筆記能力の低下は進化のせい
思い返してみると、それは1980年代の半ばに買った「PWP-100」というワープロの、M式(森田式)キーボードが原因だった。いまでいうエルゴノミックキーボードのような形状だが、キー配置が特殊で、子音と母音が左右に分かれていた。だから、カナ変換の場合は左右交互にタイプすることになる。これに慣れると、CRTの表示が追いつかないくらいのスピードで、日本語が打ちまくれるのだった。
この時点で「もはや人類にペンは必要ない」と、私は確信した。筆記能力が衰えても、漢字の綴り方を忘れても、これは進化なのだとすら思っていた。
しかし、進化には抵抗も付き物である。当時のワープロに対する風当たりは強かった。プリントアウトの原稿を見て「心がこもっていない」「こんなもので書いていてはロクな文章にならない」などと言い放つ編集者もいた。いまから考えればウソみたいな話だが、結構みんなマジで言っていたから恐ろしい。
もっとも、最近も似たような話はある。ある先生が「最近の学生はスマホでレポートを書いてくる。あれでまともな文章が書けるわけがない」という意味のツイートをしているのを見た。そう嘆きたい気分もわからないではないが、結局のところ、自分がPCで書くのに慣れているから、自分はスマホでまともなものが書けないから、という話に過ぎない。
なぜかというと、かつて白い目で見られたワープロの文書も、やがてパソコン通信が普及し、さらにはインターネット時代となって「あのセンセイ、まだ原稿用紙を郵便で送ってくるんですよ」という話にコロッと転じたからである。入力、伝達、出力の手段は更新し続けているのだ。フリック、音声入力、手書き文字の写メ、なんだって伝われば問題ない。
さて、そうして仕事がすべてパソコンとネットで済む時代になると、紙に字を書く必要は、2年に1度の賃貸契約の更新手続きくらいになった。1990年代の末になると、もう家にはペンも紙もない。使われなくなった器官は、ますます退化していくのである。
アッポーペンで失った筆記能力を取り戻す
が、想像力を働かせてみると、それでは困ったことも起きる。電力が使えない状況になったらどうするのか。筆談でなければ意思の疎通が図られない場面もある。それに何者かに襲われた場合、ダイイングメッセージが判読不能では、俺は浮かばれないのではないか。
これはまずいということになり、持ち前のオタク精神を発揮して、文房具マニアと化してがんばった時期もあったが、結局手で文字を書いたところで、使う場面がない。英語と同じで、使う必要が生活の中になければ、全然ダメなのである。
そこでApple Pencilだ、ということになった。これを使えば、手で書いた文字でも仕事になる。まず手書き文字変換アプリとして「建設mazec」を購入した。通常のmazecに、建設業向け専門用語辞書が載っている。バッチリではないか。
かつての「7notes」(iOS 11以降は提供終了)と同様、ひらがなを入力しても漢字に変換できるし、アルファベットとの混在入力も大丈夫。筆跡が残り、一画ずつ入力した線のアンドゥが効くのもよろしい。「ああ、こんな書き方では認識できないのだな」と思えば、一画ずつ書き直せる。あまり頼りたくないが、アプリ側でも書き手の癖を学習してくれる。
もうひとつの決め手は、設定に「Apple Pencil」のオプションがあること。ペンを握って書くと、掌が画面に接触する。その際、デリートキーに触れてしまうと、入力した文字があっという間に消えてゆく。手書きアプリは指での入力も考えているので、こういう誤操作につながるのだ。しかし設定のオプションを入れておくと、Apple Pencilと接続している間は、ほかの入力を受け付けなくなる。
書き流しスタイルオンリーの変換アプリもあるが、そもそも字がちゃんと書ける人向けであって、私には難易度が高すぎる。mazecは実用性も高く、私にちょうど良いアプリだった。この後、手書き入力のスキルが上がれば、ほかの選択もありえるかもしれないが、現時点ではとても満足している。
最近発売された「iPad」も、Apple Pencilに対応したらしい。もしあなたがキーボード入力と、かな漢字変換に慣れ過ぎた挙句、筆記能力の低下に悩んでいるというなら、iPadのついでに1本いっておいてもいいと思う。この原稿も、一部手書きで入力したおかげで、少しは心がこもっているような気がするし。
四本 淑三(よつもと としみ)
北海道の建設会社で働く兼業テキストファイル製造業者。