事者の平均所得は約167万円。がんばって良い野菜を作っても収入につながっていないんです。これを増やすには生産コストを下げるか、売上を増やすかしなければなりません」(鈴木氏)
ここで前田氏、鈴木氏が選んだのは売上増加だ。長年培ってきた有機農業の技術で生産される、おいしくて安全な農産物。それらを、たとえ高くてもそれだけの価値があるとわかってくれる人に届ける。しかしそのためには、品質の高さを証明しなければならない。
「食品の品質を保証して価値を高める手法はいくつかあり、第三者機関の認証を得るというのもひとつの方法です。しかしいまは権威に頼る方法は通じにくくなってきていると感じます」(鈴木氏)
歴史あるグルメガイドや著名な評論家による推薦よりも、消費者による正直なレビューの方が信頼を得ることもある。そうした現在の風潮に合わせた、民主化された手段で綾町の野菜の良さを伝えたかった。その技術として適していたのが、ブロックチェーンという訳だ。
鈴木氏がブロックチェーン技術の持つ可能性に気づいたのは、電子政府の取り組みが進むエストニア共和国を訪れたときだった。同国が進める「e-Residency」というプログラムでは、エストニアに住民ではなくてもエストニアの身分証明書や銀行口座を持つことができる。電子政府「e-Estonia」を推し進めた先にたどり着いたe-Residencyを支えるのは、ブロックチェーン技術だ。中央政府が国民の情報を一手に管理するのではなく、中央管理者の以内分散管理台帳で情報を管理することを選んだのだ。
数十年の取り組みが背景にあるからこそできる、即決即断
2017年9月中旬にエストニアを訪れ、e-Residencyプログラムの詳細を学び感銘を受けた鈴木氏。すぐに、e-Residencyプログラムを支えるguardtime社を訪問。帰国するとすぐに、宮崎県綾町へ向かった。綾町の有機農産物の品質を証明するのに、ブロックチェーン技術が最適と考えたからだ。
「綾町を選んだのは、先述の通り1988年から自然生態系を重視し、有機農業に取り組んで来た素地があったからです。大きい自治体では条例改正などの準備に時間がかかるので、スピード感を持って動ける小さい自治体から改革を進めていきたいという思いもありました」(鈴木氏)
スピード感を期待して宮崎県に向かった鈴木氏だが、綾町のスピード感は期待をはるかに上回っていた。ブロックチェーンを使って農産物の品質を証明するという鈴木氏のアイディアを聞いた前田氏は、実施を即決した。鈴木氏がエストニアでe-Residencyについて学んでから、わずか10日ほどのことだった。
「バブル時代から約30年かけて、農家さん達の有機農業への理解も浸透していました。さらにいえば、自然生態系維持を取り入れた憲章を定めたのが1988年ということは、その準備に10年近くの時間を費やしている訳で、それも含めれば40年近く自然生態系に配慮した街づくりや農業に取り組んできた積み重ねがあるのです。だから今回の話もスムーズに進めることができるだろうという確信がありました」(前田氏)
40年近い取り組みで、町内では有機野菜の独自の格付けなどが浸透したものの、そこから次の一手を打ち出しかねていた。そうしたタイミングも、ブロックチェーンという新しい取り組みを始めるのに適していた。
プライベートチェーンとパブリックチェーンの組みあわせ運用性と改ざん防止を両立
ブロックチェーンには、誰でもマイニング(台帳管理)に参加できるパブリックチェーンと、限定された人だけでマイニングを行なうプライベートチェーンがある。綾町は後者を中心に、双方の技術を活用している。農業関係者らでプライベートチェーンを運用し、施肥など栽培の履歴を記録していく。そのデータが改ざんされていないかどうかを保証するために、データのハッシュ値をパブリックなブロックチェーンに書き込んでいく。
誤解も多いが、ブロックチェーンは情報の改ざんを不可能にする技術ではない。情報変更履歴がすべて管理台帳に残るので、改ざんすれば改ざんしたという記録が残る。
「プライベートチェーンを使うことで、部外者からのデータ改ざんを避けつつ、ハッシュデータをパブリックチェーンに公開することでデータ改ざんがないことを保証する。二重の仕組みを用意したのはそのためでした」(鈴木氏)
どのような人が栽培したのか、どのような肥料が使われ、どのように収穫されたのか。そんな情報を画像付きで参照できる二次元バーコードを付けて、綾町の有機野菜を東京で販売する試験的な取り組みが始まった。2017年10月のことだ。
会場を提供してくれたのは、六本木アークヒルズ。毎週火曜日と土曜日に開催されるヒルズマルシェに綾町のブースを出店し、野菜を販売した。付加価値を考えた値付けは、一般に流通している野菜よりも割高だったが、高品質の野菜を求める人、その価値に見合う価格だと納得して購入してくれる人は次第に増えた。もちろん、ブロックチェーンで生産履歴が管理され、価値を裏付けていることで信用を獲得していったのは間違いない。
「綾町の野菜はヒルズマルシェに来る人たちに、その品質を認めてもらえました。ヒルズマルシェに来ることが出来るのは主に都内在住者。綾町の野菜の良さをより広く知ってもらう方法が今後の課題だと考えています」(鈴木氏)
レストランと協力してエシカル消費の真正性検証へ
講演では、都内のイタリアンレストラン「レアルタ」の協力を得て行なわれる、綾町の野菜を使った最新のトライアルについても紹介された。一般流通している素材と綾町から届いた素材で同じメニューを提供し、消費者がどちらを選ぶかを調査するという。
「価格ではなく環境負荷を商品選定の基準にするエシカル消費(倫理的消費)がどこまで浸透しているのか。トレーサビリティを確保できているからこそ、はっきりとした違いがわかるはずです」(鈴木氏)
何十年も前に自然生態系保護を掲げ、ブロックチェーン技術の活用を即決し、都内での販売やレストランでの実証実験など、先進的な取り組みを続ける綾町。その原動力は地域とそこに暮らす人々を守っていくことだという。
「何事もチャレンジしなければ判断できません。チャレンジすべきタイミングでは、リスクを取ってでも新しいことにトライして、地域の人の生活を守っていきたいですね」(前田氏)