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渡辺由美子の「誰がためにアニメは生まれる」 第47回

【後編】オレンジ代表 井野元英二氏インタビュー

『宝石の国』のヒットは幸運だが、それは技術と訓練と人の出会いの積み重ね

2018年06月03日 12時00分更新

文● 渡辺由美子 編集●村山剛史/アスキー編集部

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京極監督はじめスタッフのこだわりは断面の質感にも及んでいる © 2017 市川春子・講談社/「宝石の国」製作委員会

黎明期、ばく大な投資をしてCGの世界に飛び込んだ

―― ではオレンジを設立された井野元さんご自身についてお伺いさせてください。井野元さんはどのような経緯でCGの世界に入られたのですか?

井野元 大学卒業した後は、マンガ家になりたいと思い、少年マンガ家のアシスタントをしていました。その後、イラストレーターになって、絵をデジタルで描き始めました。CGに夢中になったのはそのときです。まだPower Macが出たばかりの時期で、専門学校も特にないような時期でしたから、出て間もないCG雑誌を参考にしつつも、独学でやらざるを得なかった時代でした。

―― 1990年代前半あたりですよね。当時はどんなものが流行っていたのでしょう?

井野元 個人で動画をやるにはまだまだ敷居が高い時代ということもあり、イラストを描く個人作家さんが人気でした。ゲーム会社ではCGを使った作品が出始めてヒットしたりもしていました。

 一方、アニメーションをメインで手がけている会社は少なくて、当時トーヨーリンクスさんが数秒間のCGを作るのに数千万~数億円かけているという噂をちらほら耳にしていました。あと、シナジー幾何学さんの『GADGET』というアドベンチャーゲームがありましたね。

 そういったものも出始めて、『将来的にはCGのムービーって仕事になるんじゃないかな』と、なんとなく感じていました。

―― CGの動画は、今でこそ個人制作も当たり前になりましたが、当時は企業が大金をかけて作る時代だったんですね。

井野元 そうなんです。ハードウェアを揃えるにもすごくお金がかかりますから。

 当時のハードウェアの主流はSGIのIndyかコモドールのAmigaでしたが、日本では、お金のあまりかからないAmigaがよく使われていました。けれども、ハリウッドだとIndyのほうがメジャーでした。これは、アニメーション用のソフト「Alias Power Animator」「3ds Max」「Softimage」なども稼働できるハードウェアだったからです。

 私もCGアニメをやりたくて、Macの3Dソフトをたくさん買っていろいろやってみたのですが……結局のところ、動画をやる、特にキャラクターを動かすにはあまりにもパワー不足でした。そこで前述のAlias Power AnimatorとIndyを、もう崖から飛び降りるつもりで購入しました。

―― えっ!? 日本では高額ゆえに企業にさえ普及していなかったハードですよね。おいくらぐらいしたんですか?

井野元 ソフトウェアとハードウェア合わせて数百万円かかりました。

国内企業でも導入に二の足を踏んだIndyとAlias Power Animatorを個人購入! 当時は、CGアニメの将来性ではなく、単純に面白さに惹かれたのだという

―― それは、今後必ずCGが仕事になるという確信があったから投資されたのですね。

井野元 いや、確信は正直ないですよ。ないのだけれど、もうやってみようと。なにせ、アニメをやるのならこれを使うしかなかったので。あと、自分に向いているなと思いましたから。

―― どんなところが向いていると思われたのですか?

井野元 単純に面白かったんです。Alias Power Animatorは、現在、日本のCG制作現場で使われている「Maya」の前身なんですが、これを使うと、Power Mac系のソフトウェアではとてもじゃないけどできないようなことができるんです。

 たとえば爆発を作ると、その爆発表現を超えるものがそれから10年経っても出てこないぐらい優秀なものだったんですね。『こんなことができるんだ!』という好奇心と面白さです。

―― 「優秀な爆発」ですか……! では好奇心をきっかけとして、CGがどのように仕事と結びついていったのでしょう。

井野元 オレンジを設立する前に、フリーランスで10年近くやってきたんですが、最初は当然、仕事にするというのは難しかったです。そもそも仕事としてまだ確立していない業種でしたし、フリーでCGを制作する人間も少ないため世間的な料金目安すらない時代でしたので、『この仕事はいくらだろう?』と作業時間から見積もりを考えるなど、さまざまな事柄を自分で決めていく状態でした。

 最初はCD-ROM収録のムービーですね。それからゲームムービーの仕事がぽつぽつと来るようになってきて、その後は収入もだいぶ安定しました。

―― 安心しました! 数百万の投資がいつ回収できるのかと思いながら聞いていたので(笑)

井野元 ゲームはギャラが割りと良くて、想定金額を超えるケースもありました。その頃、PS2のオープニングムービーなどが流行り始めて、CG業界ではゲームが花形の仕事になりました。CG雑誌が次々に創刊し、クリエイターがスター的に取り上げられ、人気が出る方も出てきた時代でした。

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