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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第368回

業界に痕跡を残して消えたメーカー UNIXの覇者Sun Microsystems

2016年08月08日 11時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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 今回の「業界に痕跡を残して消えたメーカー」は、PCメーカーから外れるがSun Microsystemsを紹介したい。COMPAQなどと激しく市場を戦い、最終的に敗れていった企業だからだ。

BSD UNIXを採用したSunOS搭載マシンで
着実に知名度を上げていく

 Sun Microsystemsは1982年、スタンフォード大学に近いPalo Altoで立ち上がった。創業者はVinod Khosla、Andy Bechtolsheim、Scott McNealyの3人で、いずれも元はスタンフォード大の学生であった。

 また会社設立直後に、カリフォルニア大学バークレー校のBill Joyが加わっており、この4人を創業者とみなすことが多い。

左からKhosla氏、Joy氏、Bechtolsheim氏、McNealy氏

 当初はKhosla氏がCEOを勤め、まずSun-1 Workstationを世の中に送り出す。ちなみにJoy氏はBSD(Berkeley Software Distribution) Unixの開発で、すでにこの時点でUNIX業界では著名人であった。

Sun-1 Workstation

 もともとSun-1は、Bechtolsheim氏が考案したものである。当時スタンフォード大は、学内ネットワーク(Stanford University Network)を構築している最中で、この学内ネットワークに接続できるパーソナルCADワークステーションを必要としたことから始まった。Sun Microsystemsの“SUN”の社名も、このStanford University Networkから採られたものだ。

 Sun-1の構成は10MHz駆動のMC68000プロセッサーに1MB(最大4MB)のメモリー、VGA(640×480ピクセル)相当のカラーモニターとHDDなどから構成される。また標準でイーサネット(ただし3Mbps)も搭載されているものだった。

デスクトップ向けのSun 100の内部。7スロット分のマルチバスのバックプレーンにCPUボードとその他が刺さっている構成。他に15スロットのバックプレーンを持つ、Sun 150というデスクサイドモデルもあった

 なぜかMC68000にも関わらず、I/Fはマルチバスというあたりが当時の状況を偲ばせるが、ボードそのものはDARPA(国防高等研究計画局)の資金で開発されたのだそうで、なにか他の用途向けだったのかもしれない。

 ちなみにMC68000はMMU(Memory Management Unit:メモリー管理ユニット)を持っていない(MC68451という外付けMMUが用意される)が、Sun-1では独自のMMUが利用されたとしている。

 搭載されるOSはUniSoftという会社のUniPlus V7という、V7 UNIXベースのものが採用され、これをSunOS 0.9としてリリースしている。

 Sun-1は全部あわせても200台程度が販売されたに過ぎないが、これで弾みがついた同社は、翌1983年にはSun-2をリリースする。

 こちらはプロセッサーにMC68010を搭載し、OSもBSD 4.1ベースのSunOS 1.0を搭載する。OSの移植はJoy氏が中心となって行なっており、以後はBSDをベースに順調にバージョンアップを重ねていく。

 システムは、最初は引き続きマルチバスであったが、途中でVMEバスに切り替わり、メインストリーム向けのSun-2/120では1台約2万ドルの価格であるが、ローエンドのディスクレス構成のSun-2/50では1万ドル未満で販売された。メモリー容量も最大8MBまで増やすことが可能になり、Sun-1に比べると性能も多少向上した。

Sun-2/50。後のPizzaboxスタイルを髣髴させる構成だが、実際にはこの中に2スロットのVMEバックプレーンが収められており、見かけより厚みがある

 そのSun-2の発表の2年後の1985年には、Sun-3が投入される。CPUは16.67~25MHzのMC68020で、さらにオプションでFPUのMC68881も利用できた。デスクトップ向けはついにVMEバススロットを廃し、1枚のボードで構成されるようになり、薄型の筐体(通称Pizzabox)に収められるようになった。

PizzaboxスタイルのSun 3/80。この筐体デザインはその後、SuperSPARCベースのSPARCStation 5が登場するまで使われ続けた。マウスは3ボタンの角型光学式であるが、昨今の光学式と異なり、専用のマウスパッド(写真にも写っている金属製のもの)を使わないとだめだった

 MC68020を利用したことで、16.67MHzのもので5 DMIPS程度の性能になり、VAXベースのワークステーションやミニコンを凌ぐ性能も出るようになった。

 また、SunOSも4.2BSDベースのSunOS 3.0になり、NFS(Network File System)やVFS(Virrual File System)のサポートなども加わって、大学の研究室レベルでの利用ではなく「日常の仕事に使える」レベルになった。

 このあたりから、少しづつSun Microsystemsの社名が有名になってきた。それ以前は、「BSDのBill Joyが入った会社」に近い扱いだったと記憶している。ただ、同社が爆発的に飛躍を見せたのは、SPARCを搭載したSun-4と、これに続くSPARCstationである。

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