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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第393回

業界に痕跡を残して消えたメーカー アマチュア向けモデムの生みの親Hayes

2017年02月06日 11時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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汎用性の問題からモデムを
RS-232接続の外付け方式に変更

 話を戻すと、まず最初に発売した80-103Aは初年度だけで12万5000ドルもの売上となった。そして1979年に発売したMicromodemシリーズは、さらに売れ行きが伸びることになった。

 ただしその一方で新たな要求も登場した。Micromodemは当然ながらS-100とApple IIでしか動作しない。ところが1980年に入ると同社はCommodore/DEC/Radio Shackなどのメーカーからも「自社のマイコン向け製品を出してくれ」というリクエストを受けることになった。

 もちろん、それぞれのマイコンごとに個別に製品を作ることもできなくはないが、効率はすこぶる悪い。こうした複数の機種に対応するためには、以下の工夫が必要になる。

  • モデムを外付けにする
  • 標準的なI/Fでモデムとマイコンをつなぐ
  • 標準的なI/Fでモデムを制御できる

 なお2番目は電気的な話、3番目はソフトウェアの話である。こうした工夫を行なった結果として、同社が1981年に世の中に送り出したのが、Smartmodem(後にSmartmodem 300に改称)である。

Smartmodem 300。前回のSupra modem 2400と比較してもらうと、いかにSupraがHayesに似せて作ったかわかろうというものである

 特徴は、外付けにしてマイコンとはRS-232での接続にしたこと。そして、Hayes Command Setと呼ばれるモデム制御の命令体系を作り実装したことの2点が挙げられる。

 まずRS-232という規格そのものは、テレタイプの接続などに使われたこともあり、すでに広く利用されていた。

 マイコンに実装されていたか、というと標準のものは少なく、だいたいはオプションで用意されていたが、この後モデムの急速な普及にともない、主要なマイコンはほとんどRS-232を標準装備することになるため、これは大きな問題にはならなかった。

 一方Hayes Command Setである。要するに上で書いた、回線のオン/オフを初めとする処理を行なわせるものだが、RS-232経由でつながっているときは「モデムに対するコマンドか、それともデータなのか区別が付かない」という問題がある。

 これを解決するため、まずモデム側にはCommand ModeとData Modeという2つの動作モードを持たせた。そしてコマンドモードとデータモードの切り替えのために、“+++”(3連の“+”)というシーケンスを決めた。

 マイコンからモデムに対してガードタイム(1秒間の無通信時間)の後でこの“+++”を送ると、モデムはデータモードからコマンドモードに切り替わるというものだ。

 余談ながらコマンドモードでは、モデムに対する命令はすべて“Attention”(注意)を意味する“AT”からスタートするようにしたことで、これを“ATコマンド”などと呼ぶ場合もあるが、正式名称はHayes Command Setである。

 さすがにここまで複雑だと、モデムの側でもある程度性能が必要になる。当初はこの目的のために1MHzのPIC MCUを搭載して半年格闘したものの、やはり性能面で十分ではないという結論が出て、当時1個10ドルほどした8MHzのZilog Z8に切り替えたことで、性能面でも満足するものになった。

 このSmartModemの売れ行きは非常に好調であった。SmartModemは299ドルで販売されたが、これは当時「ボーレートあたりの価格」でモデムの価格を評価する風潮があったためである。

 SmartModemはおおむね1ドル/baudで、これは1970年代の競合メーカーの製品に比べてかなり安価であった。1982年には後継製品として、Bell 202という1200bpsモデムに互換となるSmartModem 1200を出荷開始する。

 こちらは699ドルで、先の指標で言えばだいたい60セント/baudに相当する。言うまでもなくこちらはさらに売れた。1982年に同社は14万台のモデム製品を販売し、売上は1200万ドルに達した。1984年には300bps/1200bpsのモデムの市場の60%近くを抑えるに至り、売上はほぼ2500万ドルと1982年から倍増している。

互換製品から特許料を徴収できたが
特許訴訟問題で体力を削られる

 当然ながらこの成功を他のメーカーが指を咥えて見ているわけもなく、多くの会社がこの市場に参入している。先に少し触れたNovationも“Hayes Compatible”なモデムモデムを投入し、その他のメーカーもSmartmodem互換あるいは「よく似た」製品を投入する。

 ただHayesはSmartmodemの投入に先立ち、先のガードタイム“+++”というモード切り替えの手順を特許申請しており、これは「Hayes 302特許」として知られている。

 これが成立したことで、互換製品メーカーから特許利用料(モデム1台あたり1ドルだったらしい)を取る形で対抗しており、同社としてはそれほど痛手にはならない、というよりむしろ好都合だったらしい。

 もっとも互換メーカーからすればこれは結構な痛手で、「モデム税」(modem tax)と揶揄されたりした。またこの302特許を回避する、TIES(Time Independent Escape Sequence)というモード切替の異なる方法を実装したメーカーもあったが、成功しなかった。

 またこの302特許をめぐって1986年からは多くの企業との間で特許訴訟合戦も始まることになる。

 主な相手はBizcomp(Business Computer Corp)、Cardinal Technologies Inc.、Everex Systems Inc.、Microcom Inc.、Micron Systems Inc.、Multi-Tech Systems Inc,、OmniTec Inc.、Packard Bell、Prometheus Products Inc、U.S.Robotics、Ven-Tel Inc.、Zenith Data System Inc.、Zoom Telephonics Inc.(アルファベット順)といったとところで、すべての訴訟があまりに似ているため、1991年に裁判所によってこれらは1つの訴訟にまとめられた。

 最終的にはほとんどの企業が訴訟が始まる前に法廷外和解の形で解決しており、たとえばU.S.Roboticsはロイヤリティーに裁判費用を加え総額50万ドルを支払ったし、Bizcomは製品の販売に関し2%のロイヤリティーの支払いに合意、Microcomは5年間のクロスライセンス契約を結び、Prometheusもまたロイヤリティーを支払うなど、基本はHayesの圧勝であった。

 厳密にはTIESに関わる広告についてMulti-Tech Systems(と製造会社のSierra Semiconductor Corp.)との間で争われた訴訟ではHayesが広告を取り下げることで1994年に決着がついているが、後はおおむねHayesが優勢であり、中には賠償額を支払えずに破産したメーカー(OmniTel)も存在する。

 ただいかにモデム分野で売上が大きいとはいえ、まだ中小企業の域を脱していなかった同社には、この法廷闘争に掛かる手間と費用はかなりのダメージであった。

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