「爆買い」と騒いだ2015年だが、中国人は1億2000万人が海外へ、日本への500万人は5パーセントだった
訪日中国人客をターゲットにしたアプリやサービスなどで頭を悩ませている人は、ASCII.jpの読者にも少なくないはずだ。日本を席巻した中国人観光客による高額かつ大量の買い物、通称「爆買い」。デパートからスーパーやドラッグストアにまで中国人観光客が押し寄せる光景が日常的となり、小売店やメーカーにとってインバウンド情報は欠かせないものとなっていた。
ところが、2016年に入り、インバウンドの買い物金額の冷え込みから「“爆買い”の時代は終わった」とするニュース記事もある。はたして、爆買い終了は本当なのか? 実際にデータでみると、“増加ペース”は落ちているものの、訪日中国人の数は増え続けている。爆買いのようすが変わったとして、それでは、中国人観光客は、日本にやってきて何をやっているのか? これからどうなるのか?
中国人の日本に対する興味の変化について、神戸国際大学国際文化ビジネス・観光学科教授の毛 丹青(まお たんちん)氏に詳しく聞いた。毛氏は、中国で累計300万部を売った日本情報誌『知日』を主筆として立ち上げ、現在は『在日本』を刊行。先ごろその日本版ダイジェストである『在日本 中国人がハマった! ニッポンのツボ71』を上梓したばかりだ。日本に興味を持つ中国人を見ている専門家は、これからをどう読んでいるのだろう?
この5年間で中国人はいまだかつてない規模と速度で日本の情報を知るようになった
―― 今日は、訪日中国人客の行動の背後にある中国人の日本人観の変化、これからどのように変化するかについてお聞きしたいのですが。毛さんご自身が、日本情報誌の『知日』を創刊されたのは2011年なんですね。「爆買い」と騒がれる前に、誰も見向きもしないのではという恐れはなかったのですか?
毛 丹青氏(以下 毛) 最初に『知日』の企画が持ち上がった2009年は、北京オリンピックがあったばかりで、「世界が中国を凄いと思っている」と皆が考えた時期になります。日本について紹介しても誰も見向きもしないため、時期尚早と判断しました。本格的に始動したのは、2010年の秋頃です。日中の漁船が衝突する事件が起こり、日中関係が悪化の一途をたどっていたので、逆に、真正面から「日本について知る」と取り上げたらビジネスになるのではないかという考え、賭けに出たようなところがあります。
―― なるほど。
毛 そして、2011年秋に『知日』を創刊。日本でも大きく報道されました。私が携わっていた5年間で32冊発売し、合計で300万部を売りました。
―― その毛さんにうかがいたいのですが、中国の方は日本についてどのくらい知っているんでしょうか?
毛 『知日』創刊当時も、日本について知りたい中国人という市場は存在していましたが、日本に関する知識はまだ体系化されていない感じでした。『知日』を創刊した2011年からの5年間で、中国人はいまだかつてない規模と速度で日本の情報を知るようになったと思います。
―― この5年間で、中国人は日本のことを急速に知ってきたということですね。
毛 ええ、それと同時に、みんな目が肥えてきています。求める情報が、より深く、より濃くなっていますね。そのため、日本の情報全般を広く紹介する『知日』では、そうした新しいニーズには答えきれないと思ったのが、私が『知日』を離れて『在日本』を立ち上げた大きな理由なんです。
―― 中国人の変化がそのまま『在日本』の刊行に重なってくるのですね。
毛 つまり、『在日本』は、日本在住の中国人による深掘りした日本の情報を発信することをコンセプトにしています。それもあって、すべてオリジナルの記事だけで構成しています。どこかほかの媒体の記事の転載といったものではないのですね。中国人読者に近い距離感で作る、オリジナル要素とひとつのテーマに対する深掘りが、『在日本』の特徴です。
―― 『知日』とはそこが違う。
毛 また、付加価値のある深掘り情報は、中日双方で必要とされるのではないかと思いました。そこで日本語版を中国と同時刊行しています。
芸能やアニメなどコンテンツは政治に影響されやすいので、それに左右されないものをもっと広めた方がよい
―― そこまで日本に対する知識が成熟してきて、深掘りした情報を受け止められるだけの地盤ができているということですね。中国の方は具体的にはどのような分野に興味を持っているのですか?
