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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第403回

業界に痕跡を残して消えたメーカー メモリー領域確保で世話になった「QEMM」のQuarterDeck

2017年04月17日 11時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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MS-DOSでアプリを動かすのに
必需品となったQEMM

 前置きが長くなったが、QEMMとは下図のようなさまざまなメモリー領域を使えるようにしたメモリー管理ソフトである。

QEMMで使えるメモリー領域

 QEMMがすごかったのは、これに付属してきたManifestというメモリー最適化ツールである。これはとにかくさまざまな常駐デバイスドライバーを、片っ端からHMAやUMAに叩き込むことで、ギリギリまでプログラムメモリーをあけることができた。

 上図にもあるが、UMAは実際にはビデオカード、そのほかのデバイスのインストールの状況に応じて複数ヵ所生成される場合もあり、ここにドライバーや常駐ソフトをどう叩き込むと一番効率が良いかはケースバイケースである。

 そこで試行錯誤を繰り返しながら空きメモリーを確保すべく努力するわけだが、QEMMとManifestは他のツールと比べ、群を抜いて空きメモリーを増やすことができた。

InfoWorldに出した同社の広告より。ネットワークドライバーなどを積むと、空きメモリーが506KBしかなかったのが、QEMMを使うと590KBまで増やせるとしている

 実際筆者の経験で言うと、フライトシミュレーターの「Falcon 3.0」を動かすために、最大で603KBか604KBまでメモリーを空けたことがあった。ここまでしないと動かないFalcon 3.0もどうかと思うのだが、それでもこれだけ空けられるQEMMの威力には驚いたものである。

 ちなみにFalcon 3.0を動かすときにはもちろん日本語環境はなく、徹底的に不要なドライバー類はロードしないなど工夫が必要だったが、ゲームでなくても例えば、DOS/V環境でネットワークを使う(Netwareなどはこの頃普及していた)と、一太郎が動かないという話もあった。

 こうした場合にもQEMMを使ってネットワークドライバーをUMBとかHMAに追いやることで、なんとか一太郎が動くようになるため、ビジネスの場でもQEMMは大活躍した。

Windows 95の登場で
QEMMの出番がなくなる

 話を会社に戻すと、このQEMMの売上のお陰もあって会社は急速に成長し、1991年6月には株式上場を成し遂げる。もっとも上場した翌年の1992年6月には売上と利益が予想より悪かったということで株価が57%も落ちて、この関係でベンチャーキャピタルと訴訟騒ぎになったりもしているが、これは大きな問題ではない。

 問題は1994年以降である。ここまでの間、同社はもっぱらMS-DOSと、Windows 3.1をターゲットに製品を投入してきた、ご存知の通りWindows 3.1はMS-DOSで動いており、また特にゲームはWindows 3.1ではなくMS-DOSの上で動いているのが普通だったため、QEMMのニーズは引き続きあった。

 ところがWindows 95になると、影でMS-DOSが動いているのはWindows 3.1と同じながら、メモリー管理モデルが大幅に変わり、もはやQEMMの出番がなくなってしまった。

 結果、ここから同社の業績は急速に悪化する。古いデータが見当たらない(Form 10-Kのファイルも1996年以降しか公開されていない)ので、1992年以降になるのだが、売上と営業利益は下の通りである。

各ビデオカードの比較表
年号 売上 営業利益
1992年 8860万ドル 1761万ドル
1993年 8358万ドル 1047万ドル
1994年 8472万ドル -463万ドル
1995年 1億1761万ドル 1125万ドル
1996年 1億3310万ドル -7496万ドル
1997年 8379万ドル -1827万ドル

 1995年に急に売上が増えているのは、この年にLandmark Research International Corpを買収。同社が持っていたMagnaRAMやWinProbeといった製品をラインナップに加えたためで、さらにその後Inset Systems, Inc.も買収し、HiJaakという画面キャプチャー/グラフィックフォーマットコンバータもラインナップに加えているためである。

 ただ1996年にも同じ調子でDatastorm Technologies, Inc.やVertisoft Systemsなどを買収し、それぞれの会社の製品をラインナップに追加したものの、売上増よりも買収その他の経費の方が大幅に超過した結果として大赤字になり、そのまま回復しなかった。

 こうした一連の買収戦略を指揮したのは、1994年の赤字の責任を取って辞任したMyers氏の後継として、暫定CEOの座にあったKing R. Lee氏である。Lee氏は後継者としてAppleの副社長としてPDA部門(Newton)を指揮していたGaston Bastiaens氏をCEOにするものの、1996年8月に辞任。結局再びLee氏と、1996年に買収したVertisoft SystemsのCEOだったAnatoly Tikhman氏の2人の共同社長、という体制でこの路線が継承されることになる。

 とはいえ、1998年にも入ると、もうMS-DOS用のユーティリティー類はQuarterDeck以外の会社でも全部不調であり、すでにソフトウェア開発会社というよりもソフトウェア販社という体制に近くなっていた同社の売上を支えられるような強い製品はなくなっていた。

 結局1998年、同社はSymantecに買収され、一部の製品(例えばCleanSweep)のみがSymantecのラインナップに残されたものの、あとはすべて消えてしまった。

※お詫びと訂正:記事初出時、QEMMで使えるメモリー領域の図に誤りがありました。記事を訂正してお詫びします。(2019年1月8日)

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