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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第359回

業界に痕跡を残して消えたメーカー 新製品発表の反面教師となったオズボーン

2016年06月06日 11時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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生産が追いつかず、入荷待ちが続いた
Osborne 1

 こうした経緯を経て1981年4月3日に発表されたのがOsborne 1である。4MHzのZ80に64KBのRAM、2つの5インチFDDを搭載し、1795ドルという当時としては非常に低価格で提供された。

Osborne 1。これが利用時の姿。CRTは5インチで、52桁表示が可能だったそうだ

 同サイズのものとしては、IBMが1975年にIBM 5100をリリースしているが、こちらは9000~2万ドル(構成によって変化)という代物で、一般には手が届かなかった。これに比べるとOsborne 1の1795ドルは大バーゲン価格にすら思える。

 ポータブル(可搬型)ということで、キーボードと一体化した蓋を閉めると持ち運びできるようになる。裏面(可搬時は上面)には取っ手とACケーブルが姿を現している。

この状態で、「旅客機の前の座席の下に入れられる」というのが1つの売りだった

現実問題としてバッテリー駆動はこの当時は論外だったので、当然ながらAC駆動。マジックテープは輸送時用のカバーを取り付けるためのものだ

 重量は24ポンド(10.9Kg)で、短距離なら女性でも持って歩くことはできるだろう程度に抑えた。

1982年のイギリスにおける広告。右下に、軽やか(?)にOsborne 1を持つ女性が見える

 Osborne 1の上ではフルにCP/Mが走るので、CP/Mに対応した多くのソフトがそのまま利用できた。CP/Mに加えてマイクロソフトのMBASICやDigital ResearchのCBASICといったプログラム言語だけでなく、MicroProのWordstar(ワープロ)やSorcimのSuperCalc(表計算)ソフトもバンドルされていた。

 これを利用してただちに仕事もできたし、プリンタポートが用意されているためプリンターをつなぐことも当然可能だった。

 Osborne 1は、想定以上によく売れた。そもそもOsborne 1は、全部で1万台売れれば良いという想定だったらしい。ところが、蓋をあけてみると、発売後最初の8ヵ月で1万1000台が販売され、しかもこの時点で5万台のバックオーダーがあったらしい。

 当然こんな生産能力を持ち合わせていなかった同社は、最初の12ヵ月で3000人まで従業員を増やして対応した結果、1982年10月には日産500台というところまで生産能力を拡充したという。

 また初回ロットの製品故障率は10~15%と結構高かったようで、故障率の対策を施したOsborne 1sを1982年に発売している。またこのOsborne 1sではAshton-TateのdBASE IIというデータベースソフトもバンドルに加えている。

Osborne 1sは、キーボードをつなぐケーブルと、FDD周りに変更が見られるほか、全体に強度を増したらしい

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