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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第392回

業界に痕跡を残して消えたメーカー 格安モデムが秋葉原でも大量に売られたSupra

2017年01月30日 11時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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業界標準の3分の1の価格でモデムを発売
モデムメーカーとして一躍有名に

 こうしたAmiga向けの製品ラインナップを拡充する一方で、同じ1987年に同社が投入した新しい製品がモデムである。

 1987年といえば、CIS(CompuServe Information Services)が全米でサービスを行なっており、AOL(American OnLine)の前身にあたるQuantum Computer Servicesもサービスを提供していた。もちろん草の根BBSの類も盛んだった時期だ。

 日本と異なりアメリカの場合、Local Call(日本で言うところの市内通話に近い)はいくらつないでいても定額制のプランがあったため、それこそ電話が複数回線あれば、そのうち1回線を常時つなぎっぱなしにすることもできた。

 したがって、電話回線を使ってオンラインサービスやBBSにつなぐのはごく一般的になっており、その際にはモデムが必要というわけだ。この市場、当時はHayes Microcomputer Productsの製品がデファクトスタンダードになっていた。

 同社が1981年に投入した300baudの“SmartModem”は広く使われており、この“SmartModem”で採用されたHayes command setというモデム用のコマンド体系は、その後どんどん拡張されながら業界標準となった。

 Hayesは300baudに続き、1982年には1200baudのSmartmodem 1200を699ドルで発売、1985年には2400baudに対応したSmartmodem 2400を549ドルで発売する。このSmartmodem 2400は1987年の時点でだいたい500ドル前後まで価格が下がっていたが、とはいえまだ高価な製品だった。

 Supra Corporationは1987年、このSmartmodem 2400と完全互換なSupraModem 2400を、たった179ドルで売り出す。

SupraModem 2400。デザインそのものもHayesのSmartModemに良く似ていた。明確な違いといえば、フロントに電源スイッチがあるほか、LEDが8つ(Hayesは7つ)付いてる程度である

 機能が完全互換で価格が3分の1だったら、売れないほうがおかしい。当時の表現では“SupraModems sold like hotcakes.”(SupraModemはホットケーキ並みに売れた)そうで、あっという間に同社はモデムメーカーとして一躍有名になる。

 この後、元気がなくなっていったHayesを尻目に、Supraは急速に業績を伸ばしていく。もっとも競合がないわけでなく、このあたりからUSR(U.S.Robotics)やTelebitといったメーカーが次第に勢力を伸ばしていった。

 特に1986年にUSRがHST(High Speed Transfer)プロトコルを投入、これに対抗すべくTelebitも独自のプロトコルを採用したTrailBlazerシリーズを投入して、高価格帯で競っていた。

 どのくらい高価だったかというと、USRが1986年にリリースしたCourier HSTは995ドル、Telebitの19200baudをサポートしたT2500という製品は当初1695ドルという価格がついており、直接Supraの市場とはぶつからなかったが、いずれは競合になることは明白であった。

 ちなみにUSRは同じ1986年に、低価格向けの2500baudのCourier 2400を699ドルから599ドルに値下げしているが、これはSupraModem 2400の敵ではなかった。

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