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情報の取り扱い説明書 2015年版 第12回

ウェアラブルの可能性は視覚以外を拡張することにある

Apple WatchとGoogle Glassは何が明暗を分けたのか?

2015年09月22日 12時00分更新

文● 高橋幸治、編集●ASCII.jp

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感覚比率のチューニング変更がイノベーションを起こす

 本連載でも「情報過多の時代」をしばしばテーマとして扱ってきたが、そこで問題としている情報もほとんどが視覚情報である。とはいえ、この視覚の優位はなにもインターネット以降に始まったことではなく、人間は古代から洞窟の壁というディスプレーに絵を描き、星空というディスプレーから方位や天候、ときには吉凶の予兆までをも読み取ろうとしてきた。

 そして、マーシャル・マクルーハンの「すべてのメディアは人間の機能および感覚を拡張したものである」という言葉どおり、人間は顕微鏡によって極小の世界まで視覚を拡張し、望遠鏡によって天空の彼方まで視覚を拡張してきた。

 「見える」ことは何よりも重要であり、企業人が「可視化」という言葉をことのほか尊ぶのも見えることへの絶大な信仰に由来している。

 人間とコンピューターとの関係は今後、主たる潮流として二方向に分かれるだろう。「シンギュラリティー」(2045年に人工知能の知性が人類の知性を凌駕するという技術史上の大転換点)へと邁進する人工知能の方向性と、身体や肉体の再評価と歩調を合わせた「ウェアラブル・コンピューティング」だ(関連記事)

 その中でウェアラブル・コンピューティングは視覚のさらなる強化ではなく、ともするとわれわれがおろそかにしがちな残りの四感=“聴覚、触覚、嗅覚、味覚”への回帰/復権と強く関連しているのではないかと思う。

 つまり、ウェアラブル端末、特にコンシューマーが日常的に使用するような身体装着型のデバイスの可能性は、視覚情報を現在よりも充実させるところにはない、ということだ。

 眼鏡型のGoogle Glassの挫折はもちろん価格などにもあるだろうし、人知れず撮影ができてしまうことによるプライバシー侵害の問題もあるだろう。しかし、あまり指摘されない隠れた要因として、「視覚の比率がさらに向上することにそれほどのメリットを感じない」ということがあるのではないか?

 もちろん、「Oculus Rift」などのVR技術が新たな視覚体験をクリエイティブやエンターテインメントの分野に導入することは間違いない。しかし、それはあくまでも限定された時空間における非日常の体験であって、生活に浸透するウェアラブル・コンピューターとは次元の異なる話である。

Oculus VRが開発している仮想現実用ヘッドマウントディプレー「Oculus Rift」。視野角110度という驚異的なスペックによって圧倒的な没入感を実現する。2016年の第一四半期にリリース予定

 ウェアラブル・コンピューターの可能性はむしろ、それを装着していることを意識せずに「身体情報」が収集できるということ、もしくは身体への密着によって「触覚」などを通じた新しいコミュニケーションが開発されることなのではないか? 本当のイノベーションは感覚比率のチューニング変更の際に発生する。

1979年に登場したSONYの「ウォークマン」は、屋外で日常的に音楽を聴くという「聴覚」の大変革をもたらした。Appleの「iPod」もこの偉業の延長線上にある製品である(Sony Designより)

(次ページでは、「ウェアラブル・コンピューターが訴求すべき感覚は触覚」)

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