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最初のテレビゲームは爆撃機用レーダースクリーンから生まれた by 遠藤諭

2016年05月14日 08時00分更新

週刊アスキー電子版では、角川アスキー総合研究所・遠藤諭による「神は雲の中にあられる」が好評連載中です。この連載の中で、とくにウェブ読者の皆様にご覧いただきたい記事を不定期に転載いたします。

「あっ、発明しちゃった!」は、電子レンジやファクス、木材パルプなどちょっと変わった発明物語本。日本の書名は、大塚食品の「あ!あれたべよ」(米飯とカレーソースが別袋に入ったカップ飯)を真似たもの

物理学者はふたりでテニスを! と言ったか?

 生まれてはじめてテレビゲームを体験したのは、1970年代のはじめ頃に、母方の親戚が集まって水上の温泉旅館に泊まったときだった。お風呂から上がったあと浴衣のまま卓球をするような娯楽部屋ってのがありますが、記憶ではその入り口あたりに「ポン」(Pong)が鎮座していた。ポンというのは、1972年にアタリが発売したアーケード用ゲームで、世界的な大ヒットとなった金字塔的なものである。

 ゲームの歴史に詳しい人なら、よくご存知のとおり1971年にナッチング・アソシエーツ社から「コンピュータースペース」(Computer Space)が発売されたが商業的には失敗した。これを開発したノーラン・ブッシュネルが、そのためにアタリ社を立ち上げて市場に問うたのが「ポン」だった。いまじゃ、「ぼくがジョブズに教えたこと」(ノーラン・ブッシュネル、ジーン・ストーン著、井口耕二訳、飛鳥新社)なんて本を書いているブッシュネルだが、デジタルエンターテインメントの歴史はこの人抜きには語れない人物である。

 ちなみに、ブッシュネルは、その年に行なわれたショウで「オデッセイ」(Odyssey)という世界最初の家庭用テレビゲーム機を見て、それを真似たのだという伝説がある。オデッセイは、1972年にラルフ・ベアという人物が開発してマグナボックス社から発売された製品だ。ここで少し興味深いのは、宇宙船を動かして、四方八方からやってくる敵をミサイルでやっつけるゲームは売れなかった。ところが、テニスやピンポンは売れるとブッシュネルも思ったし、実際そういう結果になったということだ。

 言い換えれば、宇宙空間で自由に動き回って撃ちまくるという100%近い「自由度」のゲームは失敗したが、コートをはさんで相手側に返すという非常に「制約」のあるゲームは成功した。1978年には、日本製の宇宙戦争ゲーム「スペースインベーダー」が大ヒットするが、これは、畳の目を数えるような“制約の固まり”みたいなゲームでしたからね。なかなか学ぶところが多いと思います。

「オデッセイ」のカートリッジはROMが入っているわけではなく、ビデオ信号を歪曲させて画面に表示される光の動きを変えて異なるゲームにするという秀逸な設計になっていた。背後にあるのは、日本最初の家庭用ゲーム機であるエポック社の「テレビテニス」

 ところで、テレビゲームの始まりはなにかというと、いまでは1958年のウィリー・ヒギンボサムという人物がつくった「テニス・フォー・ツー」だというのが定説になっている。私は、コンピューターの歴史に興味があって、「最初のテレビゲームはなにか?」ということもすごく気にしていた時期があった。するとあるとき、「THEY ALL LAUGHED」(1992年刊)という本をみつけたのだった。“最初のビデオゲーム”と題して詳しくそのヒギンボサムに取材した記事が掲載されている! それで、読むだけじゃつまらないので「あっ、発明しちゃった!」(アイラ・フレイトウ著、西尾操子訳、アスキー刊)と邦題をつけて翻訳出版した。。

 この本、いまは絶版あつかいになっているのだが(フィルム時代の本なので電子化もあまり期待できないでしょう)、いま読み返してみるとなかなか興味深いことがいくつも書かれている。というのは、最初のビデオゲームは、原爆開発のマンハッタン計画にもかかわった物理学者によってつくられた。なぜ、物理学者がゲームなんかつくったのかというと、彼の勤務先は、核エネルギーの平和利用を目的としたブルックヘブン研究所という政府機関で、一般市民向けの研究所公開のお楽しみとしてつくったのだそうだ。それは、オシロスコープ用の5インチの円形スクリーンを使って、2人のプレイヤーがボタンのついた箱型のコントローラを持って対戦するテニスゲームだった。

 まだCPUもなかった時代に、ヒギンボサムはどうやって仕事の片手間でテレビゲームがつくれてしまったのかというと、彼は同研究所に来る前に爆撃機用の改良型レーダーディスプレーの仕事をしていた。そこで開発した増幅回路の技術がテニスゲームに活かされたというのだ。つまり、テニスゲームは、むしろ宇宙戦争的な360度を見渡すレーダースクリーンで使われたテクニックがもとになっている。それでも、彼がふたりでテニスをするゲームをつくったのは、人とコンピューターの対戦より、人と人が対戦するもののほうがラクにつくられたからだろう。

 ちなみに、「あっ、発明しちゃった!」の中で著者は、ウィリー・ヒギンボサムという人物について「彼の名前を覚えておいてほしい。何年かのうちにスポーツ界の伝説的な名前と同じくらい有名になるからだ」なんてわざわざ書いている。事実、いまではいろんな本やサイトなどで最初のテレビゲームの作者として登場しているわけなのだが、そこまで自信を持って書いているのには理由がある。マグナボックス社が、アタリも含めて多くのゲーム機メーカーを訴えた裁判にヒギンボサムが巻き込まれたという経緯があったからのようだ。この特許は、同社がオデッセイを開発して取得したとしばしば書かれているが、実際には、サンダース・アソシエーツ社から買い取ったものだとも書かれている。ついでながら、いまではすっかり「テニス・フォー・ツー」という名前で知られているヒギンボサムのゲームだが、この本には写真の画像の中も含めてその名前は出てこない。

 ところで、私が「ポン」をやった水上の温泉旅館(実際は大型ホテル)は、ネットで調べてみたら明治時代創業の老舗なのだが、いまは“廃墟”として有名になっているようだ。さすがに、当時のテレビゲームは残っていないのだと思うのだが、画面を左右にボールが行き来するポンが、なんだか「時計」のように感じられたのを思い出す。ちなみに、オデッセイをつくった電気技術者のラルフ・ベアも、レーダーの仕事をしていたことがあるそうだ。どうも、テレビゲームとレーダーと相性がいいらしい。

 日本最初の家庭用テレビゲーム「テレビテニス」が、5月30日まで日本科学未来館で開催中の「GAME ON~ゲームってなんでおもしろい?」で、プレイできる状態で展示されている。40年前のゲームですが、4月8日にフジテレビで放送された「ゲームセンターCXスペシャル」で、有野課長をして「今回これがいちばん面白かった」と言わしめておりました。

■「GAME ON~ゲームってなんで面白い~」公式サイト

http://www.miraikan.jst.go.jp/spexhibition/gameon/

■GAME ONは5月までの会期中たくさんノイベントを実施

5月14日 特別イベント「おしえて! PlayStation® VR 」
5月20日 特別フォーラム「ゲームをどう残すか ~技術と体験のアーカイブ」
5月20日 ナイト「GAME ON」 第二夜「セガハードの歴史を語り尽くす」
5月27日 ナイトGAMEトーク 第三夜「岩谷徹×遠藤雅伸/ゲームとゲームの未来を語る」
5月29日 特別イベント「ゲームってなんでプログラミング?」

詳しくは、公式ページをご確認ください。

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