毛 中国人が興味を持つ日本の文化ですか? これまでは、『「いき」の構造』や『菊と刀』のように日本人の精神に触れることがもてはやされてきましたが、いまはそんなことはありません。いま一番興味を持たれているのは、ライフスタイルに関する分野です。
―― たとえば?
毛 人気なのが、綿棒や歯間ブラシなど、日本で考案されたアイディアグッズです。過去に『知日』で特集を組んだところ、とても反響がありました。それだけでなく、中国では日本の綿棒の使い方に関する本が10万部も売れたんですよ! 生活というものを基盤にしているので、話題は無限にあります。
―― 綿棒の本が10万部とは凄いですね。となると、「日本のアニメが好き」とか、「日本の芸能人が好き」ではなく、「たまたま手に取ってよいと感じた品物が日本のものだった」というような事例が増えているということですか?
毛 はい、日本製だから買うのではなく、良いものだと思って愛用していたら実は日本製だったことを知り、日本に興味を持つパターンが増えています。例を挙げるなら、無印良品や「ほぼ日手帳」ですね。特にほぼ日手帳は、糸井重里さんの名前を知らない人や日本のものだと知らない人が購入するケースが多いことが印象的でした。
―― とはいえ、そういうところから日本に興味を持ってくる人が多い。
毛 芸能やアニメなど文化的なコンテンツは、検閲制度のある中国では政治的な要素に非常に影響されやすいので、僕はそれに左右されないものをもっと広めた方がよいと思っています。それに最も適しているのが、日本人の生活にかかわる分野ではないかと考えています。
―― 爆買いはもう終わったといわれていますが、では、中国人観光客がいま日本へ来る主な動機とは何なのでしょうか?
毛 今、中国人観光客の流れにはいくつか特徴があって、そのうちのひとつが「体験すること」ですね。化粧品や電化製品の爆買いではなく、大徳寺で座禅をしてお茶を味わうなどのように「そこでしかできない体験」を求める人が多くなっています。また、これまでの中国人観光客の旅行先は、東京、京都、大阪を巡るゴールデンルートに集中していましたが、いまは地方に行く傾向が一層強まっています。
―― 東京・京都・大阪から、地方へですね。
毛 『在日本』では、中国人に知られていない観光スポットを見つけるために、日本全国に足を運んでいます。これまでに、中国人の女性記者が北海道から鹿児島まで実際に取材と撮影を行い、エッセイと映像で日本の四季と鉄道を紹介した鉄道特集などを行ってきました。また、この前は石川県の輪島を取材してきましたが、読者は情報に敏感なので、そのくらいしないと新しいものを提供できません。
―― 中国人観光客も、アクティビティ指向になってきたと。
毛 ただ、「爆買いが終わった」という意見には少し異議があります。これからを考えたら、そんなことを言ってはいられないと思いますよ。
―― と、いいますと?
毛 昨年の訪日中国人は500万人と言われていますが、海外旅行に出かけた中国人は全体で1億2000万人もいるんですよ。1億2000万人のうちの500万なんてたかが知れてるじゃありませんか(笑)。
―― 中国人の海外旅行の5パーセントにも満たない。すぐ隣の国なのに!!
毛 2020年には、約2億5000万人の中国人が海外へ出かけるといわれています。東京オリンピックの年ですから、1000万人、あるいは2000万人といった数の中国人が、日本へ、東京へと来ることになりそうです。もし、そうだとすると、昨年どころではない、表現しきれないことが起こります。この先を考えると、いまの状態で「爆買い」なんて騒いでる場合じゃありませんよ。
日本政府のインバウンドの考えが間違っている。「宣伝」ではなく必要なのは「受け皿」
―― 日中双方の事情をよくご存じの先生から見た、日本のインバウンドの問題点とは何ですか?
毛 まず問題に感じるのは、日本の企業の対応が遅いうえ、自分の強みを活かさずに目先の利益を追おうとしていることです。先日、ある大企業がインバウンド業界に参入しようとして、相談を受けました。彼らが何をしようとしていたかというと、ネット上におすすめの買い物リストやショップリストを作ろうとしていたんですよ! それは、伝統も信頼も十分にある企業のする仕事ではありません。安易にすぐお金が入る手段を選ぶのはよくないですよ。
―― ちゃんと歴史もブランドのある企業だったら、たしかにやることは違うべきですね。
毛 もっとも、日本政府からしてインバウンドに関する基本的な考えが間違っています。2008年に観光庁がやっと立ち上がりましたが、いまでは宣伝しなくても中国人のほうから勝手にやってくるようになっています。ところが、「受け皿」が整備されていないのです。中国人を宿泊させる施設が足らなくて、ラブホテルに泊まってもらっている話はあちこちにあります。こういうことはもっと早くから予想できたはずで、すぐに準備しなくちゃいけないことなのに、後手後手になっています。年間30億円くらい宣伝にお金を使っているようですが、それよりもインフラをしっかり整備しなくてはいけないと感じます。
―― では、これから先はどうなるとお考えですか? 5年後もこの状態が続くと思いますか?
毛 中国人も子供のころから、自然に日本文化に接しながら成長するようになっていますので、我々がいくら深掘りをしたところで、彼らは驚かないという状況が生まれるかもしれません。その時にどうなるかはちょっとわからないですね。
―― 『在日本』の次に考えている企画はありますか?
毛 次に考えているのは、中国にいる日本人が思い浮かべる中国を紹介する媒体です。いわば、『在中国』ですね。
―― 『在日本』の逆バージョン。
毛 いま、中国に13万人の日本人がいます。3年連続で減っていますが、それなりの数が維持されています。中国の人は日本のことを知ろうとしているのに、日本の方、特に若者は中国のことをあまり知ろうとしていないので、その断絶をなくす働きをしたいと思っています。70年代にソニーを築いた盛田昭夫さんがアメリカを知悉していたように、相手にすべき国をよく知ったうえで対策を練るということ、これがいまの日本の若者には欠けていると思います。
―― なるほど。
毛 海外のことを知りたがらない、留学にも行きたがらないといういまの日本の若者の気質を、なんとか変えたいと考えています。かつての、中国といえば自転車というような話でもいい、あるいは卓球外交の時代のように、卓球でもいい、そういう生活に根差した相手の文化を知っていくことが大切です。領土などいろいろと問題はありますが、そうしたことは、日本の情報という面においては、中国の人らにとっては綿棒と同列なんです。日中関係が思わしくないのに、なぜみんな日本に遊びに来るのかを考えてみるべきです。PM2.5 などで同じような状況でも、日本人は行かないでしょう? もっと知るべきです。相手を知ることは力になるんですから。
訪日中国人の動きは沈静化したわけではなく、新しい局面を迎えている。ただ消費するだけの「爆買い」から、そこでしかできない体験を求める、いわば「モノ」から「コト」へのシフトだ。また、ショッピングの場面においても目が肥えて情報収集にもたけている彼らの心をつかむためには、これまでのように中国人が大量購入する商品をただやみくもに並べているだけでは通用しない。
毛教授は「中国人向けインバウンドで最も必要とされるのは、迅速かつ柔軟な対応」と語っている。より複雑化する中国人観光客のニーズを満たすには、さらなる情報収集と能動的に仕掛けていく姿勢が求められている。
毛丹青(まお・たんちん)
作家・神戸国際大学教授
中国北京市生まれ。北京大学卒業後、中国社会科学院哲学研究所を経て、1987年初来日し商社に勤務。2000年作家に転身。以後、主筆として雑誌『知日』、編集長として『在日本』の立ち上げに携わる。著書に『にっぽん虫の眼紀行』(文春文庫)など。
Twitterアカウント:毛丹青(@maodanqing)